第242話 王として、父として

「――父上。アルが畏縮している。魔力を抑えてくれ」


 フォリオが呻くように言うと、精霊の王がパチリと瞬きをした。

 アルを見つめ、その肩で毛を逆立てているブランを見て、社の手前でうずくまるアカツキに視線を移し――ひとつ頷く。


『なるほど。これは私が間抜けだった――』


 呟きと共に、精霊の王の姿に幾重にも膜が生じていくように見えた。次第に放たれる魔力が減少し、アルたちの呼吸が楽になっていく。


「――許せ、愛しき子。久し方振りに生ある者と対面した故に、制御を怠っていたらしい」


 声がクリアに聞こえた。妖精やブランのように、直接頭に響くわけではなく、フォリオのようにきちんと人間が話しているように感じる。

 その姿も、先ほどまでより威圧感と浮世離れした雰囲気が薄くなっている。話し方は古めかしく硬いが、浮かべる笑みに僅かばかりの人間味があった。


「私は、精霊の王としての役割を与えられし者。――そして、そなたの魔力の源として、生を授けた者である。父上でも、とと様でも、そなたの好きに呼ぶがいい」


 とと様。あまりに見た目とかけはなれた呼び名を提案され、アルの思考が一瞬停止した。いったい誰が、精霊の王という世界の中枢にある存在に、とと様なんて呼び方を教えたのか。


『……なんだ、こやつ』


 警戒心を露にしていたブランが、胡乱な者を見るように呟いた。その頭を撫でながら、内心で同意する。それと同時に、なんと呼びかけるか頭を悩ませた。


「とと様? なにやら可愛らしい響きだな。父上はどこでそのような呼び方を学ばれたのか?」


 こいつ、そこを言葉に出して追及しやがるか。この王に相応しい威容のある存在に。

 アルだけでなく、ブランやアカツキも同じ感想を抱いただろう。フォリオに向くそれぞれの視線が、内心の思いを示していた。

 ビクビクしながら近づいてきたアカツキが、アルの袖を引いて小声で囁く。


「前から思ってましたけど、フォリオさんって精霊がどうこうってことじゃなく、頭おかしくありません? いくら親子といっても、あの方にそんなこと聞けます?」

「聞けないです」


 即答しながら、精霊の親子を見比べた。アルにはフォリオのように振る舞える自信はない。


「――とと様という呼び方はいいだろう? アルの母であるあの娘が、生まれた子に私のことをそう呼ばせるのだとはしゃいでいたのだ。まこと、可愛らしかった」


 過去を思い出すように遠い目で、トロリと蕩けたように笑む精霊の王を見て、アルは一瞬呼吸が止まった。

 とと様呼びを教えたのは、まさかのアルの母だった。母がどんな人だったか、よく分からなくなる。朧な記憶を辿っても、おっとり穏やかな笑みを浮かべて、優しい口調で話す姿しか浮かばない。


「さようか。それはまこと愛しき姿だろうな。では、アルはとと様と呼ぶといい。姫がそう望んでいたなら、この森の者みなが歓迎するだろう」

「えっ」


 咄嗟に拒否を籠めた声が漏れた。顔が引き攣っている気がする。

 ブランはこの状況が愉快になってきたのか、ゆらっと尻尾を揺らし、アルの顔を覗き込んだ。


『面白い。人間のあれと全く異なる呼び名の方が、アルも親しみ易いんじゃないか?』

「……ブラン? 余計なことを」


 ニヤリと歪んだ顔にジト目を向け、頬を揉んで八つ当たりする。『やめろ!』と言われて暴れられたところで、鬱憤を晴らすまで解放する気はない。


「――愛しき子よ」


 不意に呼び掛けられて、視線が惹き付けられる。眉尻を下げ、仕方なさそうに微笑んだ王に、申し訳なさが込み上げた。自然とブランを弄る手が止まり、王を凝視する。


「あの娘の望みはあれ自身のもの。そなたはその心のままに生きればいいのだ。粗忽息子の言葉は聞くに値しない」

「ひどいです、父上……私は粗忽者では、ない、と思うが――」

「……では王様と呼ばせていただいてもいいですか?」

「構わんよ。それもまた、私を表す名である。呼び方なぞ、真名でなければひとつの符号に過ぎぬのだから」


 鷹揚に受け入れる様は、正しく王の器を感じさせるものだった。粗忽息子と呼ばれて項垂れるフォリオとは全く格が違う。

 誰もがフォリオの反応を聞き流していて、慰める者は呆れ顔の妖精だけだった。


『……つまらん』

「変なところで面白がらないで」

「ふへ~……馴染みないキャラ過ぎて、マジでどういう態度で居たらいいか分からないっす……。日本人は身分制度に理解がないもんで、すんません……。あ、でも、天皇陛下って考えたら……? いや、あの方も遥か遠い、テレビの向こう側の身分だな……かしこまるってどうするのが正解?」


 ブランの頭を軽く叩いて咎めるアルの傍で、アカツキが僅かに身を縮めた。最初ほどではないが、まだ王の存在感に畏縮しているらしい。葛藤した心をブツブツと吐き出す様を横目に見て、アルはなるほどと頷く。

 アカツキのこれまでの言動からなんとなく把握していたが、ニホンとは平和で身分差もほとんどない国らしい。その中で精神を病むほどの働き方をしていたと聞くアカツキは余程運が悪かったのだろう。サクラが嘆くわけである。


「……なんか、アルさんが日本を誤解してる気がする……。表面的に平和で身分制度がなかっただけで、内実はわりと殺伐してますからね? この世界ほどじゃないですけど」

「そうなんですか? ニホンって、よく分からないですね……」


 こそこそと話すアルたちを、静かな眼差しがゆったりと眺めていた。だが、【ニホン】という響きに、僅かに瞬きが深くなるのがアルの視界に映り、思わず眉を寄せる。


「……王様は、ニホンをご存知ですか?」


 尋ねたアルに、沈黙が返ってきた。思考の読めない目に探りを入れつつ、しばらく待つ。


「――魔族たちの故郷であろう」


 その言葉にアカツキの体が震えた。王を凝視し、戦慄わななく唇が言葉を紡ぐ。


「っ、王様はっ、日本への帰り方を、ご存知なのでしょうかっ!?」


 静かな社に叫ぶような声が反響した。フォリオが煩そうに耳を塞ぎ、妖精たちがオロオロと飛び回る。

 アルは王の回答を待つために、じっと様子を窺った。


「……帰り方、なぁ――」


 王の目がアカツキを捉え、しばらく後に逸らされる。社の開け放たれたままの戸を過ぎて、視線が遠くに投げられた。


「――そも、帰り方とはなんであろうか。魔族はこの世に存在なきもの。無であればこそ、魔族であるというのに」

「無……? どういう意味ですか……?」


 意味を捉えがたい言葉に、アカツキの声に戸惑いが滲む。アルも理解できなくて、王の続く言葉に期待した。


「まだそれを知らぬのならば、いつか知ることよ。愛しき子の知恵があれば、いずれそなたは望む答えを得るだろう。そなたの既に亡きとされる同胞もまた、救いを得ることになる。ただしその時は、袂を分かちし者たちも、共に連れ行かねばならぬがな」


 王の目がアルを見据えてたわんだ。


「愛しき子は知識を求めて森に来たのだろう? 望みのものは得られる。安心して学ばれよ」

「……なるほど、王様から答えはいただけないわけですね?」

「父として、子の成長を望むが故に」


 思わず口籠った。急に親としての思いを伝えられて戸惑ってしまったのだ。向けられる目にも温かな感情が湛えられ、真にアルを慈しんでいるのだと伝わってくる。


「――精霊の王として、話すべきことではないのも確かだが」


 付け加えるように告げられた言葉はどこか軽く、親としての心情が主なのだと分かった。面倒くさそうに肩をすくめる仕草に不思議と愛嬌がある。


「……分かりました。アカツキさんたちが望む答えを得られるように、僕も頑張ってみます」

「ああ、応援しているぞ」


 楽しげに笑んだ表情は、アルの思いに寄り添うように見えて、なんとなく心が温まる気がした。

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