第241話 精霊の王

 フォリオに連れられて精霊の森を進む。所々で大きな魔力を感じて目を向けると、木に纏わりつきながら手を振ってくる妖精の姿があった。その木が精霊なのだろう。


「ふむ……彼らへの挨拶は後でいいだろう。誰しも、順番を知っているからな」

「……精霊の王に謁見するのが優先ということですね?」

「謁見……それほど堅苦しいものに思わないでほしいが……」


 苦笑するフォリオを見ながら、精霊の森を奥に向かう毎に近づいてくる一際大きな魔力を感じて、アルは緊張感を高めていた。

 精霊にとって、人間と子を為すというのがどういうものなのかいまいち分からない。アル自身、精霊を親と認識できるかも自信がないのだ。初めて会う者同士、どういう会話になるか予想できなかった。


『……嫌なヤツだったら、我が噛み砕いてやるぞ』

「物騒だなぁ。さすがにそういうことはないでしょ」


 アルの心を軽くするためか、冗談めかした口調で歯を剝いて見せるブランに、思わず頬を緩めて微笑んだ。

 フォリオがなんとも言えない顔で見てきたが、特に何かを言うこともない。会ってみなければどうにもできないと分かっているのだ。


「――俺、ほんとについて行っていいんですかね……?」

「フォリオさんがいいと言っているのだから、いいのでは?」

「うぅん……でも、俺、やっぱり妖精さんたちに好かれてない気がしますし……」


 所在なさげについてきていたアカツキが、何度目になるかも分からない弱音を吐く。アル以上に、精霊の王に会うのに気後れしているのだ。

 その姿を振り返ったフォリオは、少し考えるように首を傾げた後、何かに思い至った様子で頷いた。


「ああ、アカツキは散歩をしていて感じたのだな。妖精は基本的に魔族と距離をとりがちなのだ。それは、別にそなたたちを嫌ってのことではない。そもそもが世界の理に適合していない存在を、妖精が受け入れられないだけだ。そう神に理付けられているからな。……人間的に言えば生理的に受け付けないということだ。話しかければ普通に対応されると思うぞ」


 ポカンと聞いていたアカツキの顔が、次第に悲愴そうに歪んでいく。


「……生理的って、どうしようもないってことじゃないですか。フォローのつもりかもしれませんけど、むしろ追い打ちかけてますからね?」

「んん? そうか? それは申し訳なかった」


 フォリオはあまりアカツキの言い分を理解していないようだった。極論、多少避けられたところで、アカツキに支障があるわけではないのは事実である。ララたちの例を考えると、普通に接する者もいることにはいるし。


『――それで、精霊の王とはまだ会えんのか?』


 くわりと欠伸をしたブランが、アルの首に巻きつくように脱力しながら呟く。さほど変わり映えのない森を延々と歩くことに飽きがきたらしい。

 その頭を撫でながら、アルは周りを見渡した。木々の密集度が低くなり、大木が増えてきた。一際大きな魔力も近づいているように感じられるが、精霊の王の本体と言われる木は視界に映らない。


「精霊の王は、この森の支柱のようなものだ。万が一傷つけられらことがあってはならぬし、そもそもが人の目に触れることすらあり得ぬ存在。この世にありながら、僅かにずれたところに存在するのだ」

「――ずれたところ……?」


 フォリオの言葉が意味することを考えて、アルは魔力の探知方法を少し変えてみた。空間魔法に使われる魔力をより感じやすくして、精霊の森を眺めてみる。


「あ……」


 アルが違和に気づいた瞬間に、嬉しそうに口元に笑みを浮かべたフォリオの足が止まった。


「……なるほど。気づかなければ、もしかして延々と歩くことになりましたね?」

「しかり。アルは気づくと思っていたから、わざわざ言わなかったが」


 アルたちの前方、数メートル先のところで、魔力の歪みがあった。そこに集うのは、空間魔法に使われる魔力である。だが、その魔力をよく知るアルであっても注意して探らなければ分からないほど、非常に上手く隠蔽されているようだ。


『……招くというのに、隠したままとは、ある意味似た者親子なのだな』


 ブランが皮肉そうに呟いた。アルを招く目的があるにもかかわらず、結界で排除する設定を組んでしまっていたフォリオを当て擦っているのは間違いない。

 気まずそうに視線を逸らしたフォリオは、何も言わずに前方に手を伸ばした。既に何度も指摘されていることであるので、今さらの弁解は意味がないと判断したのだろう。


「精霊を求める人もいるだろうから、警戒するのは間違ってないと思うけどね」

『……やはりアルは精霊に甘い』


 何故か拗ねた様子を見せるブランに首を傾げる。理由を問いたかったが、それより先に風景に生じた変化に目を奪われて口を噤んだ。


 ふわりと宙に燐光が舞う。それと同時に、幕を開けるように空間が裂け、清浄な空気が溢れてきた。裂け目の先にあるのは、天を突くほどの巨木である。それを目にして、アルは隠す策が必要な理由を真に理解した。


「――これは……隠さないと、世界のどこからでも見えてしまいそうですね……」


 木の上部は雲に隠れて見ることができない。一つの大きな山かと思うくらいの高さがあるのだ。幹は相応に太く、一周するのにどれほどの時間がかかることかと苦笑してしまう。


「精霊の王は、精霊が創られた瞬間から今まで、世界を見守り続けている存在だからな。誰よりも大きいのは当然のこと」

「生きた歴史ということですか……」


 歩き出すフォリオに従って、太い根が覆う地面を歩く。

 圧倒されていたアカツキが度々転げ落ちていきそうになるので、呆れたため息をついたブランが、本来の姿に変化してその背に乗せてやっていた。珍しく優しい。もしかしたらブランも精霊の王の偉大さを感じて萎縮していたのかもしれない。


「……噛み砕くのは難しそうだね」


 少し前の軽口を引き合いに出してブランを揶揄うと、ムッとした様子で口を歪め、鼻先で背を突かれた。尻尾で叩かれなかっただけ温情があるが、危うく根から転げ落ちそうになったのでヒヤリとする。

 睨むと、鼻で笑われた上にそっぽを向かれた。


「――ここだ」


 アルとブランのやり取りはなんのその。マイペースで歩いていたフォリオが足を止めた。視線の先、幹に張りつくように、幹の太さに比べたら小さく見える家のようなものがある。


「――神社……?」


 アカツキから驚きとも戸惑いともとれる響きが零れた。

 神社という、アカツキの元の世界にあるものと、この家らしきものが似ているのだろうか。


「これは神のやしろではない。精霊の社だ。精霊の王が人と接触できる唯一の場所である」

「……神と接触できる社がどこかにあるような口ぶりですね」


 思わせ振りな言葉を捉えて尋ねると、フォリオがゆるりと頷く。


「人間が勝手に造る神殿なんぞと同じに考えてはならんがな。……そも、人間の神殿でまつられるのは――」

『――純なる精霊の末の子よ。自らの分を超えた振る舞いは、ただの間抜けでは済まされぬぞ。……おしゃべり息子め』


 不意に空気を震わせた低く重々しい声が、フォリオの口を強制的に閉ざさせた。精霊の社の正面あった大きな扉が、その声に押されたようにゆっくりと開かれる。


 板張りの床の奥。淡く白く輝く長い髪を広げ、胡座をかいて自らの膝に肘をつき、頬杖をついている男が呆れたように目を細めていた。

 深い翠の瞳がフォリオからアルに向けられ、ハッと見開かれる。


『――あぁ……似ている……その髪も、その目も。……あの娘の生き写しのようではないか……』


 アルを通して感じ取った存在に、愛しげに目を細めた男が緩やかに手招きをした。

 アルは男から感じられるあまりに大きな魔力に圧倒されながら、促されるままにゆっくりと近づく。床がキシッと音を立てた。

 ブランは社の手前で躊躇った様子だったが、アカツキをふるい落として小さな姿に変化し、肩に飛び乗って来た。慣れた感触が心強い。

 突然落とされたアカツキは、萎縮のあまり抗議の声もあげられず、社の手前で固まっていた。


『――よく来たな、愛しき子。ゆるりと寛いでいくといい』


 内心で、それは無理だと呟いたのは、ブランにしか気づかれていない事実だろう。思っていた以上に精霊の王の気配が偉大過ぎて、ますます父という感覚を抱けなくなってしまった。

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