第254話 精霊の味覚

 完全に余談だが、アルは朝ご飯をしっかり食べるタイプだ。もちろん、ブランのようにというほどではないが。

 主食がパンなら、卵料理とちょっとした肉料理、スープ、サラダがほしい。コメを食べるなら、魚を焼いたり、具だくさんミソスープを作ったり。

 その日一日の活動のエネルギーになるものなので、多少手間がかかろうときちんと食べたい。


 マルクトが用意してくれた調理場に、魔道具の設置も終わって、さてとアイテムバッグに手を掛ける。


「――朝食は何を食べたい?」

『肉!』

「お味噌汁! だし巻き玉子! 卵かけご飯も捨てがたい……」


 毎度の答えのブランはともかく、アカツキはニホンの料理がいいらしい。やはり故郷の味が一番馴染むのだろう。

 アルは故郷の味といっても、さほど思い入れはないが。香草を使った料理なんかが故郷の味と言えるのだろうか。よく作るが特別好きというわけではない。なんなら、ドラグーン大公国の辛みのある料理の方が好きだ。ミソやショウユを使った料理もそれに並ぶくらい好きだが。


「じゃあ、お肉を入れたミソスープと卵料理をいくつか作りますね。卵かけご飯はお好きにどうぞ」


 まずはコメ用意して魔道具で炊いておく。

 ミソスープの具材は、肉とイモ、ニンジン、オニオン。ジンジャーを入れて、いつもと一味変えてセサミオイルで風味づけをする。

 卵料理はオムレツ。シンプルなプレーンのもの。アカツキ希望のダシ入りのもの。甘辛のひき肉を包んだ、ブランが好みそうなもの。とろけるチーズを入れたもの。刻んだ野菜を混ぜたもの。

 ソースはトマトソース、オニオンショウユソース、チーズソースをお好きに。


 ブランに肉が足りないと言われそうだと思い、肉団子も作った。味付けはケチャップとショウユとビネガーを使った甘辛ソースの二種類。


 ――グー……。

 どこかから聞こえた音に、調理の手を止める。調理台の端で、洪水のようによだれを垂らしたブランが料理を凝視していた。その胴体を掴んで引き留めているアカツキも、視線は料理から離れない。

 昨夜遅くにお茶会をしたというのに、もうお腹が空いてしまったようだ。


 マルクトはどうしているかと見ると、昨夜同様精霊の文字で記録をとっていた。一瞥で読めるほど精霊文字に精通していなくて内容は分からない。何をそんなに記録しているのか。料理本のように一から十まで調理手順を記録しているわけでもあるまいに。


「――……できましたよ。向こうに運んで食べましょう」

『ここで食えばいいんじゃないかっ?』


 待ちきれない様子のブラン。その頭を撫でて宥めてから料理の皿を持つ。たくさんの皿に載せているので、アルも少し運ぶのが面倒だなと思った。


「これを運べばいいんだね?」


 アルの思いに気づいたのか、それともただの効率重視なのか。マルクトが指先を動かして魔力を操る。料理を盛った皿がふわりと宙を泳いで、隣の部屋のテーブルに向かった。フォリオもよくしていた、精霊らしい魔力の使い方だ。


「……それ、便利なんですけど、魔力の無駄遣いにも感じるんですよねぇ」


 僅かに呆れて呟くアルに、マルクトが肩をすくめた。


「ここで使う魔力は完全に再利用可能なんだよ。元々精霊が使う魔法は、魔力の汚れをほとんど生まないけど、ここの魔力はこの空間でほとんど世界が完結しているから。使った魔力はすぐさま汚れを浄化して、再び利用可能になる」

「……よく分からないんですけど――」


 炊けたコメを皿についで、それをトレイに載せて運びながら首を傾げる。アルの足元をブランが駆けていった。それを追うアカツキも軽やかな足取りだ。朝ご飯しか視界に入っていない。


「ここの魔力は、この空間の外へほとんど漏れていないということですか?」

「ああ、そうだよ。ある意味で、ここがひとつの世界のようなものさ。外の世界で精霊の森が担っている魔力の浄化のための装置があって、魔力が停滞しないように常に流動させている」

「ひとつの世界……」


 隣の部屋に入った途端、窓から外の草原が見えた。生き物が一切いないことを除けば、魔力的にはひとつの世界といえるらしいこの空間。改めて、マルクトが何故このような空間を作ったのか疑問に思う。


「どうして、そのように隔離した空間を――」

『アル、早く食うぞ!』


 ブランの声がアルの問いを遮る。思わず苦笑してしまった。だが、同時に、マルクトについて知るのは急ぐ必要はないと思い出した。時間はいくらでもあるのだ。まずは冷めない内に朝ご飯を食べよう。


「はいはい。そう急かさなくたって食べるよ」


 それぞれの前にコメを置き、椅子に座る。アカツキがパチンと手を合わせた。


「ではでは、いただきまーす!」

『アル! 我は肉の入ったオムレツがほしいぞ! ソースはチーズをくれ。肉団子もたくさんがいいぞ!』


 大皿に各種盛ったので、ブラン用に取り分けなければならない。言われるがままに大量のオムレツと肉団子を取り皿に載せてやり、ついでにミソスープとコメを勧めておく。コメを食べた方が早くお腹が膨れるだろう。


「ふーん? ひとつの料理に好みでソースをかけて味を変えるのか。……なるほど、飽きを防いで、食欲をそそるのか。彩りもいいね」


 アルたちの様子を見て学んだのか、マルクトがマイペースで食事を始めた。フォリオ同様、肉はあまり好まないのか、シンプルなオムレツとダシ入りオムレツを食べ比べ、トマトソースやチーズソースをかけて、味を変えつつ食べ進めている。


「口に合いますか?」

「ああ。このオムレツの風味がいいね。何が入っているの?」

「それは、ダシというもので……アカツキさんのところで採れる、カツオブシとコンブで作った液体調味料のようなものですよ」

「んん? よく分からないけど、魔力の割合が大きい味がする。創造の能力で創ったものかな」


 マルクトが首を傾げる。アルは目を瞬かせて驚いた。ダシの材料が創造の能力で創られたものだと判別できるとは思わなかったのだ。しかも【魔力の割合が大きい味】とはなんだろう。まさか、精霊は味覚で魔力を感じとれるのだろうか。

 アカツキも口いっぱいに卵かけご飯を詰め込んで、もぐもぐと咀嚼しながら首を傾げていた。


「……魔力って、味がするんですか?」

「するよ。……え、人間は感じとれない?」


 マルクトの目が見開かれる。思わず真顔で顔を見合わせた。まさかのところで、人間と精霊の違いを感じることになった。

 魔力の味とはどんなものだろう。アルもダシ入りオムレツを食べてみるが、豊かなダシの風味を感じるだけで、魔力の味を感じることはできなかった。


「……万物に魔力は宿るんですよね」

「そうだね。世界にあるもの全て、魔力を含む。逆に言うと、魔力が存在しないものは、この世界に存在し得ない」

「ということは、精霊は何を食べても魔力を感じとれるんですか?」

「感じとれるだろうね。精霊にとって、元々物を食べるという機能は、魔力の濃度や清濁度を測るためだから。果物や卵、ミルクとかを食べて、世界の魔力を確かめているんだ。まあ、今はそんな意味合いではなく、一種の娯楽と思っている者ばかりだろうけど」


 魔力の濃度や清濁度を味覚で測る。

 昨日の妖精との会話でも、世界の汚れた魔力の割合を気にしていたようだから、魔力の管理を行う精霊らしい機能なのだろうか。

 それはそういうものなのかと納得するしかないが、味覚が違うとなると少し不安が出てくる。アルなりの味つけで料理を作っているが、本当に美味しいと思っているのだろうか、と。


「……本当に、美味しいですか?」

「美味しいよ。少なくとも、不快感はないからね。このスープに入っている肉は、アカツキのところの創造の能力で創られたものだろう? 精霊は基本的に肉を食べないけど、これなら食べられる。普通の魔物の肉と違って、汚れた魔力を含んでいないから」


 よく分からないが、肉とは言っても精霊の味覚上では大きな違いがあるらしい。ブランにねだられて何も考えずに肉料理を出してしまったが、食べられるなら安心だ。これからはアカツキのところで獲った肉を料理で使うようにしよう。


『……他の魔物の肉も旨いのに、可哀想なやつだな』

「暴食の獣と違って、食べられなくても困らないから、哀れむのはやめてくれるかな?」


 ブランの眼差しに苛立ったのか、僅かに目を細めたマルクトに気づいて、慌ててブランの頭を叩いて謝らせた。

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