第286話 水の役割

「あ、話が脱線したな」


 トラルースの機嫌の悪さが更に強まったのを感じたのか、ヒロフミがさりげなく話を戻す。ここで追い出されるのも、トラルースに嫌われるのも、アルは嫌だからすぐに話に乗った。


「精霊の森への行き方の話ですね。ヒロフミさんは僕とは違った方法で精霊の森に行かれたようですが……?」

「そう。というか、アルの行き方が特殊だと思う」


 肩をすくめたヒロフミが話し出す。


「――まず、精霊の森がマギ国と接しているのは知っているよな?」

「もちろん。あいにく、外側まで行かなかったので、実際にマギ国を見てはいませんが」

「……なるほど。もしかして、アルたちは精霊の森の中心に行ったのか。そりゃ、特殊な方法に決まってるな」


 ヒロフミが納得したように頷き、問うような視線をトラルースに向ける。だが、トラルースは顔を背けて何も言わなかった。


「ということは、ヒロフミさんは精霊の森の中心には行っていないのですか?」

「行ってないな。そもそも精霊の森の中心部は、少し次元がずれているらしくて、精霊以外は立ち入れない。……って、俺は思ってた」


 トラルースを睨むヒロフミだが、それも無視される。説明することが精霊の理に触れるからなのか、それともただ機嫌が悪いだけなのか。トラルースとの付き合いがほとんどないアルは判断できなかった。


「――もう察してるだろうけど、俺はマギ国から普通に歩いて南下して精霊の森に入った。すぐにこいつに会って、それ以上奥には行けなかったけどな。帝国とかマギ国の連中も、そうして精霊と関係を持っていたはずだ」

「なるほど。精霊の森に入るという目的だけなら、それが当然の方法ですね。……そうなると、アカツキさんが拒否されたのは、行き先が精霊の森の中心部だったから、という可能性もありますね。外側だけなら、ヒロフミさん同様に普通に入れるのかも……?」


 精霊から答えをもらえない限り、推測にすぎない話だ。


「その、水を被って消えていったものの正体が分からない限りは、その可能性が高いとしか言えないな。ってか、水ってなんだよ。あれか? 水垢離みずごりか。キレイキレイしようねってことかね。暁が穢れた状態だったとでも?」


 ヒロフミが不満そうに呟く。それに対してちらりと視線を向けたトラルースが、何かを考える表情をしていた。


「……少なくとも、あの状態じゃ精霊の森の中心部に入れねぇよ。穢れって表現は正しい。水の役割はそれだけじゃねぇだろうがな」

「お、ついに口を開く気になったか。ついでに教えて。穢れってなに? 暁は水垢離したみたいだけど、俺もその必要があるのか?」


 身を乗り出すヒロフミをトラルースが睨み、フンッと鼻で笑った。


「知るか。答える義理はねぇ」

「ひでぇな。友達じゃないか」

「くそったれ。勝手に言ってろ」


 ヒロフミが散々ねだるも、トラルースは全く答える気がなさそうだ。


「俺も知りたいんですけどねぇ……。穢れってなんだろう……」

『お前、落ち込んだ時に時々ドロドロした空気を放ってたから、それじゃないか?』

「え、待って、それ知らない。どういうこと? 俺、どぱーって魔王オーラ出してた?」

『魔王オーラ……? それが何かは知らないが、危険な状態には見えたな』


 ブランの言葉で思い出す。確かに、アカツキはそんな雰囲気を漂わせることが何度かあった。それが魔王の片鱗と言われれば、納得できる気がする。水を被った程度で消えるものとは思えないが。


「穢れについては僕も聞きたいんですけど。教えてはもらえない感じですね?」


 ヒロフミが諦めてため息をつくのを見て、アルもトラルースに尋ねてみた。精霊の仲間とみなされるアルなら、答えてくれる可能性もあると思ったのだ。


「……はぁ……。アルまで言うか。仕方ねぇな」

「うわっ、精霊の精霊贔屓はやっぱり露骨……」

「聞きたくねぇんなら、そう言えよ」

「聞きたいに決まってんだろう」

「なら黙ってろ」


 アルも驚くことに、トラルースは答えてくれる気になったようだ。ヒロフミのせいで少し機嫌を悪くしていたが。


「穢れっていうのは、この魔の森の魔力性質と似てるもんだ。魔法に使われた魔力が穢れてここに集まり、浄化されているのは知っているな? アカツキがいた牢獄は魔力を糧に管理される関係で魔の森と似た性質を持っている。つまり、穢れた魔力を集める過程で、管理者は穢れに触れる機会が多いんだ。そのせいで、体に少しずつ穢れが移っていく。ドロドロしたもんを感じたっていうなら、その穢れのせいだろうよ。水でほとんど浄化されているはずだ」


 穢れた魔力に曝露されることで、穢れが移るとは知らなかった。アカツキからその穢れが既に失われているというのは安心だが――。


「それだと、魔法使いはみんな、穢れをまとっていることになりませんか? 魔法を使うことで穢れた魔力が放出されるはずですから、一番その魔力に触れるのは魔法使いですよね?」


 思わぬ危険性に思わず顔を顰める。穢れがどういう影響をもたらすかは分からないが、かつてアカツキが放っていたものを考えると、いいものではないのは確かだろう。


「多少は穢れがあるかもしれねぇな。だが、影響はねぇだろ。こいつや魔族の場合、死ねねぇから長期間穢れに触れ続けて蓄積しちまっていただけだ」

「……なるほど。確かに、アカツキさんは途方もない年月をダンジョンで過ごしていたわけですしね」


 アルはホッとして頷く。アカツキも同様だったが、ヒロフミは険しい表情だ。


「……それ、異次元回廊の管理者はどうなんだ?」


 ヒロフミの問い掛けで、ハッと気づいた。アカツキのダンジョン同様の仕組みの異次元回廊の管理者も、穢れた魔力に触れ続けている可能性が高い。つまり、サクラに穢れの影響が出るかもしれないのだ。


「てめぇらの拠点は秘密だったんじゃねぇのかよ……」

「察してんだろ。ほら、キリキリ答える!」


 異次元回廊に魔族がいると暗に示したヒロフミに、トラルースは呆れた表情を向けた。だが、その事実はアルがフォリオやマルクトに教えていて、今更秘密にする必要性も感じない。


「……異次元回廊でも同様だろう。だが、魔族は死なねぇから穢れをまとったところで影響は少ねぇ。せいぜい、落ち込みやすくなるくらいじゃねぇか」

「いや、それ十分問題だから!」


 ヒロフミが怒った。トラルースは不思議そうな表情だが、アルもヒロフミに同感である。


 出会って時のサクラの精神状態が危うげだったのは、穢れが一因だったのかもしれない。こうしてヒロフミに会って気づいたが、同じくらいの年月を生きているのに、ヒロフミとサクラでは精神的な疲労度合いが大きく異なっているように感じた。性差や性格の差も影響しているのだろうが、ヒロフミは異次元回廊の外に出ているおかげで穢れが少ない可能性がある。


「桜……大丈夫かな……」


 心配そうに眉尻を下げるアカツキの傍で、ヒロフミがトラルースを問い詰めていた。


「穢れを浄化する方法を、吐け!」

「命令すんな。……そんなもん、お前ならどうとでもできんだろ」

「……え?」


 トラルースの答えは予想外に軽く、ヒロフミが拍子抜けした様子になった。


「ヒロフミさん、穢れを浄化する方法を持っているんですか?」

「いや、そんなの知らな――あ、あるわ」

「あるんかいっ!?」


 アカツキが勢いよくヒロフミの頭を叩き、即座に殴り返された。親しい仲とはいえ、容赦がない。

 床に撃沈したアカツキを放って、ヒロフミがバッグを探る。


「魔の森とか異次元回廊の仕組みを探っている間に、魔力の浄化の仕組みも調べたんだ。それを【まじない】で再現できないかと思って試作したのが……これだ。使うことないと思ってたんだがなぁ」


 テーブルに巻物が置かれた。

 ヒロフミが【まじない】のプロフェッショナルであることを思い出す。魔法とは違ってアルは使えないが、知識欲が刺激された。

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