第249話 肉飯
精霊の森の夜は、昼とは違う幻想的な雰囲気を纏う。木々の合間を星のような煌めきが漂い、飛び交う妖精たちがそれを集めたり散らしたり。
何をしているのかと尋ねて、魔力の浄化と答えられた時のことを思い出し、アルは苦笑した。
世界中から集められた魔力は一度この森に集い、浄化されて再び世界を巡るのだという。精霊の森の対極に位置する魔の森も、魔力を集めて浄化する機能を持っている。だが、それはこの森でも浄化しきれないほど増えてしまった魔力の汚れに対処するため、後から作られた仕組みだそうだ。
幻想的なまでの美しさと穏やかさを持って魔力を浄化する精霊の森と、人間の敵となる魔物を産み出すことで魔力を浄化するという魔の森。同じ機能を持っているのに見た目は全く異なったあり方は、ブランが生まれ育った生きた森のようだ。
「――どちらも神が創った仕組みだから、似ていても仕方ないのかも……」
ふと思い当たった事実に、呟きながら納得して止まっていた手を動かす。
神のことを知る度に、その性質に二面性があることを強く感じる。慈悲深さと残酷さ。そうした人間的な感情を神は既に捨て去ったのだと精霊の王は言っていたが、その結果残った今の神はどういう性質なのだろう。
『アル! まだか、まだか!?』
「ちょっと、涎垂らさないでよ?」
テーブルの上に身を乗り出し、焼いた肉の塊を凝視しているブランに苦笑した。その肉はブラン用のものだから、先に食べてしまっても構わないのだが。どうも今日は揃って食べる気分らしい。
手元の肉を薄切りして、皿に盛ったコメの上に載せていく。上からオニオンとショウユを使ったタレを掛けて、中央に卵黄を一つ。ローストビーフ丼の出来上がりだ。
「おおー、美しい……さすがアルさん。再現度が素晴らしい……」
テーブルに置いたローストビーフ丼に、アカツキが感嘆の声を上げた。アイディアをくれたのはアカツキだから、こうも喜んでもらえると嬉しい。
たくさんの野菜を入れたホワイトシチューと野菜と果物のスムージーを添えて、本日の夕食の完成だ。
「なるほど、美味なる香りだな」
フォリオの前にもホワイトシチューとスムージーを置いたが、それ以外にも焼き立てパンを用意した。コメでも良さそうだが、シチューにはやっぱりパンが合うと思う。行儀は悪いかもしれないが、シチューをパンで拭い取って最後まで食べるのがいいのだ。
『もう食べていいな? いいよな?』
ブンブンと激しく尻尾を振っているブランに頷くと、飛び付くように肉の塊に飛び付いた。歯応えを楽しみながら、至福そうに目尻を下げている。
「僕たちも食べましょう」
「いっただーきまーす! ……っ、うっま!」
アカツキがローストビーフ丼を一口食べた途端、カッと目を見開いて叫んだかと思うと、無言で食べ続ける。その勢いに、アルはフォリオと視線を交わして苦笑した。
アルも食べようと、まずは黄身を崩さないようにしながら、肉でコメを包んで一口。タレの甘味の後から肉々しい旨味。焼き加減も抜群で、これはコメが進む。コメをもう一口、二口と食べてから、シチューにも手をつける。
野菜の優しい甘味が溶け込んだシチューは、煮込みが短時間だったにもかかわらず、ミルクの風味も十分で美味しい。野菜自体の質がいいんだろうな、と内心で頷く。精霊の森のどこで野菜を育てているのかまだ聞いていないが、その栽培の秘訣はぜひ知りたい。
「……ふむ、まったりとしたミルクの風味と野菜の甘味が調和して、実に美味しい」
フォリオがシチューを食べながら満足げに微笑んでいた。口に合ったようでなによりだ。
『アル、アル! 我はもっと食いたいぞ!』
「もう食べ終わったの?」
空になった皿を鼻先で押し出してくるブランの訴えに、思わず眉を寄せる。あまりに早すぎだ。加熱用の魔道具内で焼いているおかわり用の肉塊は、もう少し時間が必要そう。
期待に満ちたブランの眼差しの圧に負けて、アルは新たな肉を鍋に入れて軽く焼いた。
『おお、それは脂がのってるな! そういうタイプも我は好きだぞ! だが、薄切り過ぎじゃないか?』
「これは歯応えじゃなくて、脂を楽しむの」
『ほう……肉の質で分けた調理法ということだな! アルは素晴らしい料理人だ!』
「……それ、おだててるつもり?」
アルは料理人になるつもりはないと言っているはずだが。褒め言葉とも言えないことを調子よく喋り続けているブランには呆れるが、これだけ楽しみにしてもらえるとこちらも少し気合いが入る。断じて、料理人ではないが。
肉に合わせるタレはショウユをベースに砂糖や蜜で甘味をつけたもの。鍋で焼いた肉にタレを掛け軽く煮る。その間に、少しでも腹にたまるメニューになるよう、大きな皿にコメを盛っておいた。ブランが肉しか食べていないから、調理が追いつかなくなるのだ。コメを食べてもらって次までの時間を稼ごう。
コメの上に煮込んだ肉を載せ、コメにも掛かるようタレを回し掛けて完成。味変用に小皿に卵を割って添える。
「はい、どうぞ。ゆっくり食べてね」
『旨そうな匂いだ!』
アルの本気の言葉は聞こえているのかいないのか、目をキラキラと輝かせたブランが皿に顔を突っ込んだ。その勢いに少し身をひいてしまったが、この隙にと自分の食事に戻った。
「ふへー……すき焼き丼? 牛丼? そっちも美味そうですねぇ」
「アカツキさんの分はありませんよ?」
「……ちょっとだけ、とか」
「ないですねー」
アカツキが残り少なくなっていたローストビーフ丼とブランの皿を見比べている。「優しさが足りない……。ブラン贔屓だ……」なんて不満そうに呟いているが、アルは今自分の分を味わうのを楽しんでいるので。せめて食べ終わるまで待ってほしい。
ローストビーフ丼を半分ほど食べ進めたところで、卵にフォークを入れる。トロリと溢れた黄身を肉とコメに纏わせて口に運ぶ。まろやかな旨味が足され、これもまた良し。
ほくほくと食事を続けているアルたちを、フォリオが穏やかな眼差しで見守っていた。一足先に食べ終えていたらしい。
「……量、足りてました?」
「十分だ。ありがとう。美味かったぞ。……そうだ。礼になるか分からないが、精霊の甘味をご馳走しよう」
何を思い出したのか、顔を輝かせたフォリオが指を揺らす。ふわふわと宙を舞って近づいてきた果物が八等分され、そこに妖精が何かを振りかけていた。鉄鍋に詰められた果物が火に掛けられる。
全てを魔力で操作する精霊らしい調理法を、少し呆れた目で眺めながら、アルは用意していた分を食べ終えた。
「──焼きアプルだ。シナモンと秘伝のスパイスをかけてあるぞ」
テーブルに並べられたデザートに皆の目が集まる。蜜の詰まったアプルは焼かれたことで更に甘い香りを放っていて、スパイスの香りが良いアクセントになっていた。
「美味しそうですね」
「……は! まさかの、焼きリンゴが精霊の甘味? 秘伝のスパイスがあるとか、お洒落っすね! マジ美味そう! これは、アイスで味変すべしって、俺の中の日本人の血が騒いでます……!」
怒涛のように喋り出したと思ったら、訴えるような眼差しを向けられた。ニホンジンって味変が好きなのか。そういえば、アカツキはよく料理のアレンジをしたがる気がする。料理できないくせに、そのアイディアは間違いないからどういうことだと思っていたが。
「――なるほど、ニホンジンの血のせいか」
「なにを納得しました? たぶん間違ってはないと思いますけど……」
「いえ、ニホンって食文化が発展してるんだろうなと、改めて興味深くなっただけです。アイスでしたね。ちょうどミルクアイスの作り置きがありましたよ」
「おー! アル様、神様、仏様! 愛してます!」
「愛はいらないです」
「ひどっ! ……俺があげられるものなんて、愛くらいしかないのにぃ」
アカツキと、欲しそうな顔をしているブラン、フォリオにアイスを配る。
まずはそのままの焼きアプルを一口。僅かな刺激のあるスパイスとアプル本来の甘味が上手く調和されている。ほどよく食感を残した焼き加減もちょうどいいし、フォリオは意外と料理が上手いんだよなと改めて思う。料理の仕方は微妙だが。
一切れにアイスを載せると熱で僅かに溶ける。スプーンですくって口に放り込むと、異なる温度で複雑な味わい。ミルクの癖のない風味がアプルを邪魔せず、スパイスをまろやかにさせている。このスパイス、ホットミルクに使うのも美味しそうだ。
「美味かったー!!」
「このスパイス、作り方教えてもらいたいくらいですね」
「喜んでもらえて良かった。スパイスは秘伝だが……アルならば良いだろう。後で妖精に聞くといい」
「ありがとうございます」
スパイスのレシピを知れることに嬉しくなっていたら、ズイッと空の皿が押し出された。
『良い口直しだったな。……アル、追加の肉!』
「……あるけどさ。少しは抑える気はない?」
デザートから間髪いれずに肉を食べようとしているブランに呆れ、ため息が零れた。
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