第289話 「おかえり」に「ただいま」を
ヒロフミと別れ、トラルースのところへ来た目的は達成した。そうなれば、そろそろ異次元回廊に行こう。クインを早く解放してあげたいし、サクラの穢れ問題も判明したからには、早く対処するべきだろう。
「うぅ……覚えられねぇ……!」
呻いているアカツキを横目で見て、アルは苦笑した。
ヒロフミが寄越した巻物に書かれている文字数はとても多い。アカツキが苦労するのも無理はない。
アカツキが使えないようなら、サクラ自身に【
「……覚えるのは向こうでもできるはずですから、とりあえず出発の準備をお願いします」
「はーい……。まぁ、準備って言っても、することないんですけどねぇ」
アカツキが開いていた巻物をくるくると巻き戻して、脱いだローブと一緒にバッグに詰め込む。
「もう行くのか?」
「はい。異次元回廊にいる期間は決めてないんですけど、出てきたらまた会いに来てもいいですか? できればヒロフミさんへの伝言を頼みたいのですが」
「……あいつ、アルに連絡手段残さなかったからな。また会うつもりのはずのくせに、その辺大雑把すぎだろ……」
トラルースが呆れたように呟く。それでも、ヒロフミとのやり取りの仲介は請け負ってくれたので、アルは礼を告げておいた。
サクラはヒロフミとの連絡手段を持っていると言っていた気がするので、そちらに連絡が入るかもしれないし、念のための備えだ。
『異次元回廊か……。我は久しぶりにワ菓子をたらふく食いたいぞ!』
「……ブラン、それよりクインのことを気にしようよ。助けたいって言ったのはブランでしょ……」
ブランは完全に食べ物にしか意識が向いていない様子だ。本来の目的を覚えているのだろうか。自分の母親の状態を忘れているということはないと思うのだが。
『だが、それはアルが問題なく解決してくれるだろう?』
信じて疑わない、真っすぐな眼差しで見つめられ、アルは一瞬口籠もった。
失敗しないようにと念入りに実験して確かめてはいるが、普通もっと不安になるものだろう。それがないくらい、信頼してくれているのは嬉しいが、少し気恥ずかしい。
「……それはそうだけどね」
「あ、アルさん、照れてる~! 全幅の信頼感を示されるのって、親しい仲であればあるほど、時々ちょっと恥ずかしくなっちゃいますよねぇ」
「アカツキさん、置いていきますよ」
ニヤニヤと笑い揶揄ってくるアカツキをジトッと睨んで、アルは家の外に向かった。アカツキが慌てて謝りながら追いかけてくる。
ブランは『何かおかしなことを言ったか?』と不思議そうにしながら、アルの肩に跳び乗った。気づかないならそれはそれでいい。ブランまで照れたら、収拾がつかなくなりそうだから。
「入り口を開くか?」
ついて来たトラルースが言う。入り口とは、かつてフォリオに開いてもらった異次元回廊の入り口のことだ。
入って暫くしたところにあった白い空間には、精霊文字が分かる者だけが知れる情報があるらしいので興味はある。だが、今は目的を達成するのを急ぐべきだろう。
「……いえ、転移で中に向かいたいと思います」
「へぇ? それなら俺はお役御免だな。じゃあ、元気で」
トラルースが別れの言葉を告げると、さっさと家の中に戻っていった。余韻もなにもない。
思わずアカツキとブランと顔を見合わせてしまった。どうにもトラルースの性格が読めない。アルたちが嫌われているわけではなさそうだが。
「……まぁ、また会うだろうし」
トラルースと交友を深めるのは次の機会にしようと思いながら肩をすくめ、アルはコンペイトウを口に放り込んだ。これがないと、異次元回廊への転移はできない。
異次元回廊内に置いて来た転移の印を探知し、アルは転移魔法を発動させた。
◇◇◇
一瞬で切り替わった視界。ここはサクラと研究に励んだ家である。窓の外には、アカツキが創ったアスレチック施設がそのままの姿で残っていた。
「久しぶり……という感じでもないけど。でも、時間のズレがどれくらいあるのかな……」
『ああ……。前は一年ここにいたことになっていたんだったか』
「うん。そう考えると、次に外に出た時が怖いよね」
「宏がなかなかここまで帰って来られない理由はそれかもしれないですねぇ……」
ひとまず部屋から出ようと歩き出したアルは、アカツキの言葉に「ああ、そういうことか……」と呟いた。
サクラを大切に思っている様子だったのに、悪魔族の偵察に出てからほとんど戻っていないのはなぜかと思っていた。だが、この空間への出入りでは、時間が狂うという問題があったのだ。
行動を怪しまれてはならないヒロフミが、異次元回廊を容易に出入りできるわけがない。
「――お帰りなさいませ」
「あ、ニイだ! ひっさしぶり~」
家の外に出たアルたちを、ニイが迎えた。元々そこにいたのか、アルたちの転移に気づいてやって来たのか。どちらにしても、ニイの以前と変わらない様子に、アルは少しホッとした。
「こんにちは、ニイさん。僕たちが去ってから、こちらではどれくらい時間が経っていますか?」
「五日と二時間ほどです」
「……え」
念のための確認をすると、思いがけない言葉が返ってきた。アルたちは数ヶ月外にいたはずだが、この空間ではほとんど時間が経っていなかったようだ。
それは、ヒロフミが「ついさっきまで暁たちがいたと聞いた」と言うのも、周りの環境に変化が見られないのも、当然と言いたくなる。
「う~ん……この空間と外との時間差について、時の魔力で操作できないかなぁ……。結構不便だよね」
『どのくらいの時間が狂うか予測できないのが面倒だな。前はこちらで過ごした時間が、外の一年で、今回は外の数ヶ月がここでの五日。……この空間は時間の流れが遅い傾向があるか?』
「そうだねぇ……。でも、空間にある時の魔力は外と変わらない割合だよ。時間の流れの問題というより、隔てられた空間を転移するときに、何かしら時間の誤差が生まれるよう設定されているのかも」
『……難しいな』
顔を顰めながら話すアルとブランの横で、アカツキは腕を組みながらアスレチック施設を眺めていた。難しい話から逃避しているように見える。
ニイは聞いているのかいないのか、よく分からない様子でじっと控えていた。
「――あっ! やっぱりつき兄だ! アルさんもお帰り! 早かったね」
家の裏の方からサクラが姿を現す。ヒロフミと会ったからか、前よりも表情が明るい気がした。
「お、桜~、元気だったか~」
「たった五日で変わるほど、やわな精神してないけど? っていうか、ついさっきまで宏兄もいたのに、また入れ違いか……」
「あ、外で会ったぞ」
「ほんとに? つき兄、叩かれた?」
「……叩かれた。お前、絶対、あいつにいらん告げ口しただろ」
「事実しか言ってないも~ん」
アカツキとの軽快なやりとりの後、サクラがアルに改めて「お帰りなさい」と微笑む。
アルも笑みを返しながら、「ただいま戻りました」と告げた。ここはアルの家ではないが、こういう挨拶はなんとなく嬉しくなる。馴染みがない言葉であるからこそ。
「もっと長くかかるかと思っていたけど、成果はあったの?」
「ええ、クインの解放については。でも、外では数ヶ月経っているので、結構長くかかった方ですよ。あまりサクラさんをお待たせしなかったようなので、それは良かったですけど」
「……数ヶ月?」
サクラがポカンと口を開けた。異次元回廊の中に長くいることで、外との時間の差をうっかり忘れていたようだ。その辺のことを、ヒロフミはわざわざサクラに説明しなかったのだろう。それならば、サクラが驚くのも無理はない。
「――とりあえず、お茶飲みながら話をしましょう!」
「さんせーい!」
『うむ! ワ菓子を用意せよ』
気を取り直した様子でサクラが提案すると、即座に食い意地の張った二人が喜びの声を上げる。先ほどまでたくさん食べていたはずなのに、よくそこまで喜べるものだ。
アルは呆れを通り越して感心してしまった。
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