第251話 精霊と食

 休息とは何か。


「――そもそも人間は、何故活動時間が制限されるのだと思う?」

「睡眠や休憩をとらないと、活動に支障が出てくる理由ですか。……肉体を持っているから?」

「そうだね。それが俺たち精霊と大きく違う点だ。精霊のこの姿はある種の精神体。魔力により形作られたものであって、明確に肉体があるわけではない。つまり十分に魔力があれば、この身体の維持や思考に支障はないということ――」


 クリームを混ぜているアルの作業を眺めながら、マルクトが滔々と語る。初めの内はアルもこの調子に戸惑ったが、慣れてくると楽しく感じてきた。

 マルクトと論理展開の仕方に馴染みがあったからだ。アル自身、魔道具を作る時や魔法陣を考える際、細かいところまでこのように思考を突き詰める。


『アル~、茶会はまだか~』

「作り置きでよくありません?」


 作業台を囲むブランとアカツキは完全にマルクトの話を聞き流しているようだが。二人は頭を使う作業を好まないのだから仕方ない。


「だって、マルクトさんが作業も見たいって言ったから」

『ぬぉ……細部にこだわる研究バカめ……』

「待って……これ、お茶会が開催されるまでにどれくらいかかるんすか。つか、今は何時……?」


 草原で寝転がり始めるブランの隣で、アカツキが頭上を見上げた。


 空は青から藍、紫、赤、橙など次々に色を変えていく。そこに時間の干渉はなさそうで、マルクトに聞いてみると、光の研究をしていた時に、虹の原理に興味を覚えて、白の光から各色の波長を取り出して一つずつ放つようにしたとのこと。原理は分かっても、何故そんなことをしたのかについての理解は及ばなかった。アルはこの短時間で『マルクトさんだから』という魔法のような納得の言葉を覚えた。


 とにもかくにも、この場での空の変化は時間を推し量る材料にはなりえない。今が何時かは分からないということだ。

 そもそも休息が必要ないマルクトに、時間の概念も必要ないのだから、それを知る術が設定されていないのには納得できる。


 満月の日しか外と接触を持たないのは、研究を邪魔されたくないかららしい。その上で、マルクト自身も精霊としての務めがあるので、満月の日だけはそれを行うと決めているとか。だから、この場の空には外と同期させた月が浮かんでいる。

 マルクトの精霊としての務めが何かという問いには「アルには関係のないことだよ」の一言だったが。


「――精霊に対して、人間などの生命体は非常に不自由にできている。食事や睡眠がなければ生命維持ができないし、肉体が不可逆的に傷つき活動に大きな支障が出ることも多い。神は何故このような生命体を創ろうと考えたのか。……それは神が思う生命体というものが、そのような理を抱いた存在だったから。神はどこでそのような生命体の姿を知ったのか。……やはり異なる世界の存在が大きいのだろう。この世界は決して原初の世界ではなく、神は他の世界を模倣したものと考えられる」


 マルクトはどんどん自分の思考に沈み込んでいきながらも、アルの作業の観察も怠らなかった。

 マルクトの傍では二種類の光が走り続けている。人間や神についての思考を書き綴る記録と、アルの作業を文章に起こした記録。同時進行でできるのは凄いが、アルは真似したくない。これは精霊だからできることだと思う。


「――いや、フォリオさんにはできなさそう。やっぱりマルクトさんだから、か」

『……ケーキを作りながら色々考えられるアルも、我にとっては十分おかしいがな?』

「え? ……失礼な。これは慣れだよ」


 アルの手元では見事なデコレーションケーキが出来上がっていた。普段食事をとらないマルクトに食べてもらう物ということで、目で見ても楽しめる物をと張り切ってしまったのだ。

 艶々のベリーの赤色が白いホイップクリームを鮮やかに彩る。クリームは甘さ控えめ、スポンジはシフォンケーキのようにふんわり軽やかな仕上がりにしたので、少食の人でもペロリと食べられるに違いない。


 続けて、チョコレートの加工を始める。ドライフルーツを練り込んだり、生クリームを混ぜて柔らかく滑らかにしたり、ナッツを入れて食感を楽しくしたり。

 他にも同時進行で焼いていた一口サイズのフィナンシェやブラウニー。タルト生地にはフルーツやカスタードを入れて焼き上げてある。

 甘いものだけでは飽きるだろうと、一口サイズのサンドイッチやミニグラタン、サラダ、スープ、ポテトフライ、白身フライなど、塩気のあるものを用意。

 飲み物は紅茶、緑茶、ハーブティー、フルーツジュース、野菜ジュースなど。これはそれぞれに聞いて淹れればいい。


 マルクトはお茶会の様式も知りたいのだろうと、今回は上流階級で好まれるアフタヌーンティー形式にした。

 三段トレイに作ったものを並べ、クロスを敷いたテーブルの中央に設置。取り皿などカトラリーを順に並べる。

 デコレーションケーキは、折角だからまずはホールのまま楽しんでもらおうと、トレイの横に。


「――できた」

『おお! いつもより豪華で上品だな』

「女の子が好きそう……。これ、写真撮って見せびらかしたいやつ」


 いそいそと椅子に座るブランとアカツキ。アルは興味深げに観察しているマルクトのために椅子を引いた。


「マルクトさんもどうぞ座ってください」

「では、失礼して」


 マルクトは椅子を普段使うことはなくても、使い方は知っていたらしい。アカツキを真似ただけかもしれないが。

 ゆったりと座るのに合わせて椅子を押し、アルも自分の席に座る。ブランに軽食やスイーツを取り分けてやりながら、自分の食事も始めた。マルクトの察しの良さを考えると、手順を口で説明しなくても勝手に理解してくれるだろう。


 マルクトはデコレーションケーキを眺め、彩り豊かなトレイを観察し、食事しているブランたちを見つめ頷く。チョコレートを口に放り込んで味わった後、僅かに目を細めた。それは微笑みに見える。


「……なるほど。人間などの生命体にとって、食事とはただの栄養補給、生命維持の方法ではないのか。俺が研究を好むように、作る過程を楽しみ、美しい物を目で見て嬉しがり、食べて喜ぶ。短い生の中であっても日々の暮らしの中で多種多様な幸せを得る。最大限に生を楽しむための生きる知恵ということか。もしや神はその幸福のあり方を重視しているのか? ……世界の管理に一心である存在よりも、人間は自由で豊かな感性を持つ。不自由であるはずの肉体が、むしろ自由を生み出している?」


 マルクトの話を聞きながら紅茶を一口。不自由な肉体が自由を生み出すという考えは面白い。


「でも、精霊であるマルクトさんも、食事を楽しいと感じているんですよね?」


 アルの問いに、マルクトがぱちりと瞬きをした。暫く考え込んだ後、ゆっくりと頷く。


「……ああ、これは楽しい。俺の楽しみは魔法研究であって、人間的な活動は無駄だと思っていたけれど、やってみると楽しいし、精神が安らぐ気がする」

「精霊に休息は必要不可欠ではないのかもしれませんが、たまには違う楽しみがあるのも生きる喜びになるのでしょうね」


 マルクトが穏やかに微笑んだ。


「確かに、これが生きるということかと実感が湧いたよ。休息とは人間にだけ存在するものではなく、心の安定や体の正常化に有意義なのだね」

『小難しいことを考えず、綺麗なものは綺麗で、旨いものは旨いでいいではないか。ほれ、言うてみろ。アルの作ったスイーツも飯も旨いだろう?』


 半眼でマルクトを見据えたブランが、クリームで口元を汚したまま偉そうに言う。マルクトはその口調を咎めることもなく、「確かに!」と言って笑った。


「――アル、とても旨い食事だ。休息の素晴らしさが理解できたよ。ありがとう」

「……どういたしまして」


 マルクトが食事を楽しんでくれたのは嬉しいが、ブランに感化されて食い意地が張ったらどうしようかなと心の隅で心配した。

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