第261話 空間の空と時間

 おやつの片づけをして、外に向かったマルクトを追う。アカツキは二階にカーテンをつけに行ったようだ。


「ブランはどうするの?」

『うぅむ……肉は十分狩った。今日はもうのんびり過ごすぞ』


 アルの肩に乗ってだらりと寛いでいるブランは眠たそうだ。それならアカツキと一緒に二階に行って眠ればいいのに。数時間離れて過ごしたから、寂しいのだろうか。邪魔しないならいても構わないが。


 外では宙に魔法陣を描いて、マルクトが空の操作をしていた。暗い曇天が一瞬で青空に切り替わった、と思ったら、すぐに夕焼け空や夜空、朝焼け空と目まぐるしく変わっていった。


「うわっ。目が慣れない……」

『何やっているんだ』


 ブランの呆れ声が聞こえたのと同時に、二階の方からアカツキの叫び声が聞こえた。運悪く夜空に切り替わったところで転んでしまったらしい。何かにぶつかるような音が聞こえて、アルは反射的に身を縮めて振り返った。


「大丈夫かな」

『あいつは怪我しない。問題ないだろう』

「……そうだけど、そうじゃない」


 冷めた言葉を吐くブランは、やっぱりアカツキと仲が良いんだか悪いんだか分からない。もし、アルがアカツキのようなことになっていたら、同じように言うのだろうか。


「――アカツキさんと同じ感じのことをしてるって想像が、まずできないな」


 アルはアカツキのようなドジではないので。それはともかく、アルが危ない場面にぶつかったら、ブランはすっ飛んで来そうだと思ったところで思考を打ち切った。

 ちょうどマルクトの作業が終わったようだ。


「やあ、ここまで見に来たの?」

「はい。マルクトさんの魔法は気になるので。結局、どういう風に変えたんですか?」


 宙に描かれていた魔法陣は既にない。アルが知らない理論が多用されていて、ちらりと見ただけでは理解できなかった。


 ふむ、と頷きながら腕を組んだマルクトが、再び宙に魔法陣らしきものを描きだす。だが、それはよく見ると、精霊が使う光の文字の集合体になっていた。


「また魔法陣を描くと空が変わってしまうから、これで代用するよ。ここの部分を見てみて」

「そこは……空間魔法?」


 少し馴染みのある形式。アルは手元に取り出した紙に書き写しながら、分析を始める。鑑定を使ってみると、【空間を構成する理論が使われた魔法陣。空間の大きさは別途指定が必要】と出てきた。


「――なるほど。つまりこの空間の大本になっている理論ですね。では、その近くのこの部分が、空間の大きさを定めていて……大きさは、精霊の森を覆うくらい? それは凄い……。いや、精霊の森がどれくらいの大きさなのかは知らないですけど」


 ブツブツと呟きながら魔法陣を読み解いていく。マルクトは楽しそうにそれを眺めていた。親切に色々教えてはくれるが、アルなりに努めることをマルクトは求めているのだ。


『精霊の森か。我の住んでいた森や魔の森よりは小さそうだったな』

「あ、そうなんだ?」


 ポツリと感想を漏らすブランに、アルは意外さを籠めて返した。世界の魔力の管理を担っている精霊の森だから、もっと大きいのだと思っていたのだが。


「精霊の森が特に小さいというわけではないよ。ただ、生きた森は当初命ある者たちに恵みを与えるという役割を持って生まれたものだから、相応の大きさがある。魔の森は最初はだいぶ小さかったけど、汚れた魔力の増大――つまり人間が魔法を活用するようになってから、格段に大きさを増したんだ」

「魔の森は、汚れた魔力を感知して拡大する、ということですか?」

「というより、汚れた魔力を浄化する過程で森が創成されているんだよ。魔の森は魔力を吸収して拡大や修復、魔物の生成をしているから」

「結果的に拡大しているだけ、ということですか」


 人間が魔物を倒すために魔法を使い、そこで生じる汚れた魔力が新たに魔物を生み、魔の森を広げる。魔物と戦うのは仕方ないこととはいえ、何とも言えない思いが湧く。


「今はそんなことはどうでもよくて――」


 マルクトの声で、ハッと思考を切り替えた。魔法陣は未だ宙に浮かんでいる。アルはそれを読み解く作業中だった。


「ここが大本命。時間に関する理論だよ」

「時間! 時の魔力を操っているということですか」


 アルはマルクトが指し示す部分を凝視した。紙に書き写すのと同時に、鑑定してみたけれど、【生命の時を参照している】としか示されない。


「生命の時……?」

「おや、よく分かったね。……ああ、鑑定眼か。なるほど、稀有な力を持っているね」


 アルの顔を覗き込んできたマルクトが納得したように頷く。興味深そうに細められた目が、何かを考えるようにツイッと逸らされた。


「――生まれつき持った能力か。それも望まれたこと? でも、人間の身に、そのような操作をすることは難しいし……。神が干渉したのは、魔力の器だけのはず……?」

「マルクトさん? 鑑定眼がどうかしましたか?」


 普通の鑑定とは少し違い特殊な結果を示すことがある鑑定眼だが、マルクトがそれほど気にする理由がよく分からない。

 首を傾げるアルに、マルクトが「いや、今は分からないからいいや」と返して、元の話に戻った。


「――生命の時、というのは、人間などの命あるものたちの中にある、時の魔力の配分のことだよ。これを設定しておくと、大体外の世界の一日と同じ時間で空を変化させられる」

「時間という概念を空間に付与しているということですね」

「そう。この空間、やろうと思えば、時間を停滞させられるけど、それはさすがに王に怒られるから」

「怒られる? 停滞させるのはいけないことですか?」


 異次元回廊と外では時間の流れが異なっていたように、ここも外と時間を変えられるのだと理解したが、そこに王が干渉しているとは思わなかった。研究に熱中したいがために、マルクトならここで過ごす時間をできるだけ長くできるように調整しているのだと思っていたが、そういうことはしていないらしい。


「引きこもりが加速しかねないからね」

「ああ……そういう……」


 アルは瞬時に納得した。確かに、務めがあるから満月の時だけ外と接触を持っているというマルクトだ。いくらでも引き籠れるようになれば、マルクトの感覚で年単位外と接触を持たないなんて平気でやりそう。

 マルクトと同じ研究者気質だから、アルもよく理解できた。


『……納得する部分ではないだろうがな』


 呆れたように呟くブランから、アルとマルクトは同時に視線を逸らした。双方ともに、己の性質が一般的ではない自覚はあるのだ。


「……それで、先ほど空を短時間で切り替えていた意味はなんですか?」

「それは記憶させていたのさ」


 何事もなかったように話を戻したアルたちに、ジト目が向けられる。逃げたわけじゃない。ただ、学びを優先しただけだ。白々しい言い訳なのは分かっているが。


「記憶? ……つまり、生命の時の流れと空の状況を照らし合わせていた?」

「その通り。朝昼夜の時間帯とかその移り変わりの時間とか、様々な空を設定して、できるだけ自然に変わっていくようにしたんだよ」

「……外の空と同期させるのはさほど難しくなさそうだったのに、独立して変化させるのって結構大変なんですね」

「そうだね。本来、こういう空間を創って調整するのは、神の能力の分野だから。アルたちがよく知っている、アカツキのダンジョン然り、異次元回廊然り、ね」


 アルは頷いた。そう言われてみると、神の能力を魔法で再現しているマルクトの優秀さが理解できる。


「あれ? 呼びました?」

「呼んでないですけど……何を持ってきたんですか?」


 ひょっこりと現れたアカツキ。その手には箱のような物を持っていて、アルは少し嫌な予感がした。

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