第271話 ブランの魔力

 時の魔力の感知を行いながら、何とはなしにブランたちの話し声に耳を傾ける。

 初めは魔力感知だけに意識を向けなければならなかったが、最近の訓練の成果で、雑音があっても感知可能になっている。


 そろそろ魔法陣を調整して、本格的に実験に移る段階に来ているかもしれない。

 そのためには、アカツキたちに頼んでいる、植物の栽培が上手くいってもらわなければならないのだが――。


「……おお? にょっきにょき!」

『豆から白いのが伸びてるな! 昨日より一センチは長くなったんじゃないか!?』

「えぇと、記録用の魔道具のここをこうして……んん? 七ミリかな! すっくすく生長してますねぇ。毎日見てると可愛くなってくる……」

『うむ、分かるぞ。こう……小さき命が頑張っている感じで、見守ってやりたくなるな』


 アルはもやし栽培用の部屋から聞こえてくる声に、思わず口元を緩めた。一人と一体の会話が微笑ましい。


 ブランは初め、植物の栽培を任されることを面倒くさがっていた。だが、日々ゆっくりと少しずつ生長していく植物を観察していたら、愛着が湧いたらしい。

 アルとしては予想外の変化だった。魔物といえば、弱肉強食の世界で生きる者だから、そんな慈しみの情を抱くことは珍しい。


「……あぁ、でも、ブランは魔物としては情が深い方かも。なんだかんだと文句を言いながらも、僕のこと助けてくれるし」


 以前、<にゃんにゃん食堂>に行ったときも、か弱い猫を相手にあまり乱暴なことはできず、対応に困った様子だった。ブランはか弱いものに優しい性格なのだろう。

 それが植物にも適応されるのは、やはり驚くことだが。


「――さて、僕も果物で時の魔力を捉えるのに慣れてきたし、他のものも試してみようかな。できれば生きた状態のもの……」


 テーブルの上に散らばった、果物や魔物肉をアイテムバッグの中に仕舞う。

 まだ夕食の準備には早いし、少し対象を変えて訓練をしたい。実際に魔法をかける対象にするのは、クインという魔物よりの存在なのだから、できれば近いものを。


「ん? クインはもしかして今、魔族とかと同じ状態……?」


 ふと思い出して悩む。

 魔族は時の魔力の【未来に向かう性質】と【過去に向かう性質】が拮抗していると考えられている。それにより、体の変化がなく、永遠を生きるのだ。


 そして、クインもまた、魔物としては極めて長い時を生きている。既に魔物の枠から外れているからかもしれないが、やはり時の魔力が作用していると考えた方が自然だ。


「――そう考えると、ブランも普通の魔物とは違う存在だな……」


 アルの最も近い存在であるがゆえに、今まで考えることがなかったが、ブランも時の魔力という観点から考えると、十分異例のはずだ。


「……よし、ブランたちに、訓練にも協力してもらおうっと」


 ニッと笑みを浮かべ、アルはもやしの生長に喜んでいるブランとアカツキの元に向かう。

 時の魔力の感知訓練というだけでなく、純粋に学術的好奇心がアルの意欲を刺激していた。一人と一体の、時の魔力の構成は面白そうだ。



 ◇◇◇



 テーブルの上で、ブランが真白の体を固まらせている。


「……しんどそ……」


 アカツキの気の毒がる声に反応して、ピクリと耳が動いた。

 その途端、時の魔力が捉えにくくなる。


「ブラン、動かないで……」

『っ……むぅ……』


 ブランの顔が僅かに顰められ、その動きでも魔力に変化が生じる。

 果物と違い、生き物であるブランは、呼吸するし、なかなか静止し続けるということが難しい。それに伴って、時の魔力もブレて捉えにくくなるようだ。


 アルは眉を寄せた。

 考えていたよりも、生き物を対象にした訓練は骨が折れそうだ。これができなくては、クインを対象にして、魔法を行使するなんてできないのだが。


「んー……ブランは、少し【未来に向かう性質】の勢いが強いかな? でも、時々【過去に向かう性質】が強くなってる……?」


 なんとか感知をしながら、時の魔力の分析をする。

 果物内で一定の勢いを保っていた時の魔力と、ブランの中の時の魔力は、様子が少し違っていた。ブランの中で、時の魔力のそれぞれの性質は、常に変動しているのだ。


 片方が強くなったかと思うと、一瞬後にはもう片方が強くなる。つまり、時を進めたかと思うと、次の瞬間には過去に戻っているということ。


「――これは魔力の量自体が拮抗しているのではなく、トータルで見て、時が進んでいないだけ?」


 集中しすぎて疲れた目を癒すため、手のひらで覆って視界を塞いだ。

 訓練が一旦終わったことを察したブランが、『ぬぉおおーっ……!』と呻きながら、倒れ込む音がする。


 訓練のためとはいえ、悪いことをしたかもしれないと、アルは苦笑した。


「んん? ブランは俺より一瞬先を生きていたかと思えば、過去にいることもある……?」


 混乱が伝わってくるアカツキの声。アルもなかなか理解しがたいが、アカツキの言葉で正しい気がする。

 そして、より大きな問題は――。


「……その変化の際に、体内と外部の間で魔力の流動が一切ない、というのも不自然だね」


 時の魔力の性質は、随時バランスが変わっていたが、総量は変わっていないということだ。

 体内に変動用の時の魔力があり、【未来へ向かう性質】と【過去に向かう性質】の両方に変更可能ということかもしれない。


 それは、時の魔力の操作方法に、量の増減ではなく、性質の変更という手もとれる可能性があるということ。

 これはさらに研究しなければ。


「――ブランが変動用の魔力を持っているのは、ドラゴンの核を食べて、後づけで永遠性を手に入れたからかな」

『よく分からんことを言っているな。我はもう訓練の相手はせんぞ』


 ブランがテーブルに身を伏せて、アルをじとりとした眼差しで見ていた。よほど、体を停止させているのがつらかったらしい。

 アルもそれをやれと言われたら、少し断りたい気分になるので、ブランの気持ちも分かる。でも、せっかくの貴重な被検体。なんとか協力してもらいたいのだが。


「……訓練相手をしてくれた日は、甘味増量」


 ボソッと呟くと、力なく垂れていたブランの耳が、ピンと立った。これはいけそうだ。


「ブランが協力してくれたら助かるなー。ブランの魔力はすごく珍しいんだよ? さすがブランだよねー。クインのためにも、もっと研究したいなー。お菓子のお礼をするのにー」

『そ、そこまでアルが言うならば仕方ないな! 我は慈愛に満ちた、美しく気高い、偉大なる聖魔狐だからな。協力してやらんことはないぞ!』


 お座りして胸を張り、尻尾をブンブンと振っている。おだてて、甘味の餌をぶら下げれば、すぐに乗ってくるのは助かる。


「……すっげぇ棒読みで褒められても受け入れられるとは、ブラン、チョロいっす」


 アカツキがブランに呆れたような目を向けている。アルも同じ感想を持っていたので、心の中で頷いた。


「では、次はアカツキさん、よろしくお願いします」

「げっ……」


 アカツキが盛大に顔を顰めた。訓練への協力を快く了承してくれていたというのに、ブランの苦労を見て嫌になったらしい。

 それでも、餌をぶら下げなくても従ってくれるのだから、アカツキは優しい人だ。夕食はニホンの料理にしよう。


 アカツキが渋々とし様子で椅子に座り直し、窓の方を向く。


「外を見ていたいんですか?」

「逆に聞きますが、訓練の間、ずっと野郎と見つめ合いたいですか?」


 真剣な表情で問い返され、アルは想像できた光景に、静かに首を振る。シンプルに嫌だ。


「……では始めますので、極力動かないでください」

「了解で~す」


 アルは気合いを入れ直して、時の魔力の把握に集中した。

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