第290話 ブランの複雑な心情
アンコを成形した色鮮やかで美しいネリキリに、ヨウカンやドラヤキ、ミツマメ、カリントウ、コハクトウなどのワ菓子がテーブルに所狭しと並べられる。
『おぉ! これは好きに食べていいんだな!?』
「いいわよ。でも、こんなに食べられ……るでしょうね」
ブランを見て、サクラが納得したように頷く。猛烈な勢いで、呑み込むように食べている姿を見たら、そう言うのもごく自然なこと。
アカツキはさすがに人並みの速度で食べているが、先ほどまでたくさんお菓子を食べていたことを知っているアルは呆れてしまう。まだ食べられることが既に凄いことだ。アルはもう食べる気がしない。
「追加を用意いたしますか?」
『もぐもぐ……うむ、たのむ――』
「いえ、いらないです。ブランたちは食べ過ぎなので」
頷くブランの頭を叩いて、アルは訂正した。ニイはブランとアルを見比べた後に頷く。アルの要求が通ったようでなによりだ。
ブランも食べ過ぎの自覚はあったのか、文句を言わずに食事を再開した。少し不満そうではあったが。
「あら、もしかして、もう食べて来ていたの?」
アルの手元にお茶しかないことに気づいたサクラが尋ねてくる。アルは頷き、「見ているだけで、脳まで甘味で侵されそうです」と答えた。正直な感想だ。緑茶の渋みが心地いい。
「それなら話を始めましょう」
少し申し訳なさそうに眉尻を下げたサクラが、アルに小皿を渡した。中に黒っぽい線状ものが入っている。今寄越したということは甘味ではないのだろうが、これはなんだろうか。
「……あ、しょっぱい。あと、ダシのような旨味がある? 美味しいですね」
「ふふ、塩昆布と言って、和菓子と一緒に食べることが多いのよ。甘味を引き立てるというか、箸休めというか……まぁ、今のアルさんに相応しいでしょうね」
穏やかに笑うサクラは流石ニホン人。ワ菓子のような甘味の楽しみ方をよく分かっている。
興味をそそられたのか、ブランが一つ摘まんで口に放り込み、「ほお……」と感嘆の声を零していた。ブランの口にもあったらしい。
その後ワ菓子を食べる勢いが加速したから、その効果はアルがあまり歓迎できるものではなかったが。どうせなら、ブランも甘さで胸やけを起こしてくれたら良かったのに。
「……外で精霊と話をした成果なんですけど」
ブランとアカツキのことは無視することに決め、アルは時を操る方法についてサクラに話した。サクラが時々相槌を打ちながら真剣に聞いてくれるので、アルの説明にも少し熱が入る。
「――なるほど。時の魔力ってそうやって扱うのね……。私には無理そう」
「素養がないと時の魔力を把握することすらできないようですからね」
手元に用意したアプルをジッと睨んだ後、サクラが嘆息する。素養があったとしても、時の魔力の把握は一朝一夕でできるものではない。ここでサラッとこなされてしまったら、珍しく苦労したアルの方が落ち込んでしまう。
「そうね。アルさんが使えるなら、問題がないもの。クインを助けられる術が見つかったことをまず喜ぶべきね。ありがとう、アルさん」
言葉通り嬉しそうに微笑み、サクラがアプルを手放した。
「いえ。……クインの様子はどうですか? まぁ、五日しか経っていないなら、変化もさほどないんでしょうけど」
「そうね。私は毎日話をしに行っているけど、変化という変化は感じないわ。時々、ブランはどうしているかと聞かれるだけね」
「記憶はなくても、気にするのは母親だからですかね……」
アルは子どもの頃に感じていた母の愛情を思い出す。
精霊の森で、母が先読みの乙女であったという事実を知ったものの、その時受けた衝撃は既に和らいでいた。精霊の王に言われた通り、存在を切り離して考えているからだ。
今はただ、優しい温もりと愛情を受けた記憶だけが、アルの母との繫がりだ。
「――よし、さっさとあそこから解放して、ブランときちんと再会させてあげましょう。元々の望みは叶えられないですけど」
クインがこの地に来て、アテナリヤと契約を交わした目的は、ブランを永遠の命から解放することだ。それを達成させる目途は全くついていないし、ブランからそれを望むと言われたこともない。
望みを思い出したクインは残念がるかもしれないが、そこは息子であるブランの意思を優先させてもらおう。
「ええ。神の干渉を防ぐ道具は既にクイン用のものを用意しているわ。クインを解放する準備はばっちりよ」
サクラがニコリと笑って、以前作った道具を取り出す。アカツキが持っているものと同じだが、少しサイズが大きい。クインの魔物としての元々の大きさに合わせたようだ。
「では、早速行きましょう」
『ぬおっ!? 今からか? まだ食い終わってないぞ!』
「……優先するべきなのは、クインのことでしょ?」
慌て始めるブランを、アルはじとりと見下ろした。
誰のためにクインを救おうとしていると思っているのだ。もう少し、ブランもやる気を出してほしい。ブランができることがないとはいえ、それが誠意だと思うのだが。
『いや、遅かろうが、早かろうが、結果は変わらんだろう。アルも、少し菓子を食べて休め』
ブランが珍しく自分用に確保していたワ菓子を差し出してくる。
アルはまじまじと見つめてしまった。ブランの様子がいつもと違う。なんだか気まずそうで、予定を先延ばしにしたそうに見える。
せっかくクインを助ける目途がついたというのに、心から喜んでいるように感じられない。それが何故なのか、アルは分からなかった。
「……あ、もしや、久しぶりにお母さんに会うのが恥ずかしいんじゃないっすか?」
『うるさいアカツキ黙れそんなわけがなかろう!』
「否定に動揺が出すぎですけど! あっはっは、ブランも可愛いとこあるなー」
アカツキが見事にブランの内心を言い当てたようだ。気恥ずかしさを誤魔化すようにブランが一息で言葉を吐き、アカツキを尻尾で叩く。
アカツキは愉快さが先立つのか、いくら叩かれても笑うばかりだった。ブランが可哀想になるくらい揶揄われている。
「……なるほど。久しぶりの親子の会話は、確かに気恥ずかしくなるのかも」
「そうなの? 私はお母さんに会えたら、すぐに飛びついて泣いちゃうと思うけど」
「……男女の感覚の差ですかね? ブランは自立精神が強めだったみたいだし、クインとは途方もない時間離れていたから、今更どんな会話をするべきか分からないのかもしれませんね」
アルはブランを眺めながら、サクラと話した。息子と母親の関係は、娘と母親とは少し違うようだ。個人差かもしれないが。
『我の感情を分析するなーっ!』
「うわっ……ブラン、恥ずかしいからって、暴力は反対」
アルにまで向かってきた尻尾を避けて窘めるも、ブランはムスッと口を引き結んで顔を背けた。恥ずかしさはまだ消えないらしい。アカツキも言っていたが、なんだか普段のふてぶてしさがなくて可愛い。
「――抵抗はやめて。そろそろ行くよ」
ブランを脇に抱えて強制連行。恥ずかしさがなくなるのを待っていたら日が暮れそうだ。
微笑ましげに見守るサクラと、ニヤニヤした笑みを浮かべて揶揄い足りなそうなアカツキも、アルに合わせて立ち上がる。
『……我は行かなくてもいいんじゃないか?』
「往生際が悪い。存在を取り戻したクインが一番に会いたがるのは、きっとブランだよ。記憶がどこまで戻るかはやってみないと分からないけど、息子なら傍にいてあげなよ」
『……うむ』
ブランは言葉少なに頷いて、大人しくなった。ようやく覚悟が決まったようだ。
クインを助ける術は既に完成している以上、後はそれを実行するだけ。クインは特殊な状況だから、アルは新たに問題が起こらないことを祈るばかりだ。
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