第272話 肉体と精神性
アカツキの中の時の魔力を探る。だが、ブラン以上に感知しにくい気がした。魔力の渦の上に、一枚膜があるような。
それでも、集中し続ければ少しずつ見えてくるものがあり、アルはその結果に目を細めた。
「――二つの性質の時の魔力の量が拮抗しているのは予想通りだけど。なんだろう、この違和感……」
「そんなこと言われると気になるんですけどー?」
「動かないでください」
捉えにくくなった時の魔力に顔を顰め、アルはアカツキを注意した。せっかく見えるようになったのに、また一からになるのはやる気が削がれる。
ピタリと口を閉ざしたアカツキに、アルは再び集中しながら首を傾げた。
「んー……完璧に調整されているからかな。アカツキさんがここの世界に来る際に、イービルが時の魔力を注いだらしいから、そのせいかも?」
人間の仕事には必ず誤差が生まれるものだと思う。それがアルにとっては自然なことだから、イービルが行った、時の魔力の調整に違和感を覚えるのだろうか。
「――はい、もういいですよ」
「っしゃああ! 疲れた~」
訓練の終わりを告げた途端、テーブルに突っ伏すアカツキを見て、アルは苦笑した。ブランと同じ反応だが、アカツキの方が観察の時間は短かったはずだ。その分、それほど疲れるとは思わないのだが。
むしろ、アルの方が、続けざまに集中することになって、だいぶ疲労している。
「お疲れさまでした。そろそろ夕食の準備をするので休んでいてくださいね。……あれ?」
言いながら、ふとした疑問が頭を過り、アルは首を傾げた。ブランとアカツキから不思議そうに見つめられるが、今は疑問の方が大事だ。
「――疲労って、肉体的な変化な気がするけど、肉体的に時が止まっているアカツキさんに生じるのかな?」
『今さらか? 精神的な疲労ってことだろう。だから、我はいつもこいつを叱っているじゃないか。精神が軟弱だから疲労なんて起こるんだ』
「あ、そういうことか。つまり、アカツキさんの疲労って、思い込みが大部分……?」
ブランの言葉で、アルが抱いた疑問はすぐに解決した。精神性に時の魔力は干渉していないようなので、アカツキが疲労感を覚えるのも仕方ないということだ。
それを既にブランが分かっていたのは、魔物の本能というものなのか、それともアカツキの観察によるものなのか、少し気になる。
「思い込みって……! ひどいです。精神的疲労は、思い込みなんかじゃないんですよ! 生き物の生存本能に組み込まれた状態です!」
「つまり、魔族は肉体的に死すことはなくても、精神的な死はありえる? それを防ぐために、生存本能により疲労という感覚が消されていないということですか?」
「いや、難しいこと言われても、俺、よく分からないっす……」
顔を顰めたアカツキを見る。アルはそれほど難しいことを言ったつもりはなかった。アカツキは思考を停止させるのが早すぎると思う。
『考え方の順序が違うんじゃないか? アカツキは今魔族だが、もともとはニホンという国で人間だったんだろう? つまり、肉体に関してはイービルが手を出しているが、精神には関与していないから、人間の状態のまま維持されているだけというだけだ』
「……そうだね。僕が考えすぎていたかも」
あくびまじりにブランが放った言葉に、アルは納得して頷いた。それと同時に、怖い話だと改めて思った。
普通、精神的な死を迎えたら、肉体もそれに伴うはずだ。それなのに、魔族にはそれがない。精神的に死しても肉体が生き続けるとは、なんだか悲しい。
同じことにアカツキも思い至ったのか、眉を寄せて渋い表情をしていた。
「……魔族には生かゾンビかしかない? パニックホラーは嫌だ。特効薬作らなきゃ……。いや、特効薬的役割なのが神様にもらった魔族特攻の剣なのか。なんか複雑~……」
「アカツキさん、ゾンビは精神的にも生きている魔物ですよ。魔族がゾンビになるというのはありえないと思います」
アルが指摘すると、アカツキはポカンと口を開けた。何にそれほど驚いているのかよく分からない。
「……この世界、マジもんのゾンビいるのか! 銃で倒したり、特効薬使って罹患者を助けたりするんですか? いくら倒しても、それでも蘇ってくるぜ、この野郎! みたいになる展開ですか?」
なぜかワクワクした表情のアカツキに、アルは困惑する。ダンジョンでゾンビを創り出せないのだろうかと不思議だし、大した素材がとれないゾンビに興奮する意味も理解できない。
「ゾンビは斬れますし、火を放てば燃えますし、生き物なんですから死んだら蘇りませんよ。腐敗性のある魔物ってだけで」
『あいつらの肉は食えないから嫌いだ。臭いし。のろいし。臭いし。弱いし。臭いし』
顔を顰めるブランは、どれだけゾンビの臭いが嫌いなのか。何度も言うくらいには近づきたくもない魔物なのだろうが。
アルも理解はできるので、苦笑しただけで指摘はしない。
「そっか……ゾンビ、弱いのか……臭いのか……。そりゃ、ゲームとか映画じゃないし、仕方ないな……」
しょんぼりと肩を落したアカツキを見ながら、アルは魔族についてある可能性にふと気づき、眉を寄せた。
魔族は元々ニホンで暮らしていた人間。この世界に来た時に、時の魔力を得て永遠を生きることになった。
そんな彼らは、元の人間の肉体と全く同じだと言えるのだろうか。
精神性は変わっていないだろう。だが、その肉体が本人のものだと、誰が明言できるのか。
アカツキやサクラのダンジョンと呼ぶ空間では、生命体ですら魔力から構成され創り出されている。つまり、神やそれに準じる能力を持つ者は、生命体を生み出せる能力を持っていると証明されているようなもの。
魔族の肉体に、その能力が使われていないと、どうして言えるだろう。
「――そう言えば、異世界から転移して来たと言ったのは、アカツキさんたちで……その事実の証明はされていない……」
アルもアカツキたちと過ごす内に、すっかり異世界という存在に馴染み、違和感を覚えなくなっていた。でも、全て検証されていない事象だ。前提が間違っている可能性があり、その場合、魔族の異世界への帰還のための手段が大きく変わることになる。
「マルクトさんも、異世界を把握できないと言っていたし……。アカツキさんたちの記憶や精神性を考えると、異世界があること自体は確かであっても、肉体ごと転移して来たとは限らないかも……?」
「なんか、めっちゃ怖いこと言ってません!?」
アカツキが血の気が引いた顔でアルを見つめていた。ブランも心なしか厳しい表情で考え込んでいるようだ。
「怖いというか……生命の自己認識は、精神によるのか、肉体によるのか、という感じではありますね。アカツキさん、その体は本当にあなたのものですか?」
「ひえ……」
顔を引き攣らせながらも、アカツキは窓に目を向けた。既に外は暗くなってきていて、鏡のように室内の光景が映っている。
そこに映る姿を凝視して、アカツキは難しい表情で首を傾げた。
「――う~ん……日本にいた時と同じに見えますけどねぇ……。桜に会った時も、違和感を覚えなかったし、向こうも何も言ってこなかったってことは、違いはないんだと思いますけど」
様々な角度から顔を眺め、体のバランスを確認するアカツキに、ブランが呆れた表情を向けていた。
『なんだか、自分が好きでたまらない奴みたいだな』
「俺はナルシストじゃねぇっ! アルさんが言うから、真剣に観察してたのにぃ……」
ブランに吠えた後、落ち込んだ様子で俯くアカツキに、アルは苦笑して肩を叩き、宥めた。
「見た目じゃ分からないみたいですね。僕が言ったのも、一つの仮定にすぎないわけですし。この可能性も考えつつ、魔族の問題を解消できるよう頑張りますね」
「……お願いします」
アカツキが複雑そうだが、真剣な表情で頷いた。
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