第240話 精霊の姿
父の名と立場はアルに大きな衝撃を与えたが、それから続く日々は変わりなく穏やかだった。唯一変わったのは、アカツキが積極的に森を散策するようになったことくらいである。
「……相変わらず、妖精さんに避けられます……」
「ララさんたちは然程そういう感じじゃないんですけどねぇ。魔族とも昔は交流があったらしいですし、嫌われているわけではないと思うんですが……。アカツキさんだから、なんですかね?」
「余計落ち込むこと言わないでくださいよぉ」
散歩の成果を報告しながら、テーブルに懐くアカツキを、アルは苦笑しながら見下ろした。数日前までの、湿度が高い様子よりは余程マシだが、対応が面倒なのは変わらない。
『鬱陶しい! 果物くらい採ってこんか!』
「グフッ、痛いっすよ! ブランだって暇なんだから、自分で採って来たらいいでしょ!?」
『ふんっ、我はアルを守る役割があるのだ。お前とは違う』
「この森で、いったい何から守るって言うんだ……。ただ食っちゃ寝してるだけじゃんか……」
ブランに叩かれ、叩き返すこともできずに文句を呟くアカツキ。アルの膝で寝転ぶブランを見る目は恨みがましげだ。
一方のブランは、アカツキの反応が良くて満足げだ。いい暇潰し相手というところか。
「もう少ししたらフォリオさんが来てくれるらしいから、暇ではなくなると思うよ。精霊の文字もだいぶ覚えたし、マルクトさんと会えるのもそろそろかな」
空には僅かに欠けた月が浮かんでいた。満ちるまでもう少しだろう。
久々にフォリオに会えることだし、溜まった疑問を少しは解決したいところである。精霊の森に来たのに、全然他の精霊に出会えないことも、その理由を妖精に聞いても答えてもらえないことも、一つ一つ不満として積み重なってきているのだ。
『まったく……招待したくせに、精霊はもてなしというものを知らんのではないか?』
「魔物に言われたくはないだろうけどねぇ。生活する場と勉強する環境はもらえているし。まあ、人間とは考え方が違うんだろうなぁって、実感できたけど」
『ふんっ。アルは評価が甘い! 身内贔屓というやつか?』
「身内と言えるほど、まだ近くはない気がするけど」
精霊の王が父だと聞いたところで、アルにとっては遠い存在である。会えば多少は実感が湧くのかもしれないが。
フォリオについても、兄だと言われても首を傾げるしかない。精霊だからなのか、それともうっかりだからなのか、いまいち頼りがいがないとも思う。
「――私は、もっと慕ってほしいのだがなぁ」
スッとフォリオが部屋に入ってきた。その気配には元々気づいていたので、視線を流して出迎える。
「あ、こんにちは、フォリオさん。お久しぶりですね?」
「……言葉にトゲがある気がするのは、気のせいか?」
『ふふん、気のせいなわけあるまい。アルを放っていたのだから当然だ』
「放ったつもりはなかったのだが……」
胸を張ったブランが、フォリオを馬鹿にするように口の端を上げる。眉を下げてアルの対面に座ったフォリオは、妖精からお茶のカップを受け取りながら気まずそうに視線を彷徨かせた。
「実はな……長く外に出ていたせいで、魔力が乱れていたようなのだ。その調整のために、本体に引き籠っていた」
「……本体?」
思わずフォリオの姿を凝視した。まさかこの姿は真実のものではないのだろうか。確かに実体のある姿であるのに。
アルの疑問に気づいたフォリオが、頭を傾けてから不意に手を打った。
「ああ! 私はそのことを説明していなかったのか! ふむふむ、確かに妖精の権限では話せぬことであるし……寂しい思いをさせてすまないな。そのようなつもりはなかったのだが。そうか、だから皆の元に行くこともなかったのか」
「……寂しかったわけではありませんが、説明を頼んでも?」
どうやらまたうっかりが発揮されていたらしい。ジト目でため息をつくブランに、内心で同意しながらフォリオを見つめた。
「ああ。……私たち精霊はな、本来は【樹木】が本体なのだ。この姿は人間と相対するために作ったもので、精霊の森では、基本的に木のままの姿で過ごす。他の精霊に会おうと思うなら、その本体を訪ねねばならんのだよ」
「は? ……つまり、この森にある木のいずれかが、精霊であると?」
「その通り。普通の木との区別は、魔力を見れば分かるだろう」
頷くフォリオを呆然と見つめた。だが、少し納得したのも事実だ。
ここ数日森を見ていて気づいたのだが、いくつかの木から大きな魔力が伝わってきていたのだ。そういう木には、妖精が纏わりついていた。
つまりは、それが精霊であったということだろう。
「……本体の木に生った果物が星屑?」
「ああ、その通りだ。皆、アルが会いに来ないのを寂しく思っていたようでな。かといって、精霊がむやみやたらに本体から離れることは避けるべきことであるし。とにかく歓迎の意を示すために、星屑を妖精に託して贈ったのだ」
呆れると同時に、少し胸が温かくなった。アルは精霊たちに拒まれていたわけではなかったのだ。ちゃんと歓迎されていた。フォリオがそれに気づくためのきっかけを与え忘れていただけで。
「……やっぱり、フォリオさんは、どこか抜けてますね」
「なっ……そう、か。そうだな……。うん、申し訳なかった……」
肩を落とすフォリオに苦笑する。今回は反省さてもらいたい気分だったので、慰める言葉は出てこなかった。
ブランだけでなく、アカツキも呆れたようにため息をついているのだから、アルの思いも仕方ないだろう。
「……文字はどれくらい覚えられたか?」
気まずそうに指先を弄りながら、窺うように見つめてくるフォリオにため息をつく。宙に展開されたままの光の粒、精霊の文字を、魔力を操作して集めた。
「だいぶ覚えられましたよ。ゆっくりですが、簡単な記録も読めるようになってきましたし」
「そうか! それは良かった。アルは頭が良いなぁ!」
フォリオが嬉しそうに、誇らしそうに呟く。その様子に毒気が抜かれて、アルは苦笑して肩をすくめた。
呆れても嫌いになれない愛嬌がフォリオにはある。アルよりもよほど長く生きているはずなのに、どこか無垢な雰囲気が漂っているのだ。
「――フォリオさんは、僕の母を知っているのですか?」
これまでフォリオに聞かなかった問いがこぼれ落ちた。
フォリオとアルは、言わば異母兄弟である。アルはその言葉に良い思いがない。公爵家のもとで、散々嫌がらせをされた存在だからだ。
アルの母の存在について尋ねることを、フォリオがどう感じるか読めなかった。だから、問おうと思えなかったのだが、それを問いたい相手のルースは未だ黙したまま。いい加減疑問が棚上げされる状況にうんざりしていた。
「ああ……語ったことはなかったか……。だが――」
フォリオの顔が複雑そうに歪んだ。言葉を選ぶように、視線が宙を彷徨う。
「――やはり、それを語るのは、父であるべきだろう。私も知ってはいるが、全ての事情を知るわけではない。なにより……父がアルと話す機会を奪うのもどうかと思うしな。……ルースも同じように思っているから、沈黙を貫いているのだろう」
「……僕の父親と言える方が、精霊の王バシレウス様だと聞きました。ルースとはどういう関係なのですか?」
フォリオの話しぶりで、バシレウスとルースに何らかの関係があるように感じられて、思わず尋ねた。
意外そうに眉を上げたフォリオが、アルの剣を見下ろす。
「ルースは言わなかったのか。――ルースは父の妖精だ。父の命により精霊銀に宿り、私と共にこの森を出たのだ」
「……そうですか」
なんとなく気づいていたことではあった。それが明言されて、少し心が落ち着く。
「アル……父に会ってくれるか?」
「……はい、会わせてください」
アルの決意を籠めた言葉に、フォリオが嬉しそうに微笑んだ。
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