第291話 いざ、研究の成果を
アルの感覚では久しぶりに赴いたクインがいる試練の場。大きな広間の窓の先にはテラスがある。
現れたアルたちを、クインは一瞬きょとんと見つめたが、すぐに嬉しそうに微笑んで迎えた。
「おぉ、また来たか。えぇっと……アルとブランだな」
「……はい。お久しぶりです」
クインはアルたちの名前が瞬時に出てこなかったようだ。サクラがそっと寄ってきて、アルの耳元に顔を近づける。
「どうやらクインの存在改変が続いていて、それが記憶に障害をもたらしているみたいなの。毎日会っていると忘れないんだけど……アルさんたちのことを覚えていたのはギリギリかもしれないわ」
「そうなんですね……」
アルは眉を顰めてクインを観察した。
時の魔力を読み取ると、僅かずつ未来へ進むようなバランスになっていた。ブランの場合は、過去にも戻ることで永遠の命が与えられているようだったが、クインは存在自体が改変されて長命になっているのだろうか。
「俺はアカツキですよ~! 前に自己紹介しましたっけ?」
「はて? あの獣か……?」
「そうですそうです。獣姿だったアカツキです」
話しているアカツキとクインは、記憶の障害なんて気にしていなさそうだ。
アルの脇に抱えられているブランは、複雑な表情でそんな二人を見ている。
『時の操作は、精神に影響を与えないんだったな。この場合、どうなるんだ?』
「う~ん……クインの場合、精神というか記憶が存在に引きずられて変えられていっている感じだから、存在を戻して神からの影響を防げば、なんとかなると思う。アカツキさんの記憶の封印が解けたみたいにね。まぁ、実際にやってみないと確かなことは分からないけど」
『そうか……』
アルの腕から跳び下りたブランが、座り込んでクインを見つめる。その後周囲に視線を巡らせて、顔を顰めた。
つられて視線を動かしたアルは、相変わらずクインをここに縛りつけるような意思を感じる魔力にため息をつく。
「こうしていても仕方ないし。さっさとやってみようか」
「そうね。……あ、これ、私が使った揺り篭をクインのサイズにしておいたけど、使える? アルさんの時操作の方法なら、空間を分ける必要はないのかな?」
「いえ、ここの魔力と一時的にでもしっかり隔離するために使いましょう」
かつてサクラが知識の塔で眠りにつくために使っていた揺り籠。これは空間を内外で隔絶させるものだから、神からの干渉を防ぐのにも有用だ。神の干渉を防ぐ結界を使うとはいえ、念には念をいれて準備しておくべきだろう。
「ふむ? 吾に何をするのだ?」
「……改変され続けているクインの存在を、できる限り元に戻すんですよ。おそらく、アテナリヤと契約を交わした頃まで戻せるはずです」
「戻してどうするのだ?」
クインはすっかりアルたちがしようとしていたことを忘れているようだ。この感じでは、ブランが自分の息子だという記憶も再び封じられているのかもしれない。
「……クインはアテナリヤに望みを叶えてもらうためにここに来たけど、アテナリヤはたぶんその望みを叶えるつもりはないの。あなたはもうここから解放されるべきよ。そのために私たちは手段を見つけてきたの」
サクラがクインを見つめて告げる。真摯な眼差しと声音は、クインにただ受け入れてほしいと願っているように聞こえた。
なんと説明すべきか迷っていたアルは、サクラに話を任せて、クインを解放するための準備を始める。
まずは広間全体を覆う大きさの、神の干渉を防ぐ結界を起動する。空間の魔力を見ると、神の意思を含んだ魔力が少しずつその効果をなくしていくのが分かった。
「……ブラン、どう?」
『うむ、魔力の不快感はなくなったな。残存しないようで良かった』
「じゃあ、この結界は成功だね。これに揺り篭を重ねて使おう」
クインには揺り籠の空間ごと時の魔力を操作することに決める。揺り篭については以前サクラと研究していた時に、散々その性質を確認しているから、時の魔力を操作する魔法陣と組み合わせるのは簡単だ。
「アルさん、妖精さんが来ましたよ~」
『あら、ちょうどいい時に来れたようね』
アルたちの周囲を一つの光が駆ける。アカツキのダンジョンから来た妖精だ。確かにバッチリのタイミングでの登場である。
『ちょっとここの観光をしていて、遅れたかと思ったわ』
「妖精さん、のんきか……」
のほほんと微笑む妖精に、アカツキが呆れた顔をしていた。たくさんの妖精がいる時は、その姦しさに気圧されがちなアカツキだが、一人の相手なら問題ないようだ。
「来ていただけて助かりました。あなたは彼女の時の魔力をどう思われますか?」
アルは妖精の行動を縛る理由もないので、観光発言は無視して確認をお願いした。
サクラとクインの話し合いはすぐに終わったようで、クインは興味深そうにアルの作業を眺めていたが、今は突然現れた妖精に目を見開いて驚いている。
『……不思議な感じね。永遠の命というより、延命処置がされている気がするわ。それが長期になりすぎてしまって、存在自体が歪になっているのでしょうね』
「延命処置……?」
アルではそこまで読み取れなかったので、当然疑問に思う。サクラたちは時の魔力自体を感じ取れないから、さらに意味が分からないだろう。
首を傾げているアルたちを見て、妖精は悩ましげに腕を組んだ。
『たぶん、神もこうなることは想定していなかったのね。百年、二百年程度なら時の魔力の配分を変えて、老化を遅らせても問題はないけれど、それ以上となると、どうしても身体に時間操作の歪みが現れてしまうわ。神はそうなる前にこの子を解放するつもりで、永遠の命ではなく、命を延ばす処置をしたのだと思うけれど……この状態になっても解放させていないということは、神の方で何か問題があったのかもしれないわね……』
アルたちは思わず顔を見合わせた。
てっきりアテナリヤはクインの望みを叶えるつもりも、ここから解放するつもりもないのだと思っていたが、それは神にとっても想定外だったのか。
だが、アルは神がブランを永遠の命から解放するつもりがあったとはとても思えない。望みを叶えずに、クインをここから追い出すつもりだった可能性はあると思う。
「……アテナリヤの真意はよく分からないけど、これからの作業に不都合がなさそうなら、考えるのは後回しにしよう」
時の魔力で老化を遅らせることが存在の歪みに繫がるというのは新発見だが、それも今考えることではない。
「そうね。クインの説得は終わったし、早速揺り篭を起動させましょう」
「ええ。念のため、こちらの神の干渉を防ぐ魔道具も、あらかじめつけておいてください」
アカツキが着けている魔道具をクイン用の大きさに変えたものを渡す。その効果はサクラが説明しておいてくれたので、すんなりと受け取ってもらえた。
「では――起動します」
ふわりと広がった揺り篭の魔力が、クインを包むように球体を作る。クインが心地よさそうに目を細めた。
神の意思が籠った魔力を除いているし、少しは頭がすっきりしているといいのだが。
アルはゆっくりとクインの中の時の魔力に意識を向けた。
渦巻く二種類の魔力。ほんの僅かだけ未来へ進む性質が強い。その配分を操作するために、時の魔力を操る魔法陣に魔力を籠める。
「――妖精さん、どうですか?」
『良い感じよ。もう少し早めてもよさそうだけれど。このままじゃ、目的とする状態まで何十日もかかるわよ』
「……そうですか。ではもう少し――」
アルとしてはだいぶギリギリのバランスだと思っていたのだが、妖精からするともっと過去へ向かう性質を増やしてもいいらしい。
魔法陣をさらに使い続けていると、ようやく妖精からストップがかかる。
『……まあ、これくらいで良いんじゃないかしら。一時間くらい様子を見ましょう』
『だいぶ時間がかかるな……』
「スライムより長生きってことですかね……」
揺り篭の中でクインは眠りについているようだ。見た目にはまだ変化はないが、果たして成功するのか。
アルはじっと魔力を観察する。ブランたちもじっとクインを見つめ続けた。
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