第250話 ようやくの出会い

 月が満ちる。

 木々の合間から見える月は真ん丸で、ようやく状況が整ったことが分かった。

 フォリオにマルクトがいる近くまで案内してもらう。


「アル、私が近くにいると従兄殿は機嫌を悪くすると思うから、案内はここまでにするが……」

「はい、ありがとうございます。トラルースさんにもらったこのブレスレットがあるから、たぶん大丈夫ですよ」


 少し不満そうなフォリオに苦笑する。アルにはトラルースからもらった精霊の輝石のブレスレットがある。これが許可証になっているらしいので、時が満ちさえすれば問題なくマルクトに会えるはずだ。

 むしろ、フォリオはマルクトに好かれていないようだから、傍にいられるとマルクトに拒まれる可能性がある。マルクトから魔法について学ぶという目的のためにも、フォリオにはここを立ち去ってもらわなければならない。


『さっさと去れ』

「……冷たいことを言う。そうだ! ここから通いで行けばいいのではないか?」

『満月の時にしか行けぬのにか?』

「ぐっ……そうだった……。従兄殿は偏屈すぎる……」


 ブランの言葉で肩を落としたフォリオが哀れだが、ブランが言っていることは間違いではないので何も言えない。

 隣でアカツキが大きくあくびをしたかと思うと、そのままポカンと口を開けた。


「――あれは」


 少し先の光景に目を見開く。一本の木の周囲の空気が波打つように揺らいでいた。七色の輝きが生まれて、中から妖精たちが飛び出してくる。こちらには目もくれずに進む妖精たちの目的は分からないが、今重要なのは、変化が生じた木がマルクトの本体だと告げられていたものだったことだ。


「そういうことか……」


 木を囲むように空気が揺らめいて見えるのは、空間魔法の影響。おそらくアカツキのダンジョンが洞窟を入り口にしていたのと同様に、木を起点にして新たな空間を創造しているのだろう。

 たいていの精霊が木を拠り所にしていて、そこに行けば意思の疎通ができるというのに、マルクトだけが会えないと言われた意味がよく分かった。マルクトは本体の木の、更に空間を隔てた奥に引きこもっているのだ。


『行くか』

「うん、ここで立っていても仕方ないしね」

「マルクトさんってどんな方なんですかね~」


 歩き出すアルたちをフォリオが静かに見送った。さすがにもう諦めたらしい。その肩や腕を妖精たちに掴まれていることには触れないでおく。


 揺らぐ七色の空気との境目に近づくと、アルが付けていたブレスレットが光を放った。それはマルクトの木の方へと一直線に向かい、次第に膜が裂かれるように白い光が道を作る。


 不意に、真白の道に男の姿が現れた。焦げ茶色の髪をふわりと揺らし、静かな眼差しでアルを見つめて首を傾げる。


「――君がトラルースの言っていた、外に分かたれし枝かな?」

「……その呼び名は知りませんが、僕はアルです。あなたはマルクトさんですか?」

「ああ。呼び名は……王樹の魔力枝を持った外界の生き物という意味だよ」

「謎な言葉が増えました……」


 なんだろう。会話が上手くできていない気がする。

 アルは眉尻を下げて苦笑した。それを見たマルクトがぱちりと翠の目を瞬かせ、視線を彷徨わせた。


「王樹とは……精霊の王のことだけど。精霊とは本体が木だと知らないかな?」

「知ってます。ということは、魔力枝とは精霊の魔力核から分かれたもののことですか」


 王と話した内容と照らし合わせて答えると、マルクトが小さく頷いた。僅かに目を細めて、褒めるように微笑む。


「勤勉な者は好ましいよ。……だから、それ以上近づいてくれるなよ、怠惰者」

「……ひどいなぁ、従兄殿。久々の再会だというのに……」

「会いたいと思っていないのだから、久々だからと感慨は生まれはしないよ。さっさと木にお帰り」


 離れていたフォリオに目敏く気づいたマルクトが、素っ気なく手で払う仕草をする。トラルース同様、やはりフォリオは好かれていないらしい。それが何故なのかがよく分からないが、アルが干渉できることではないだろう。

 マルクトがアルに向き直り、招くように手を真白の空間の奥へと向ける。


「さあ、アル、中においで。君たちも共に来ることを許そう」

「ありがとうございます」


 思いの外柔らかい対応をされてほっとした。門前払いされなかったブランとアカツキも同様だ。偏屈だと聞いていたがそこまでではない気がする。

 マルクトの後に続いて真白の空間に踏み込む直前、フォリオを振り返ると、少し寂しそうに手を振っていたので、苦笑して手を振り返した。




 真白の空間を通ったのは体感だと一瞬だった。眩しさに閉じていた目を開くと、どこまでも続くような草原が広がっていた。視界を遮るのは一本の木だけ。空中には数多の光が浮かぶ。一番近い光に目を凝らすと、それが精霊式の記録であることに気づいた。


「ここは俺の研究の場所だよ」

「ここで? 机も椅子もないですね……」


 アルが戸惑ったのは、研究をする場所と言えば、ソフィアの研究所や異次元回廊内の知識の塔のようなイメージがあったからだ。

 だが、マルクトはその意味が分からなかったらしく、首を傾げる。


「つくえ、いす……ああ、人間の道具だね。何のために、ここに机や椅子がいるの?」

「休憩したり書き物をしたり……あ、精霊は紙に記録を残さないのか……」


 人間とは色々と違うことを思い出して納得する。でも、食事や休憩のためにも家具の類いはあった方がいいと思う。


「……そうか、人間の身を持つアルには、食事や休憩が必要なんだね」

「え、もしかしてマルクトさんって、休憩をとらないんですか?」


 驚いてマルクトを凝視してしまった。不思議そうに見つめ返されてしまったが。


『嘘だろう……。アル以上の研究バカがいただと……!?』

「やべー、生活捨てて研究に没頭するの、やべー」


 肩の上でブランがおののき、アカツキが小声で怯えていた。その気持ちは少し分かる。アルでも食事や睡眠はとるから。そうじゃないと、逆に効率が悪くなる。


「精霊は魔力がありさえすれば食事は基本的にいらないし、人間と違って睡眠も必須じゃないからね。たまに研究効率が落ちてきたら、本体で意識を落とせばいいし」


 話しながらマルクトが指差したのは草原にある唯一の木。それが本体なのだろう。その木を中心に魔力が放たれ、この空間を支えているのが分かる。


「意識を、落とす……」


 これまで出会ってきた精霊の中で、マルクトが最も人間からかけ離れた精神性のように思えるのは気のせいか。思わず口元が引き攣ってしまった。


「……う~ん、相互理解にはまだ遠そうだね。俺も人間のことはあまり研究できていないから――」


 マルクトの穏やかだった眼差しにキラリと光が浮かんだ。なんだか嫌な予感がして、思わず一歩後退りする。


「興味が湧いた。これまで人間のこととかどうでも良かったけど、アルが王樹の魔力枝を持っているからかな。その身は人間なのに、同族に思える。面白いね。やはり同族の認識は、魔力核でなされるのか。でも、その場合、人間としての性質はどう影響するんだろう。本来精霊は人間という種に無関心であると決められているのだから、半分は人間の性質を持つアルに、これ程関心を持つのはおかしい。アルを通して人間への関心を持てるようになったというのも奇妙だ。何がそうさせているんだろう。その器の形成に神が関わっているから? 研究するなら他の比較対象も必要だね。純粋な人間と本来のパターンのハーフ精霊。でも、それは手に入れるのに時間がかかる。まずは人間に関心を持ったこの機会に、人間の研究をしてみるべきだろうか――」


 なんか、怒涛のように喋りだした。気圧されて黙り込むアルに、マルクトがにこりと微笑む。その笑みにも圧力があるように思えるのは気のせいではないだろう。


「アルは魔法について学びに来たんだよね?」

「は、はい……」

「しかも、精霊の空間魔法について知りたいんだよね?」

「そうですが……いったい何を言いたいのですか……?」


 トラルースからある程度の話は伝わっているらしいが、今このように確認するのは何故か。マルクトの様子が異様で、つい怖じ気づいてしまう。


「俺の知る限りの知識をアルに教授しよう。だから、アルは人間について教えて」

「人間について……?」


 知識を教授を保証してもらえたのは嬉しいが、交換条件がアバウトすぎる。首を傾げるアルにマルクトが「うん」と無邪気に見える笑みを浮かべる。


「人間の生態から文化、生活様式、精神性……ありとあらゆる知識だよ。ひとまず、今は人間の休息の意味とその様式について教えてもらおうかな」

『……つまり、茶会か! アル、ケーキを食うぞ! チョコレートやアイスもいいな!』

「急に理解を示したね……。でも、休息って食事だけじゃない気がするけど……」


 マルクトの提案が食べ物に繋がると敏感に察知したブランが、機嫌よく尻尾を振る。アルは対応に困ったが、マルクトがそれでいいと頷いたので、急遽茶会が開催されることになった。……いや、なんで?

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