第263話 一歩前進
家の中に戻って来て、さっさと夕ご飯の下ごしらえを済ませたアルは、マルクトと魔法談義を再開した。
『――アル! なんか沸々してるぞ! これは放っておいていいのか!?』
「いいよ。ふき出しそうだったら火を弱めて」
鍋の監視を任せているブランに答える。日頃からアルの調理を見ているのだから、これくらいのことは自分で判断してもらいたいが。
「アルさん、俺も何かしますか?」
「アカツキさんは……何もしなくていいです」
下ごしらえの最中、アカツキが何度も自分の手に包丁を当てるのを見ていたので、アルは正直に告げた。アカツキに何かさせる方が、アルにとって精神的に負担がある。
アカツキはしょんぼりと肩を落していたが、少しホッとしているようでもあった。ブランの傍で一緒に鍋を監視することにしたらしく、調理台近くに椅子を引きずっていく。
「食事の支度を手伝わせるのも一苦労だね?」
「そうですね。まあ、暇を持て余して邪魔してこなければそれでいいので」
笑うマルクトに答えながら、アルはペンを握って紙に文字や線を書き写す。アルの前には精霊の光る文字が集ってできた魔法陣があった。これはそのままでは効力を示さないが、魔法陣を勉強する教材にはもってこいのもの。
「――よし、こんなものか」
模写した魔法陣を見下ろし、アルは頷く。これは時の魔力に干渉する理論が含まれた、空間魔法のひとつらしい。効果は【視認不可の空間を作る】ことだとか。およそ半径二メートルほどの円状に結界のようなものが張られ、視認を防ぐ。
アルがドラグーン大公国近くに造った家にも、似たような効果の魔道具を置いているが、あれとは全く理論が異なっている。
「じゃあ、次はこっちだ」
マルクトが指を振ると、魔法陣が霧散して精霊の文字が規則正しく並びだした。精霊による記録文書だ。時の魔力に干渉する理論の詳細を記したものらしい。
「時の魔力に干渉するには、その理論を理解することが必要だ。その上で魔力を認識する訓練を行う。というわけで、アルはまずこれを読み込んでね」
「……分かりました」
部屋中を巡るように精霊の文字が宙に浮かぶ。アルが読んだ分から消えていくので、要点はその都度メモしていかなければならない。しかも、アルは精霊の文字を読めるようになったとはいえ、得意と言えるほどではない。少しげんなりとしてしまった。
「俺はちょっと自分の研究をしてくるから、質問があったらまた後でまとめてしてね」
にこりと笑ったマルクトが嬉々とした様子で立ち去る。暫くアルに丁寧に付き合ってくれていたが、そろそろ研究意欲が抑えられない感じだったらしい。フォリオが言っていた通りの展開だ。精霊の文字をあらかじめ学んでいて良かった。
「ふぅ……。よし、読むぞ」
アルはペンを握りしめ、精霊の文字を目で辿った。
時の魔力は物質の基礎構成の魔力。それゆえ、本来は干渉が難しいのだが、時の魔力に干渉する理論を使えば可能になる。つまり、この理論は基礎的なもので、これを応用することであらゆる魔法に組み込めるようになるということだ。
魔法陣を簡易化させた形の詠唱式にするのは難しいだろうが、魔道具などに用いる分には問題ない。
マルクトが用意してくれた文書には、応用の例となる魔法陣もいくつか記載されていたため、アルもなんとなくその使い方を理解できた。あとは繰り返し使ってみて慣れるしかないだろう。
「――クインのためには、身体に含まれる時の魔力の【過去に向かう性質】を増やせばいいんだろうけど。それと同時に【未来に向かう性質】の魔力を抜かないといけないし。これ、ひとつの魔法陣じゃ済まないかも? 程よいところで、時の魔力の配分を戻さないといけないしなぁ……」
自分でまとめた紙を見下ろしながら腕を組む。
幾通りもの方法が頭を巡るも、どれも調整が難しそうだ。なにせ、クインの身体を過去に戻せたとしても、戻しすぎて赤子にしてしまうのは困るので。そうなっても未来に進ませればいいのではと最初は思っていたが、どうやらそれは難しいらしい。
過去に戻すことは、
悩むアルの元にマルクトが帰ってきた。なんだか楽しそうなので、マルクト自身の研究は思い通りに進んでいるのだろう。今何を研究しているのか少し気になる。
「どんな調子かな? ――文書は全て読んだようだね」
部屋に精霊の文字が残っていないのを見て、マルクトが満足そうに微笑む。窓を見ると空が茜色になっていた。もう夕方らしい。随分と長く読むのに集中していたものだ。
ブランたちはどうしているかと見ると、飽きた様子でうつらうつらとしながら、時折鍋を覗いて異常がないか確認している。静かなのは良いことだ。
「……読みました。大体の理論は理解できたと思います。こういう感じで魔法陣を組み立てることを考えているんですけど、上手く作動しない気がするんですよね……。それに、時の魔力のバランスを視認できないと、調整が難しそうで……」
アルは紙に走り書きしていた魔法陣を見せながら、今の悩みを告げる。
クインのことを知っているマルクトは、すぐにその魔法陣の利用法に気づき、難しそうに顔を顰めた。
「うぅん……時の魔力の視認、というのは難しいんだよね。感覚に任せるしかないというか。俺でも細かい調整は難しいし。その辺は妖精の方が得意かな……」
「妖精、ですか。なるほど……マルクトさんの妖精に協力してもらうことは可能ですか?」
期待を籠めて見つめると、苦笑を浮かべながら首を横に振られた。
「悪いけど、俺の妖精は異次元回廊に入れないんだ。クインがいるのはその中なんだろう? 魔力の調整のためには、実際に魔法陣を行使する場に妖精がいて監視してもらうのが一番なんだろうけど……俺の妖精も、精霊と同じで神の創造領域には入れないと理があるし」
「そうですか……」
残念な思いを隠せず呟く。これでは、例えアルが時の魔力の感知が可能になっても、細かい調整が難しくて、クインに魔法を掛けるのが困難だ。やろうと思えばできるが、あまりに危険性が大きい。
そこまで考えて、ふとマルクトの言葉に引っ掛かりを覚えた。それが何かを考えるために、一字一句脳内で反芻する。
妖精は精霊同様、異次元回廊の中には入れない。それは異次元回廊が神の創造領域だから。そのような理に縛られている。
「――神の創造領域に妖精は入れない? それはおかしい。アカツキさんのダンジョンも神の創造領域のはず。それなのに、妖精はいますよ?」
視界の端でアカツキが顔を上げた。名前に反応したのだろう。内容は把握していないようできょとんと瞬きをしている。
「……アカツキのダンジョンの妖精か……。それは本当に妖精なんだよね?」
「精霊の王に聞きました。あの空間の維持管理を担っているらしいですが」
マルクトと真剣な眼差しを交わす。導かれる結論は一つだろう。
「――もしかして……アカツキさんのダンジョンの妖精は、理に縛られない特例?」
「その可能性は高いね。恐らく、神が空間の管理者としてその者たちを認知して許容しているのだろう。それならば、異次元回廊にもその者たちが入れる可能性がある」
未来が開けた。興奮にも似た気分を抑えて、マルクトに微笑みかける。
「では、彼らに協力を要請して、受諾してもらえれば、時の魔力の調整は比較的簡単になりますね」
「そうだね。あとは、アルがその魔法陣を完成形に持って行き、時の魔力の感知が可能になればいいだけだ」
「……その問題がありました」
思わず笑みが引っ込む。
時の魔力の感知。それが今アルにとって一番の問題だ。
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