第253話 精霊の創造

「――朝ご飯というものを見せてほしい」


 起きてすぐ、アルはテントの外に広がる光景に呆然としていた。

 そんなアルに、マルクトが微笑みながら頼んでくる。だが、少し待ってほしい。アルには状況を整理する時間が必要だった。


『お、おお……? いつの間にやら、家があるぞ……』


 アルの足元であくびをしていたブランも、ポカンと口を開ける。それも仕方ない。

 昨夜まで広い草原だったのに、屋敷ができていたのだ。そんな光景を見れば誰だって驚く。しかも、そんなに大きな物を造る音なんてしていなかったのだから。


「ああ、これかい? 昨日、人間の家について尋ねた妖精がいただろう。その子が、俺の質問に答えられなかったのが悔しかったらしくて、調べ回ってくれたんだよ。それを元に創造魔法で作ってみたんだけど、どうかな?」

「……創造魔法。……え、魔法で造れるんですか。あ、アカツキさんとかサクラさんみたいなことか……?」

「うん? まあ、神ほどではないし、制限もあるけどね」


 軽く答えるマルクト。アルは思わず遠くを見つめた。この草原に果てはあるのだろうか、なんて現実逃避したことを考える。

 だが、ふと凄いことに気づいた。創造魔法が本当に魔法なら、アルでも使えるのではないか、と。アカツキのように魔力から有形物が作れるというのを、実は羨ましく思っていたのだ。生命体を作る気はないが。


「それ、僕も使えますか?」

「創造魔法を? うぅん……? 精霊でも使える者は限られているし、人間の身で使えるかは……?」


 消極的な答えに思わず肩を落とす。そんなアルに同情したのか、マルクトが軽やかな笑い声を立てて、言葉を続けた。


「でも、挑戦するのは自由だと思うよ。使えるかどうかはともかく、学ぶことに制限はない。その知識が他で応用できる可能性もあるし、興味とやる気があるなら教えてもいいよ」

「ぜひ!」


 食い気味で答えながら身を乗り出すアルに、マルクトが更に愉快そうに笑みを深めた。


「学びに熱心なことは素晴らしい。――でも、その前に、朝ご飯だろう?」

「あ、そう言っていましたね。朝ご飯について、マルクトさんに話しましたっけ?」


 ようやく朝一に告げられた言葉について聞けた。マルクトが屋敷の扉を開けるのを見て、その後に続く。


「いや、それは妖精から聞いたよ。人間は朝昼晩の三食の食事をとるんだろう?」

「それは人それぞれではありますが。僕は三食ですね。間食もとることがあります。あ、間食というのは、昨日のお茶会みたいな、お菓子とか軽食のことですね」

「ふぅん? 思った以上に、人間って食事をたくさん必要とするんだね?」


 ぱちりと目を瞬かせるマルクトに苦笑を向ける。ほとんど食事を必要としない精霊からすれば、確かに多いだろうと思う。というか、普通の人間から見ても、アルの食事は多い方だろう。貧しいところだと、一日一食なんて生活をしている人間もいる。


 屋敷は玄関ホールから奥へと廊下が続いているようだ。どこの建物を参考にしたのか分からないが、二階に続く大階段や窓枠の装飾など、だいぶ凝った造りに思える。

 奥へ進むマルクトの後を、周囲を観察しながら歩いた。


「僕の場合は、ブランが頻繁に食べ物をねだるので、普通の人より多いかもしれません」

「……ああ、その狐、王に【暴食の獣】なんて呼ばれているんだろう? 解剖して内臓を調べてみない?」

『なんってことを言うんだっ!?』


 マルクトが揶揄の混じった目をブランに向ける。毛を逆立てて警戒するブランを見て満足そうだ。

 出会う前は、研究一筋であまり人付き合いが得意ではないのだろうと予想していたが、マルクトは案外茶目っ気がある。


「……気になりますが、やめておきましょう。知ってはならない真実というものも、この世にはあると思うんです」

「なるほど。それは真理だ」


 アルのわざとらしく重々しげに告げた言葉に、即座に同じ調子で返してくる姿にも、親しみ易さがある。


 玄関ホールから続く廊下の先には調理場があった。給水、排水設備や火をおこせる場所はあるが、結構がらんとしている。


「人間の文化の再現率が高いと思っていましたが……ここはそうでもないんですね?」


 思わず尋ねたアルに、マルクトが肩をすくめた。


「昨日の様子を見て、アルの料理を作るという作業には、経験による最適化があると判断した。使っている道具にもね。料理を作ったことのない俺みたいなのが、アルが満足できる物を創り出せるとは思わない。それなら、ここを使うアルが使いやすいように、改変させる余地を残しておく方がいいだろう?」

「……なるほど。ご配慮ありがとうございます」


 人間について大して知らないとも、人付き合いが悪い人とも思えない気遣いだった。アルの調理の様子を見て、そこにこだわりがあることに気づくのは、研究者としてさすがの観察眼だ。


「ちなみに、寝室? とか、私室? とかって言われる部屋も、中身はほとんどないよ。人間は寛ぐ空間にもこだわりがある場合があるって、妖精が言っていたから」

「ありがとうございます。後でアカツキさんに頼んで色々と揃えてもらいます」

「うん、そうするといい。俺が創るより、人間の生活に詳しい彼が創る方が良い出来になるだろう」


 話が一段落ついて、アルは早速、アイテムバッグにしまっていた調理用魔道具を調理場に設置していった。ここには食事をとるようのテーブルがないが別の部屋だろうか。


「食事はどこでとりますか?」

「隣に部屋があるよ。テーブルと椅子は用意しておいたけど、もっと正式な晩餐? とかいう用の部屋がほしいなら、二階に大きな部屋もある」

「いや、それは料理を運ぶのが面倒なので……」


 調理場の近くに部屋を用意していてくれたことに内心で安堵して、マルクトが指さした扉を見た。調理場から廊下に出ずに行けるというのも、なかなか良い間取りだ。

 ブランが走って行って扉を開ける。マルクトが言った通り、椅子とテーブルが並んでいた。部屋はそれほど広くないが、外に面した窓が大きくて、明るい光が降り注ぎ、開放的で居心地良さそうに見えた。


 これを妖精からの知識だけで創り上げたマルクトは凄い。その思考の柔軟さが、研究にも活かされているのだろうか。


「――……ん?」


 どこかからドタドタと騒がしい足音と、慌てた気配が伝わってきた。それは声を張り上げながらこちらに近づいてきているようだ。


「アルさーん……! アルさん! いた!」


 不安そうな表情を一気に歓喜に変えたアカツキが、調理場の扉から顔を覗かせた。

 それを見ながら、アルは「そういえば、屋敷ができていることに驚いて、アカツキさんに声をかけ忘れていたなぁ」と呟く。言い訳をしていいなら、アカツキが起きなかったのが悪いし、アルを驚かせたマルクトにも原因がある。


「ひどいっすよぉ、置いてけぼりなんてぇ……」


 ふぇんと泣き真似するアカツキをマルクトが不思議そうに見つめていた。泣き真似という概念を精霊は知らないらしい。知らなくても良いことだとは思う。


『朝から騒々しい奴だな。ここに敵性のものはおらんのだから、そう慌てることもあるまいに。だからお前は馬鹿なんだ』

「そんなこと、俺には分からないっすよ! 気配読むとか、俺にはできませんからね!?」


 一転して怒り出すアカツキ。ブランはそれを尻尾で叩いてあしらっていた。怒りを煽っているだけな気もする。


「……なんというか……生命体というのは、感情が忙しないね……?」

「いや、アカツキさんを一般的だと思わないでください。だいぶ特殊な人ですからね?」


 一緒にされたくなくて強めの口調で言うと、アルとアカツキを見比べたマルクトは、深く納得したように頷いた。


「なるほど。精霊にも個体差というものはある。画一的に見てはいけないということだね」

「その通りです」


 誤解が生まれなくてなによりだ。アカツキみたいな振る舞いを一般的だと思われたら、人間として不名誉極まりない。

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