第237話 精霊の常識
フォリオの後について歩くごとに、人間とは違う気配が増えていく。木々の合間から、草花の陰から、小さい光が興味津々な面持ちでアル達を眺めていた。
アルはその無邪気な雰囲気に笑みをこぼし、清い空気を胸一杯に取り込んだ。
精霊の住む森は、澄んだ魔力に満ちていてひどく居心地がいい。これが精霊が森の外にほとんど出ない理由なのかもしれない。
『――我にとっては、あまりに清浄すぎるがな』
ブランがポツリと呟いて、くるりと首に巻きついて来た。アルの思考を読んだような言葉だ。
その顔をチラリと見て首を傾げる。
精霊の森は魔物にとっては過ごしにくい場所なのかと初めて気づいた。考えてみれば、この森には魔物がいない。獣の気配はあっても、魔力を凝らせたような生命体の存在は感じられなかった。
「ブランって、ちゃんと魔物だったんだね……」
『なんだと思っていたのだ! 我はとびきり美しく気高い存在なれど、魔物であることを捨てたことはないぞ!』
「気高い……? 食い意地が張ってる、じゃなくて?」
頭を上げて抗議してくるブラン。このようなやり取りはこれで何度目だろうか。慣れきったアカツキが笑いを噛み殺して震えていた。ブランにバレて尻尾で叩かれていたが。
「ふはは……魔物にはこの森は辛かろうな。そも、濁りから生じた存在なれば。だが、ブランは魔の森で生じるモノとは違うから、暫くすれば慣れよう」
フォリオが楽しげに会話に割り込んできた。その言葉は、アルが抱いてきた疑問の一つを解明させてくれるように思える。
「ブランのような魔物と魔の森の魔物の違いとは何ですか?」
「ふむ……親から生まれるモノと魔力から生じるモノの違いだろうな」
「なぜそんな違いがあるんです? 同じ魔物のはずなのに……」
明確な答えがないのはもどかしい。重ねて質問すると、フォリオがチラリと振り返ってから前方を指差した。
大きな木の幹に扉がついていた。魔の森にあったフォリオの家に似ている。
「腰を落ち着けて話をしようではないか。私が答えられることならば答えると約しただろう。……とはいえ、私はさほど知識者ではない上に、自他共に認める説明下手だがなぁ」
『少しは努力しなさいよ。アルに呆れられるわよ』
『そんなだから、トラルースにもマルクトにも嫌われるのよ』
「うっ……なぜ私はこんなにも皆に叱られるのだろうか……」
『あなたがそんなだからよ』
胸を押さえて悲痛そうに呻くフォリオを、付き従う妖精達は冷たく突き放した。遠巻きでアル達を眺めていた妖精達からも、同意のようなさざめきが伝わってくる。
アルの剣に宿った妖精ルースさえも、呆れの籠った嘆息をこぼしている雰囲気を感じて、アルは苦笑するしかなかった。
『こいつを頼って大丈夫なのか』
「……まあ、マルクトさんに会えさえすれば、わりとなんとかなる気がするし」
『ならば、こいつと話すより、そのマルクトとやらのところに行った方が、効率的だと思うがな』
「それは、確かにそうだね」
「ならんぞ! ならん! そんなすぐさま、弟を従兄殿にとられてたまるか!」
不意に声を荒げたフォリオに、妖精達が呆れたように首を振った。そして、ふわりとアル達を家に手招く。
『さあ、早くお家にお入りなさい。歓迎の用意はされているはずよ。この地で人間が過ごせる住居はここだけなの』
『マルクトに会うのはまた後にしましょうね。今日は月が満ちていないから、そもそもマルクトには会えないでしょう』
「月が満ちていない……?」
妖精に連れられて木の家に向かいながら、ふと空を見上げた。青い空は僅かに霞がかって見える。そこにある月は、夜ほどの存在感はないながらも、にんまりと笑んだ口のようにほの白く輝いていた。
『マルクトは月と星の変化を重要視しているのよ。それが何故だか私たちには分からないけれど、彼が誰かに会うのは、月が丸くなった日だけ』
『不思議な習慣よねぇ』
口々に教えてくれる内容をしっかりと頭に書き留める。ブランが『なんだそいつ。月も星もただ空にあるだけのものだろう』と顔を顰めていた。
「月と星、か」
「……暦的な? それとも占いかなぁ」
「どういう意味ですか?」
「うーん、俺もよく知らないですけど」
ポツリと呟いたアカツキに視線を向けたところで、妖精達に背を押される。さっさと家に入れと言いたいらしい。
開け放たれた扉の先には、ふわりと宙に浮くクッションとテーブルがあった。
『……とんでもなく、座り心地が悪そうだな』
「うん……不安定だね……」
ポカンとするアル達に苦笑する妖精達は、この空間が人間の常識に合わないものだと分かっているのだろう。
『ちゃんとテーブルは用意したのよ。……浮いているけれど』
『ちゃんと椅子を用意しなさいと伝えておいたのよ。……脚も背もたれもないけれど』
「いや、脚も背もたれもなかったら、椅子の概念崩壊してるからっ!」
アカツキが勢いよく叫び、アルも内心で同意した。妖精達の心遣いは分かっていたので、言葉にすることはできなかったが。
恐る恐るクッションに触れてみると、思いがけず安定感のある触り心地だった。押してみると包み込むようにへこむが、床に落ちることはない。宙に浮いているだけで、椅子と変わらない感じだ。
座ろうとすると自然と高さが下がり、腰を落ち着けると、自然とテーブルの高さに合わせて浮かび上がる。
「……実は便利?」
『魔力の無駄極まりないがな』
「でもこれ、空気中の魔力を取り込んで循環させているから、消耗はないはずだよ」
『……なんでこんなものにそれほどの技術が詰め込まれているのだ』
なんとも言い難い顰め面をするブランに、アルも頷きながらも、それが精霊なんだろうなと思った。
フォリオが簡単な調理に魔力を使っていたように、精霊たちにとって魔力とは手足同然なのだろう。生活の中でふんだんに使って当たり前。節約するなんて頭にないのだ。
そう考えると、トラルースの方が異端である気がする。何故そのような性質の者がこの森で育まれたのだろうか。
「ふひゃあ! なにこれ、面白い!」
「アカツキさん……なんで遊んでるんですか……」
アルが思考に耽っている間に、アカツキは浮くクッションの操り方をマスターしたらしい。意外とアルよりも適応力が高いのだ。
クッションと共に天井近くまで上がったと思うと、ふわりと部屋を巡りながら下りてくる。完全に乗り物扱いしているようだ。椅子の概念は消失した。
「……楽しんでもらえて何よりだが……さすがに同胞らには、椅子とは何かと講義しなければならないな。椅子は宙を浮かない」
ティーポットやカップを宙に浮かせたフォリオが渋い表情で
『それを言うなら、人間はカップを浮かせないわよ』
『あなたも人間の常識にそぐわない精霊なのよね』
アルが思ったことは全て妖精が言ってくれた。妖精達は精霊よりも人間について詳しいらしい。
落ち込んだフォリオから蜂蜜茶の入ったカップを受け取りながら、妖精に視線を向ける。
フォリオと話すより、妖精との方が実のある話が聞ける気がした。ルースはまだ出てくる気はなさそうだが。
「あなた方は人間のことに詳しいのですね?」
『そうね。私たちは精霊の傍に侍る者であり、その意を世界に広げるものだから』
『精霊の森の外に、精霊に代わって出掛けることもあるわ。人間との対面をするのも、たいてい私たちね』
『そうそう。精霊は人間への関心がないから』
話題を向けた途端、姦しく話し出す妖精達にアカツキが顔を顰めながら近づいてきた。
「この感じ、ダンジョンの妖精達そっくり……」
「話し好きなのが、妖精の特徴なのかもしれませんね」
苦笑混じりに呟きながらお茶を口に含む。色々と聞きたいことがあるのだが、妖精達がおしゃべりに飽きるにはまだ時間がかかりそうだった。
――――――
本年はお付き合いいただき誠にありがとうございました。
来年は目指せ定期更新! 執筆がんばります。
よろしくお願いいたします……!
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