第244話 先読みの乙女と母

 先読みの乙女が母であったなんて、想定外の事実を告げられて暫く呆然としてしまったが、静かな眼差しで見守る王に気づき、深呼吸をして冷静さを取り戻した。


 先読みの乙女について、フォリオが語っていたことを思い出してみる。

 先読みの乙女は、精霊の森を訪れ、未来の危機を告げ、それから逃れるために策を提案した。

 アルに託されるための剣もその策の一つであり、そのためにフォリオは長い間精霊の森を出て、ノース国を訪れ、ドラグーン大公国の近くに居を構えたのだ。


「……人間が、本当にそのようなことを、できるのですか?」


 真っ先に浮かんだ問いがこれだった。先読みの乙女の存在を知ったときから、疑問に思い続けていたことである。何より、アルが覚えている母は、美しいが普通の人間にしか見えなかった。

 王がふと難しい表情を浮かべて、首を傾げた。


「――できるか否かで言えば、否である。それが人間の分を超えたことなれば。精霊であっても、ドラゴンであっても無理である。……それ故、あの娘は異質であったのだ。人間の姿をしているが、真に人間とは言いがたい。何者かと問われれば――」


 王が口をハクリと動かした。無言のまま時が過ぎる。

 アルは思わず首を傾げながら、その先の言葉を待った。だが、一向に言葉が紡がれることはなく、王が眉間に皺を寄せるのを見ることになる。


「――私としたことが、口が過ぎてしまったようだ。それにしても……神は狭量である。あの娘の愛しき子にすら、その真実を語ることを許せぬか……」

「もしや……語るのは理に反する、ということですか?」


 王の様子に答えを察して、アルも渋い顔をしてしまった。

 精霊たちはその存在を神が課した理に縛られている。その口を塞げる存在はそれしかないだろう。

 それが分かっていても、一歩前に答えがあるのに辿り着けないというのはもどかしい。それが王の意思によるものではないから、文句を言うこともできないのが更に鬱憤を募らせる。


「ああ、そのようだ。……そうだな、私が言えるのは、先読みの乙女は、その力を神に許されていたということだけだ。そうでなければ、この世界に存在することもあたわないからな」

「未来を見ることを、許されていた……。随分と神に気に入られていたということですかね……」


 どうにも母の人物像がアルの記憶と一致しなくて、戸惑い気味に呟いた。そんな思いを察したように、王が言葉を選びながら説明を続ける。


「神は既に気に入るか否かという概念を捨て去った。故に、娘の力は世界のあるべき姿に必要だと許容されたに過ぎぬ」

「概念を捨て去った……?」

「しかり。世界を生み出し、育み、見守るというのは、喜びはあれど、耐えがたき苦痛をもたらすものでもあったのだろう。神は感じる心を疎んで捨て去ったのだ。故に今の神に慈悲の心なし。ただ世界の行く末を見守るのみである」

「それは……なんというか……」


 王の言葉を聞いて胸に満ちるのは、複雑な感情だった。

 アルは元々神というものに理想は抱いていない。慈悲ある存在だなんて考えは幻想に過ぎないと思っている。だから、神に近い立場である精霊の王にその考えを肯定されたところで、さほど衝撃は受けなかった。

 だが、初めはそうではなかったのだと聞けば、戸惑ってしまう。アルたちと同様に人間のような感性があったというのは、ますます神という存在が何かがよく分からなくなった。


『──我は神とは元々そういうものだと思っていて、その傲慢さを疎んでいたが、お前たちにとっては違うのか。それがお前たちが神に盲目的に従う理由か?』

「どういう意味だ?」


 不意に問い掛けたブランに、王が首を傾げる。だが、その顔には苦笑が浮かんでいて、問いの意味を理解していることを示していた。


『お前たちは――神を憐れんでいるのだろう? 被創造物が創造主を憐れむとは失笑ものだが。古き頃の神の情を知っているからこそ、それを捨てざるを得なくなった神を憐れみ、守らんがために神の意に逆らわない。思えば、そいつも神への情が深そうだったが』


 そいつと呼ばれたフォリオが、肩をすくめて視線を逸らした。それは肯定の言葉は必要ないと判断した仕草に見えた。


「……そうだな。神に創られた者としては笑える話だと思うが、私は神を憐れみ愛している。故に世界を守るために、神の意に従うことを厭わないのだ。理もまた、ある意味で今はなき神の心の表れなれば……苛立つこともあれど愛しんでしまうのだろうな」


 沈黙が満ちた。

 アルにとって、神という存在は未だ遠いもので、王やフォリオの心を真に理解できたとは言えない。だが、その献身的な愛を否定する言葉は生まれなかった。どういう感想を抱けばいいかも分からない、というのが今の心情として正直なところだ。

 アカツキが難しい表情で腕を組んでいるのを見るに、アルと同じ思いであるのだろう。


「――話が逸れてしまったな」


 王が苦笑して肩をすくめる。アルたちにお茶やお菓子を食べるよう勧めながら、ふと首を傾げた。


「愛しき子は娘の印象の違いが引っ掛かっているのではないか?」

「あ、はい、そうです。僕にとっては、母は普通の女性だったので……。昔、妖精に関する絵本を読み聞かせしてくれたのは、あなた方と関わりがあったからなのかなと少し腑に落ちましたが。……でも、やはり僕の母への印象と先読みの乙女というのが重ならないですね」


 話しながら心を整理して、母が先読みの乙女であるという言葉に納得できていないのがよく分かった。

 早くに亡くなったため、さほど知っているわけではないが、他から聞いた話を考えても、母は未来がどうのと語るような人物ではなかったはずだ。アルに未来でこうしろなんて指示をしたこともない。フォリオに頼んでいたことも、流れに身を任せる方法をとらず、アルに何らかの示唆を遺しておく方が確実な方法だったはずだ。


「ああ、愛しき子のその思いは正しい」

「え? どういうことですか?」


 アルの母への印象を穏やかに肯定され、戸惑うしかない。まさかこれまでの言葉に嘘があったとは思えないが。


「先読みの乙女は愛しき子を生むために、先を読む力も、その力で得た情報も、全て失っていたからだ。愛しき子が見るあの娘は、ただの人間であり母であっただろうよ」

「そのようなことが……それは、理とは違うんですか?」

「神の干渉ではないな。その力が娘に宿った時から定められていた運命であったのだ」


 先読みの力には、やはり謎が多いなと頭を悩ませる。それと同時に、少しホッとした。あまりに印象の違うかつての母の姿を聞かされて、母に対して疑念と悲しみを抱いていたからだ。

 母がアルに向けてくれていた愛情は、アルが未来で何らかの役割を担うことへの打算的なものが含まれていたのだろうかと疑い、少し悲しくなってしまっていた。家族と縁が薄いアルにとって、幼い頃の母との日々は唯一温もりに溢れた家族との記憶だったのだ。

 だが、王の言葉でその疑いが否定され、アルはようやくかつて先読みの乙女と呼ばれていた母の姿を受け止められた気がした。同一人物であっても、切り離して考えるべきなのだろうと思ったのだ。


「――先読みの乙女に気づいたあなた方は、どれほど接触を持っていたんですか? 幼子の頃から知っていたと言いましたが」


 話を元に戻して尋ねると、王が曖昧に頷く。


「妖精を通してならいくらでも。あの娘は妖精をひどく好んでいたからな。妖精も、人間の枠組みから外れ、神に許された存在であるあの娘を愛しんだ。故に、私に会いたいという願いに応えたのだろう」


 視線を向けられた妖精がゆっくりと頷く。初めに、先読みの乙女のもとを訪れたと話していた妖精だ。


『至宝の方にご挨拶をしたいと言われたので、この森への道を示しました。アル、あなたが通ってきた道と同じですよ』

「あ、あの暗くどこまでも続くような道ですか」

「俺とブランが拒否られ気味だったとこっすね」

『我よりもお前の方が問題だったように見えたがな』

「え、そこに差はなかったでしょ!? 強いて言うなら、体積の差じゃない?」


 アカツキが久々に口を開いたと思ったら、ブランと元気に言い合いを始めた。王への畏縮感は無視できる程度になったらしい。

 その話の内容は、アルの考えを言わせてもらえばブランの方が正しい気がするが。ルースや他の妖精たちの様子を鑑みても、アカツキはこの森に歓迎される存在でなかったのは事実だろう。それでも、訪れてもらうべき理由が精霊側にあったから、ルースという存在を外に出してまで出迎える用意をしていたはずだ。


 何はともあれ、騒がしい。

 厳粛さも何もかも吹き飛んだ空間に戸惑い気味な王を見て、アルは苦笑して話の続きを願った。

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