第239話 星屑の煌めき

 ふわりと漂いながら瞬く光の粒たち。その一つに魔力を纏った指先で触れ移動させる。


「これがa……こっちがb……」


 精霊の文字と世界公用語の文字を対応させながら、形を覚える。だが、aに該当する精霊文字が十種類以上もあるとはどういうことだ。


 精霊の記録形態には、創世記のような【歴史公文書】や世界の文化を記した【文化史】、精霊独自の技術を記録した【指南書】等々、様々な種類があり、それぞれに使う文字が微妙に異なっているらしい。

 精霊の知識を得たいならば、全ての文字と使い方を学んだ方が近道だとフォリオに説明されたアルは、正直乾いた笑みしかもらせなかった。知識を得るのを好んでいるとはいえ、その前段階で膨大な数の文字の習得を地道にこなすのは些か苦痛でもある。


「はぁ…………ふぅ…………あああ……」


 ため息とも呻き声とも言えない声を垂れ流しにし続ける存在も、アルの精神的負担だった。

 勉強をしているアルの横で、テーブルに頬をつけながら指で円を描いているアカツキ。湿度が高すぎてキノコが生えてきそうだ。ただ暇なわけではなく、フォリオの語りに衝撃を受けて以来、ずっとこの調子なのだ。


 今さらそれほど落ち込むほどの話だったかと、アルやブランは首を傾げた。だが、どうやらアカツキは神に思うところがあるようで、理由を黙して語らないまま、うだうだとテーブルに懐いている。


「――結局、イービルがいつ、どうやって生まれたか教えてもらえなかったしなぁ」

『確実に知ってはいるようだったがな。やはり精霊は信用ならん』


 フォリオとの会話を思い返して呟くアルに、ブランがチョコレートを差し出しながら苦々しく呟く。

 口に放り込まれたチョコレートを舌で溶かしながら、アルは相棒の様子に首を傾げた。

 アカツキを叩いて遊ぶのも、『今は反応が乏しくてつまらん!』と不貞腐れていたが、甘いものを与えても珍しく不満は解消されていなかったらしい。それは精霊の森独特の空気が、魔物であるブランと合わないからかもしれない。


「外には出掛けないの?」

『……この森は、我が彷徨くには些か綺麗すぎる。空気には慣れてきたが、遊ぶ相手もおらんしな』

「ああ……魔物、いないしね。というか、妖精の姿は見えても、フォリオさん以外の精霊を一人も見ないし」


 アルに与えられた家からは、森の景色がよく見えた。時折妖精が窓辺に寄ってきて、友好的に手を振ってきたり、果物のお裾分けをくれたりするのだが、精霊が訪ねてくることはない。

 フォリオは、アルの存在は精霊に歓迎されるはず、などと言っていたが、その言葉がどうにも怪しく思えるくらい、アルは精霊たちに無視されている気がする。

 父と言える存在の精霊さえ会いに来ることはないし、初日以来フォリオが姿を見せることもなかった。勉強用にとフォリオが出した光の文字たちをもとに、妖精たちが教師になってくれている。


『あら、休憩中かしら?』

「こんにちは、ララさん。ちょっと疲れてきてしまいまして」


 窓から部屋に入ってきたのは、フォリオの妖精のララだ。ピンクのリボンで髪を結んでいる。

 名前はアルたちが区別できるようにと適当につけたもので、妖精に個別の名があることは珍しいらしい。


『そうなの。だったらちょうどいい時に来たわね』


 茶目っ気のある表情を浮かべたララは、手に持っていた籠から大量の果物や瓶を取り出した。


「これは……?」

『星屑のミーツよ。甘くて美味しいわ。それに綺麗でしょう?』


 美しい瓶の中で揺らめくのは色とりどりの液体だった。傾ける度に、液体の中で光の粒が煌めく。


『甘くて旨い!? アル、それを飲ませろ!』

「正体不明だよ?」


 身を乗り出してきたブランから瓶を遠ざけつつ、ララに視線を向ける。妖精たちを信頼していないわけではないが、材料も何も分からないものを口にする勇気はない。ブランに食べさせるのも嫌だ。

 鑑定を使っても【星屑を溶かしたジュース】としか表示されないのが不安を煽る。鑑定のやる気の加減が変動的すぎる。チョコレートの時のような説明を恒常的に頼みたいものだ。……いや、変に詳しすぎるのも逆に怪しいか。


『星屑は星屑よ? ……ああ、人間には馴染みがないものだったわね』


 アルが聞くより先に、ララが納得したように頷きつつ説明を始めた。フォリオに付き従って長い間精霊の森を出ていたララは、人間の常識もある程度知識があるのだ。


『――星屑というのは、精霊の森で産み出される果実のようなものよ。精霊の魔力を吸収した木に実るの。それを潰して清水しみずに一晩漬けたのが星屑のミーツね。精霊の魔力を豊富に含むから、そっちの魔族とブランは飲んだ方が、この森に馴染みやすくなると思うわ』

「なるほど……あの空間で被った水と同じような効果を示すわけですね」


 精霊の森に来る際に、アカツキとブランが被ったのは、アルの魔力から生まれた水だったが、それと似た効果のものが精霊の森には元々あったらしい。

 これを渡してくれれば、ルースが剣に宿って長い期間を過ごさなくても良かったはずだが……やはりルースには他の目的もあったのだろうか。

 剣に戻ったルースはいまだ姿を現すことなく沈黙を貫いている。母の話を聞かせてもらいたいと時々呼び掛けているのだが、こたえる様子はなかった。


「――まあ、それなら害はないか。ブランはどれにする?」

『精霊の魔力からできていると思うと微妙に嫌になってきたが……まあ、この森にいる以上、これを飲んだところで大してかわりないか。我はそのピンク色にするぞ!』


 テーブルに並べられた中から、ピンク色の星屑のミーツが詰まった瓶をブランに渡す。そういえば、この色の違いはどうやって生まれているのか。


『ふむ……旨い!』


 瓶を傾け一口飲んだブランの目がキラリと輝く。よほど美味しかったのか、一気飲みしてしまった。


「へぇ、そうなんだ。じゃあ、僕はこの青色にしようかな。アカツキさんは緑色でいいですか?」

「へ? ああ、まあ、いいですけど……」


 アルが呼び掛けてようやく頭を起こしたアカツキだが、説明を聞いていなかったのか不思議そうに瓶を手の中で転がした。アカツキにララから聞いたことを教えながら、瓶の栓を抜く。

 中身を口に含んでみると、爽やかな果物の風味と甘味が広がった。煌めく粒が炭酸のようなパチパチとした刺激を与えてくる。


「……確かに美味しい」

「うわぁ、メロンソーダみたいな味がする~。懐かしい。アイス浮かべたい」


 しみじみと味わうアルとは対照的に、アカツキは久しぶりに明るい声で星屑のミーツを楽しんでいた。

 アイスと聞いて、確かに合いそうだと思ったアルは、アイテムバッグを探ってグラスとミルクアイスクリームを取り出す。


「……やりますか?」

「やりましょう!」


 アルに合わせるように、アカツキがニヤリと笑って嬉々と作業し始めた。料理ではないので、さすがのアカツキも盛り合わせるくらいはこなせる。

 それにしても、星屑のミーツに精神回復効果が付与されていたのかと思えるくらい、アカツキの様子がいつも通りのものになっている。この数日の落ち込み加減が嘘のようだ。


『我もアイス添えが欲しいぞ! この赤色で作れ!』

「はいはい、分かってるよ」


 当たり前のように新たな瓶を差し出すブランに頷きながら、アルもグラスに瓶を傾け、アイスとカットした果物を添えた。なかなか豪華な見た目だ。


『ちなみに、色の違いは作り出した精霊の違いによるものよ。ブランが飲んだピンク色はフォリオのものね』

『……うげぇっ』

「ちょ、ブラン、声が汚ない!」


 遅れて説明された内容に、ブランが固まったかと思うと舌を出して呻いた。別にフォリオ自身から抽出した成分ではなかろうに、咄嗟の拒絶反応が出たらしい。


『我にあの間抜けでおっちょこちょいな性質が移ったらどうするつもりだ!?』

「いや、魔力からできているんだから、性格が移るなんてないと思うけど……」

『いいやっ、あのフォリオだぞ!? 絶対に変な影響がある! 解毒薬を作ってくれ!』

「いや、毒じゃないし……」


 ブランを宥めながらも、少し納得してしまうのは、フォリオのおっちょこちょいさの根強さを知っているからか。

 自分が持ってる瓶を眺めてからララに視線を向けると、楽しそうに目を細められた。


『その青色は、バシレウス様の魔力で実ったものよ』

「バシレウス様?」

『ええ。……フォリオの父にして、あなたの父でもあるバシレウス様』


 一拍間が空いた後に、ララが秘密を教えるように声を潜めた。


『最も強き精霊であり、この森を統べる精霊――つまり王様よ』


 アルは目を見開いて絶句した。

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