第252話 精霊の適応力

 マルクトに人間についての基礎的なことを話していたら、ようやくこの場の環境がアルたちに適さないと分かったらしい。悩ましげに首を傾げるマルクトを、アルたちはお茶を飲みながら見守った。


「家……家具……時間……」


 どこかから妖精たちが近づいてくる。そういえば、アルたちと入れ違いに外に出ていた気がするが、帰ってきたのだろうか。


『見回り完了しました』

『森周辺に異常なし』

『世界の一点において歪みが継続しています』

『穢れた魔力の比率が五%上昇しています』

『魔の森の面積の大陸比率が一%上昇しています』

『空気中魔力濃度に変化はありません』


 アルの知る妖精たちと違う。妖精とは皆、もっとふわふわした感じだと思っていた。ブランとアカツキもポカンと口を開けている。


 ビシッと規律正しく報告した妖精たちに、マルクトが視線を上げた。


「ご苦労。穢れた魔力の上昇は気になるね?」

『悪魔族の活動と帝国の動きが関連していると思われます』

「魔法の乱用の影響かな。悪魔族が変な物を生み出していないといいけどね。……君、次の満月まで偵察して来て」

『承知しました』


 身を翻した妖精が一筋の光になって消えていく。妖精はこうして精霊の手足や目となって働いているのだと目の当たりにした。


「魔の森の拡大は穢れた魔力の上昇によるものだろうし、この調子だと次はもっと拡大しそうだな」

『近くの人間集落が侵食される可能性がありますが』

「ああ。……それって、人間にとって困ること?」


 不意にマルクトから視線が向けられた。アルは苦笑する。人間に全く興味がなかった時なら、おそらくすぐさまその報告を聞き流したのだろうと悟ったのだ。


「困るでしょうね。でも、魔の森の近くに住んでいる者は、多かれ少なかれその危険性を知って覚悟はしているはずです。だからこそ、魔の森の脅威への対処法は日々練られていくし、人間は成長していく。ですが、これは大局的な見方で、実際に脅威に面している人間は、ただ助けを求めていることも事実です」

「……神が人間に求めたことそのままだね。人間は困難を与えられることで成長する。でも、その過程で淘汰される者も当然出るわけだ」

「それが神が創った世界の形なのでしょうね」


 神は、誰にも何にも傷つけられない世界を創ることだってできたはず。それでも生命体の自力での成長を願って、完全に守る形にはしなかった。


「……精霊の役割は神の求めた世界の形を維持管理すること。それ故に、人間への興味関心を抱かないようになっているのかもしれないね。私情が入ると正しい判断ができなくなる」


 マルクトが呟いた。結局、魔の森拡大への対処はしないようだ。それが元々精霊の役割でないからなのか、それとも神の意に沿ったからなのかは、アルには分からなかった。


『至宝の方へのご報告はどうなさいますか?』

「……魔力に大きな異変なし。監視を継続する」

『承知しました』


 また一人、妖精が一筋の光になって消える。話の内容的に、精霊の王の元に報告に行ったのだろう。

 妖精は元々精霊の王の情報源になっていると聞いていたが、こうしてマルクトが中間的な情報のとりまとめをしているようだ。人間的な情報には疎いようなので、その分野の情報を担っている精霊が他にいるのかもしれない。


「あ、そうだ。人間の一般的な家や部屋の情報はある?」

『……私の務めの対象外です。他の妖精からの情報を収集しますか?』

「ああ……いや、やめておこう。他の精霊も人間の生活様式にはさほど興味がないだろうし、あまり情報がなさそうだ」


 軽く手を払ったマルクトに、妖精たちが頷いて飛んで行った。マルクトの本体の木に向かったようなので、いつもはそこで待機しているか、何かすることがあるのだろう。


「考えたんだけど――」

「はい、何でしょう? 家とかなら、僕はテントがあるので問題はないですよ?」

『我はもっと居心地が良いところがいいぞ! 後、暇を潰せるものがほしい!』

「あー、俺は、自分のとこのダンジョンに気軽に帰れたら嬉しいかなぁ、なんて」


 アルたちのここでの生活に、マルクトが何かしてくれようとしているのを感じて、ブランやアカツキがここぞとばかりに自分の意見を主張する。その遠慮のない振る舞いに、アルは苦笑した。

 マルクトに慣れたからなのだとは思うが、まだ会って少ししか経っていない。さすがにのびのびしすぎだろう。


「うん。家はとりあえずテントにしてもらうとして。ダンジョンってなに?」

「あ、俺がいた永遠の牢獄ってとこですよ。魔力で色々創れるから、ダンジョンみたいって思って」

「そのダンジョンという言葉が分からないけど……今のところはいいや。そこに行くのは暇潰しにもなるの?」


 尋ねたマルクトの言葉に、アカツキとブランが顔を見合わせる。アルは「その手があった」と呟いた。

 アルがマルクトから魔法についての教えを受ける時間、ブランたちはどうしても暇になる。この場には戦えるような相手もいないだろうし、ブランがすぐに飽きるのは目に見えていた。それをどうするかなと考えていたのだが、アカツキのダンジョンに解き放ってしまえばいいのだと気づく。


「転移魔法で……あれ?」


 アカツキのダンジョンに置いた印を把握できない。つまりここからでは転移できないということだ。魔法の発動自体が阻害されているわけではないので、異次元回廊とはまた違った感じがする。


「無理だろうね。完全に空間を隔てているから。でも、ここをこうやって――」


 マルクトが宙に魔力で線を描いた。緻密に組み合わさっていく魔力の線は、次第に魔法陣の形をなし、指が止まったところで一気に魔力が放たれる。


「――完璧。空間の抜け道だよ。あまり外と接するとここが外的影響を受けやすくなってしまうから、君のダンジョンとか言うところにだけ繋げている。好きに使いなよ」


 アルは目を見開いて魔法陣が浮かぶ宙を見つめた。空間の魔力を取り込み続けて、魔法陣を消さない限り、半永久的に維持される仕組みのようだ。

 まだ理解できない魔法理論が組み込まれているようで、その全容は分からないが、おそらくアルたちが精霊の森に来たときのように、魔力による道が魔法陣の奥に続いているのだろうと思う。


「え、この魔法陣どう使うんです?」

「普通に歩いて魔法陣を通り抜けて行くといいよ」

「……それ、全然普通じゃないっす。でも、ありがとうございます」


 アカツキとマルクトの会話を聞きながら、理解できていない部分の分析を続ける。質量のあるものの移動に関する理論に似ているが、アルが知るものと合致しない部分があった。


『――アル……アル! 未知のものに関心を持つのはいいが、あまり集中しすぎるんじゃないぞ? 飯も睡眠も疎かにするな』

「……うん、大丈夫」


 ブランに呆れたように注意されて、目を逸らしながら頷く。一瞬でマルクトの魔法に集中してしまったのが分かっているだけに、真正面から約束を交わせる自信がなかった。


「おや、それはよくないね。人間の身には睡眠も食事も大切なのだと俺に教えたのはアルだろう? そこはきちんとしてもらわないと」

『常識外れの精霊が、まともなことを言っているだと……!?』


 ブランが毛を逆立てて驚愕する。それをマルクトが半眼で見据えた。機嫌を損ねたらしい。


「失礼な狐だね。知識は常に更新され、あり方も柔軟に変化するべきものだ。俺だって、人間のあり方を学べば、それに合わせることだってできるんだよ」


 呟いたマルクトが再び魔力で魔法陣を描く。その完成と共に、空が暗くなり星が煌めいた。宙では、記録用の光の文字がライトのように辺りをほのかに照らす。


「外の世界の空と同期させたよ。さあ、もう夜中だ。人間は眠る時間だろう?」


 にこりと微笑んだマルクトに圧を感じる。空を操作した魔法陣もしっかり観察させてもらいたかったのだが、既に消えてしまっていた。

 アルは渋々頷いてテントの用意を始める。アカツキは悩んだ末に、一度こちらで寝てからダンジョンに戻ることに決めたようだ。朝ご飯を狙ってのことかもしれない。

 明日は朝一で魔法陣について質問しようと決めて、アルはなんとなく落ち着かない気分で一日を終えた。

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