第255話 マルクトの空間

 朝食後には、ようやくアルが待ちかねていた魔法や魔力についての話を聞くことになった。といっても、朝食の間で出てきた話の続きからだが。

 その気配を察知したブランが、そそくさと出掛ける準備をする。講義を聞く気がないのは元々分かっていたし、邪魔しないならそれでいい。


『我はアカツキのダンジョンに行ってくるぞ。そっちの精霊のためにも肉を狩ってきてやろう!』


 ブランが恩を着せるような言い方をする。マルクトは肩をすくめて聞き流していたが。アルは一応咎めるために、ブランの頭をグシャグシャと乱雑に撫でた。


「肉ならアイテムバッグにたくさんあるけどね。まあ、ここにいても暇だろうし、楽しんできなよ」

『昼飯は何にする?』

「今朝ご飯を食べたばっかりなのに、もう昼ご飯? というか、昼にこっちに帰ってくるんだね?」

「当たり前だろう! だから、その精霊との話に熱中しすぎて食事の支度を忘れるんじゃないぞ!」

「……分かってるよ」


 じろりと睨まれて視線を逸らす。どうやら、ブランはアルが食事をとらないことを危惧しているらしい。研究に熱中して食事を忘れる可能性があることは自覚しているから、言い訳もできない。


「アルさんも、こういうところはブランに勝てないんですよねぇ。熱中できる趣味があることはいいことですが」

「……アカツキさんのご予定は?」


 ニヤニヤして揶揄ってくるアカツキの言葉を、努めて聞き流す。この話題でアルが勝てないことは分かりきっていた。


「ダンジョンに戻って、寝室とかの家具やら何やら創ろうと思います! 希望はありますか?」

「アカツキさんにお任せします」

「了解でーす! 俺のセンスが問われますね」


 アカツキが悩ましげに腕を組む。突拍子もないことをやらかすこともあるが、アカツキのダンジョンでの部屋を見ても、基本的には使い勝手が良いものを好むと知っている。アカツキに任せても問題はないだろう。気に入らなければテントで使っていたものをここでも使えばいいのだ。


 それにしても、アカツキを精霊の森に招くために、精霊は色々と手を掛けてくれたはずだが、こうして別れて動き回っていてもいいのだろうか。アカツキの知識が必要になるのか、あるいはアカツキがここにいることが必要なのか分からないが。

 マルクトを見ると、アルの視線に気づいて小さく首を傾げた。


「マルクトさんは、アカツキさんが精霊の森に招かれた理由が分かりますか? わざわざ手を尽くして森にいれてくれたのですから、何かしらの役目があるのかと思ったのですが」

「うぅん? 俺は、そちらの道筋にはあまり関わっていないからよく分からないけど……。おそらく、アカツキが普段永遠の牢獄で動き回る分には問題ないと思うよ。外の世界を自由に動き回ろうとするなら止めるけど。アカツキの存在が必要な時に、すぐ手の届くところにいればいいんじゃないかな」

「存在が必要な時……?」


 マルクトも曖昧にしか分からないようなので、これ以上尋ねたところで意味はないのだろうが気になる。

 アカツキも「むむっ……」と考え込んでいたが、すぐに思考を切り換えたようだ。ブランを腕に抱えて、屋敷の外へと足を向ける。


「よく分からないし、考えても無駄な気がするんで、とりあえずダンジョンに行ってきまーす。アイテムバッグお借りしていきますね~」

『おい! 我は自分の足で歩けるぞ!?』


 バタバタと暴れるブランを抱き締めて、アカツキがにこにこ笑った。


「いいじゃないですか~。たまにはもふもふの癒しをくださいよ」

『……ふんっ、我の毛並みは最高だからな。たまには味合わせてやってもよかろう』

「さいこうさいこう。なんてすばらしいもふもふなんだー」

『ふざけてないか? 本気で思ってるか?』

「ふざけてないない。本気本気」


 絶対に適当な返事だ。その前の言葉は棒読みそのものだっただろう。

 そんなアカツキの言葉に呆れつつも付き合って大人しく抱き締められてやるのだから、ブランもそれなりにアカツキのことを気に入っているのだろう。

 和やかな雰囲気を感じて、アルは思わず微笑んだ。


「いってらっしゃい」

『アル、昼飯では甘味も食いたいからな!』

「お、いいっすね~。果物好きな精霊さんもいるし、果物ふんだんに使ったものがいいっす!」

「はいはい、分かりました」


 去り際のリクエストに苦笑しながら見送った。

 アカツキとブランがいなくなった途端、急に静けさを感じる。あの二人は生命力に満ち溢れていると改めて感じた。

 マルクトはホッと一息ついたようだ。想像以上に人付き合いがいいと思っていたが、やはり静かな空気の方を好んでいるのだろう。


「――さて、まずはアルが疑問に思っていることを聞こうか。朝食前に、何か聞こうとしていただろう?」

「ええ、知りたいのはこの空間のことなんですけど」


 食材を入れているアイテムバッグを探りながらマルクトと話す。甘味がほしいと言っていたし、昼食の準備をしながら話を聞くつもりだ。実践がないなら、作業しながら聞くのが最も効率がいい。


「この空間?」

「ええ。マルクトさんは、この空間はひとつの世界で、ここだけで魔力の循環が成り立っていると言っていましたが、その理由はなんですか? 隔離する必要性があるんですよね?」


 アカツキのダンジョンと接続する際も、外的影響を極力避けるとか言っていた気がする。おそらく、この空間が外の世界から隔離されていることに大きな意味があるのだと感じていた。


「そうだね。……世界の魔力量は常に一定という話は聞いた?」


 話し出したマルクトに頷きながら、作り置きのパイ生地を型に詰める。アプルパイを作るつもりだ。

 フォリオが作ってくれた焼きアプルで使われたスパイスのレシピを妖精に教えてもらっていたので、アプルパイで試してみたかったのだ。それにフォリオが好んだ味ならば、同じ精霊であるマルクトも美味しいと思ってもらえる可能性が高い。


「魔力は万物に含まれる。基本的には物質に含まれた魔力は空気中に放たれないけど、例外が物質の消失と生命体だ。物質の消失とは、その言葉通り、物質の存在が保たれないこと。焼失したり、分解されたり、色々だけど、視覚的に見えなくなったものだと思ってくれていい。その状態になると、物質を構成していた魔力は空気中に放たれ、世界を漂い、いずれ新たな物質の構成に使われる。この魔力を、俺は【物質構成魔力】と呼んでいる」

「魔力に種類があるということですか……」

「ああ。大きく分けて二種類だね。物質を構成するか否か。物質の構成に関わらない魔力は、更に細分化できるけど……それは適宜解説しよう」


 苦笑を返す。確かにこのまま聞くと、質問の答えにいつまでも辿り着けない気がした。


「――生命体もまた、【物質構成魔力】を含んでいるけど、それと同時に【物質非構成魔力】も持っている。魔法に使う魔力とかだね」

「なるほど。確かに放たれる魔力ですね」


 アル自身も大きな魔力を持っていて、それは抑えなければ自然と空気中に放たれていくものだ。もちろん、魔法を使うことも、自身の魔力を放つことと同義。


「つまり、空気中には様々な魔力が常に流動的に存在することになる。その濃度を一定に調整するのが、精霊の森の役割のひとつ。世界の保全のために必要なんだ」

「……なかなか、大変そうですね」


 常に流動する魔力を監視して調整するなんて、どうやればそんなことができるのかと想像もできない。


「植物の光合成と同じようなものだよ。二酸化炭素を吸って酸素を吐くように、精霊は魔力濃度が高い時は吸収し、低い時は放出する」

「本体が樹木の姿であることを考えると、違和感がない例えかもしれない……?」


 思わず苦笑するアルに、マルクトが肩をすくめた。アルの感想にコメントすることなく、質問の答えに迫る。


「まあ、そうやって調整していても、時に対処しきれない時がある。ここは、その時のための空間だよ。ここには精霊の処理能力以上の魔力が蓄えられていて、また、まだ魔力を蓄えられる空き容量もある。必要な時は外と接続して、魔力の調整をするんだ」

「……世界の魔力調整に関する外部装置ということですか」


 思った以上にマルクトが管理する空間が大きな意味を持っていることを知って、アルは驚いて作業の手を止めた。

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