第245話 世界の未来

 アルの促しを受けて、王が過去の思い出を振り返るように目を伏せた。


「あれは娘が十歳ほどの頃か。この森に来た娘は、清浄な魔力が満ちるここをたいそう好んだ。精霊も妖精も娘を歓迎した。およそひと月ほどここに滞在していたはずだ」


 視線を向けられた妖精が頷く。


『姫は一国の王女でしたが、マギ国にはこの森の隣国として精霊信仰がありましたから、精霊からの招待として大変喜ばれたようです。王女をたった一人で森に送ることを許容するほどに』

「確かに、王女の身でどうやって森に滞在していたのかと思っていたのですが……なるほど、マギ国自体が歓迎していたのですね。マギ国は精霊と母の繋がりを知っていたとなると、精霊信仰のことを考えると、精霊の寵愛を受けたと思われる者を他国に嫁がせるのはおかしく感じますが」


 首を傾げるアルに、王がゆったりと頷いた。


「それは私からの願いとして、国が受け入れたのだ。……順に話そう」

「お願いします」


 王が言う通り、時系列で話を聞いた方が分かりやすかろうと、質問は後回しにして今は話に耳を傾けることにした。

 言葉を選ぶような僅かな沈黙の間に、膝に乗っていたブランがくわりとあくびをする。その頭から尻尾まで優しく撫でると、気持ちよさそうにトロンと目が細められた。


「――仲が良いなぁ」

「え? あ、そう、ですね? 子どもの頃からの付き合いなので……」


 いつの間にか微笑ましげに眺められていた。それが少し恥ずかしくて、さりげなく視線を逸らす。


「……そうか。あの娘は未来の愛しき子のことを心配していたが、必ず一生を共にする者と出会えるのだと、喜んでもいたのだ。それがそなたなのだろう。――私は父や親と言いきれる立場ではないかもしれないが、愛しき子の傍に暴食の獣があったことに感謝しているぞ」


 王が初めてブランを見つめて柔らかく微笑んだ。

 口調には温かい愛情が籠められ、擽ったく感じるものだったはずだが、【暴食の獣】という呼び名に思わず表情が抜け落ちる。ブランもポカンと口を開けていた。


『――っ、待て! その、暴食の獣というのは、まさか我のことか!?』

「ん? その通りだが……そなたはドラゴンを丸ごと食うた魔物だろう? 何か間違ったことを言ったであろうか」

『な、な……!』

「……いえ、間違いありません。このお馬鹿は、食欲を第一にして生きる獣なので」


 至極当然と言いたげな王の言葉に、返す言葉を失ったブランが無意味に口を開閉する。その様を見下ろしながら、深いため息が漏れた。

 いくら妖精を通して世界を把握しているという精霊の王とはいえ、呼称の選択として【暴食】が出てくることに、今更ながら相棒に呆れてしまった。ブランを示すのに最も分かりやすい言葉だが、そう呼称されるのは魔物として些か情けなくないだろうか。


「――ブランの呼び名はとてつもなくどうでもいいことなので、話の続きを」

『おいっ、アル! 全然どうでも良くないぞ! 我は気高く美しい聖魔狐なのだ! もっと気品ある呼び名をだなっ――』

「はいはい、話が進まないから黙っててね。そういう呼び名をしてもらいたいなら、気品ある振る舞いを覚えてからにしようね」


 訴えを軽く聞き流して王に視線を向けると、愉快げに目を細めていた。どうやらアルとブランのこのようなやり取りさえも、微笑ましく思う対象らしい。ブランと同等程度の知能に思われているようで、それはさすがにやめてほしいのだが。


「ぶふっ……言~われてやんのっ」

『アカツキ! 馬鹿にしているな!?』

「二人とも静かに。夕飯なしにするよ」

『ぐっ……それは、卑怯だ……』

「っ、アルさんのご飯お預けは悲しい……」


 これで黙る二人は、どこまでも食欲に支配された生き方をしている。正直、アルはあまり共感できない。


「――話の続きを、お願いします」

「あい分かった」


 アルのうんざりした気持ちを察したのか、王がにこやかに微笑みながら、カットフルーツの盛り合わせをアルの傍に寄せてきた。気遣う心を持ち合わせている王である。

 ありがたく瑞々しいフルーツを食べながら、話に耳を傾けた。


「――娘は初めてこの森に来た時点で、未来でこの世界に待ち受ける災いを知っていたようだ。だが、それを受け止められる心は持っていなかったのだろう。精霊や妖精たちに相談しながら、少しずつ理解を深めていったようだ」

「精神的な部分は、普通の人間の子どもだったんですね……」

「さよう。周りの人間に知られてはならんとは感じていたらしく、この森に来るまでずっと心に秘めていたようだ」

「それは……辛かったでしょうね」


 子どもが秘密を保てるほどの精神力を持ち得るためには、どれ程の努力が必要か。思いを馳せ、その過酷さに眉を顰める。


「それもまた、娘が選んだ道である。あれは楽な道を選ぶことはなかった。全てを知り、世界にとって望ましい未来を得るために、歩むことを決めたのだ。全ては愛ゆえであったのだろう」

「愛?」

「娘はこの世界を愛していた。時に歪み、穢れ、残酷な世界であろうと、この世界にはそれ以上に愛が溢れているのだと信じていた。娘自身もまた世界の愛のひとつになるのだと、信じて疑っておらんかった」

「……それはまた……夢想家と言えるかもしれませんが……」


 なんと答えるべきか分からず苦笑する。だが、口で理想論を語るだけではなく、世界への愛のために命を投じて未来を選んだと思えば、一言で否定することも難しい。きっと想像も及ばぬほどの覚悟を持って選んだのだと思えたから。

 アカツキが難しい表情で目を閉じていた。ブランは少し呆れた様子だ。斜に構えて世界を見る傾向のあるブランには、共感できない信念であるのは間違いない。


「……私が娘に会ったのは、国に帰る前日だった。娘は私に、この先の未来で起こる災いを話し、それを避けるために協力してほしいと頼んだ。それは私の役割に違わない話だったから、私は娘の願いを受け入れた」

「その未来の災いとは結局なんだったのですか? 現状でも、悪魔族が陰で糸を引く戦争が起こり、世界は荒れた状態ではありますが、これのことではないのですよね?」

「ああ。だが、根本は同じところにある」

「それはどういう意味ですか?」


 思わせぶりな言葉に首を傾げると、王は初めて厳しい表情を見せた。空気が圧力を持って重くなったように感じて、僅かに息がつまる。意識して深く呼吸しながら、自分を落ち着かせるためにブランの柔らかな体を撫でた。


「――全ては悪魔族とそれを操る邪なる者の為すことだからだ。愛しき子は、今起きている争いの始まりは知っているだろうか?」

「始まり……確か、マギ国が兵器を開発して、それを知った帝国が開戦を……」

「その通り。その兵器を生み出させたのが悪魔族である。兵器は世界を崩壊へと導きかねないもの。魔力で成り立つ世界から、魔力を奪うというおぞましきもの」

「ああ、そうでした……」


 以前、レイに聞いた内容がアルの脳裏に蘇る。その兵器の発動に大量の魔力が必要だからと、燃料として自分に追手がかけられたことも思い出した。


「この世界の魔力は、一定の容量が保たれ、常に循環しているのだ。だが、悪魔族が作らせた兵器は、その世界の根本と言えるあり方を破壊するもの。魔力を消失させてしまうものだった」

「……今でも、兵器が使われたところは魔力のない不毛の地になっているそうですね」


 眉を顰めながら、痛ましい事実を口にする。王は憤懣やるかたない様子で深く息を吐いた。


「川は上から下に流れるものだろう。魔力もまた、濃いところから薄いところへと流れ込む。世界の魔力量が一定である以上、魔力が消失した地に他から魔力が流れ込めば、それは全体の魔力濃度が薄まることになる。それはあらゆる生物に苦痛を強い、世界を痛めつけるのだ」


 重々しい王の言葉で、兵器が使われた影響はアルが思っていた以上に大きいのだと悟った。だが、現時点に至るまで、アルは空気中の魔力濃度の変化を感じたことがない。その答えは、王の続く言葉で理解することになった。


「――故に、私は世界の魔力を管理する者として、魔力が消失した地を世界から隔離した。この地と同じように、僅かばかり次元をずらしたのだ。あの地は魔力を持たぬ地のまま保たれることになった」

「つまり、それがあの地が不毛のままである理由ですか……」


 それが世界にとって最善の策であったとアルには理解できた。


「娘が私に告げた未来はな――」


 突然話が核心に迫り、息を飲んで王の顔を凝視する。


「いずれ、世界はその兵器により全ての魔力を奪われ、崩壊するというものだ」


 アルは瞬時にその言葉の意味が理解できず、ただ目を見張った。

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