第236話 幻想の森

 ふわり、ふわりと瞬く光を追って歩く。妖精は楽しそうにアル達の道標をしてくれていた。


「なーんか、すっごい体が軽くなった気がするんですよねー」

「……そうなんですね」


 タオルでごしごしと髪を拭いているアカツキをチラリと見る。水を被ってから時間が経っても、その姿から消えたものは戻ってきていないようだ。


『……なんだったんだろうな』

「ブランにも分からないなら、精霊とか神とかの領域にあるものだったのかもね。……妖精は答えてくれなかったし、マルクトさんに聞けたら聞いてみよう」

「何が??」


 水の効果を理解していないアカツキは 、盛大に疑問符を浮かべた顔だ。けれど、アルもなんと説明すべきかよく分からないので、軽く肩をすくめて質問を受け流す。


『アルよ、もうすぐ着くぞ』

「あ、ちゃんと目的地があったんですね」

『ふふ、何のために歩いているのだと思っていたのだ』


 思わずこぼした本心に、妖精がおかしそうに笑う。アルは苦笑を返した。

 ブランとアカツキが十分に水を浴びたと判断した途端、行き先も知らされぬまま歩くよう指示されたのだ。妖精のことを少し疑ってしまっても仕方あるまい。


「……たとえ、この剣に長く宿っていた妖精だとしても、ね――」


 石から引き抜いた剣は、以前と変わらずアルの腰元に下げられている。だが、これまでとは少し違う感覚がするのは、その中に妖精がいないからだろうか。


『おまえに名はあるのか?』


 不意にブランが問い掛けた。妖精が不思議そうに首を傾げるのを見て、アルもその質問の重要性に気づく。


「精霊の森に着いたら、きっとたくさん妖精もいるんでしょうね。呼び分けたいので、できればお名前を教えてください」

『ああ……そうだな。では、ルースとでも呼んだらいい』

「ルースさんですね、分かりました」


 本名ではないのだろうなとすぐに悟った。そもそも妖精が個体名を持つかどうかも知らなかったのだが。フォリオは妖精の名を呼ばなかったし、トラルースは妖精を連れていないように見えた。


「ん? あれは、鳥居……?」

『着いたな。精霊の森への門だ』


 アカツキが変な顔をして前方の門を眺めていた。

 ルースに示されるままにアルも観察してみたが、朱色の独特な形の門にしか見えない。だが、どことなく異国情緒が漂っているように感じられた。


「もしかして、精霊の森って神世にあるんですか……?」

『どうしてそのようなことを考えたのだ?』

「だって、鳥居って、現世と神世をわけるものじゃないですか……」

『そのような常識、この世界にはないぞ?』

「……あ、そうか、ここ異世界だ。でも……それなら、どうしてここまで俺んとこの文化を引き継いでるんだ……?」


 アカツキが難しい表情で考え込んだ。それをルースが笑みを浮かべながら見ている。その目はどこか冷たく見えて、アルは少し眉を顰めた。

 ルースがアカツキを故意に傷つけるとは思えないが、なんとなく好意を抱いていないのは感じられる。これが後々悪いことに繋がらなければいいが、今はまだ判断できない。


『さあ、ここを通るがいい。資格を得た者なら、問題なく通れるはずだ』


 歌うように告げたルースが、アルの返事を待たずに門へと向かった。その姿が一瞬で消える。どうやら精霊の森に向かったらしい。

 アルは肩に乗るブランに目配せしてから後を追った。

 ここで立ち止まっていたところで仕方ない。既に資格はあると判断されているのだから、恐れる必要はないはずだった。


「アカツキさん、さっさと行きますよ」

「あ、置いてかないでくださいぃ!」


 後ろからアカツキが慌てて駆けてくる足音がした。アルは一度門を見上げて、気合いを入れることなく足を進める。


 ふわりと温かいものに包まれる感触があった。



 ◇◇◇



 チュンチュン――。


 まぶた越しに久しぶりの光を感じる。温かな風が頬を擽り、花の香りを運んで来た。鳥の声に獣の気配。どれもひどく懐かしく感じてしまう。


『――ほう……精霊の森とは、かくも美しきものなのか』


 ブランの声が聞こえた瞬間にまぶたを押し上げる。柔らかな光の洪水が押し寄せてきた。


「……宝石みたいだね」


 ほぅと感嘆の吐息と共に声が漏れた。


 アル達の周囲には森が広がっていた。だが、これを森と呼んでいいものなのかと、アルは首を傾げる。

 木の幹は硬質な黒曜石のような光沢を放ち、葉は光を透かせて美しいエメラルドのように煌めいていた。地面をうめるのも、宝石のような花たちだ。

 芸術品と呼んでもいいだろう光景に目を奪われながら、アルはそっと気配を探った。先にこちらに来ているはずのルースの姿が見えない。


「ひょえ!? おとぎ話の世界みたいだなぁ……桜が見たら喜びそう……」


 勢い余ったのか、現れた途端アルの背中にぶつかったアカツキが、周囲を見渡して感嘆まじりに寂しそうに呟いた。異次元回廊に置いてきた妹のことが気にかかっているようだ。


「アカツキさんも無事に来られたようで良かったですよ。……さて、ここからどこへ向かえばいいのかな」


 アルは「うーん」と唸りながら、なんとなく歩き出す。

 この森は特殊な場所のようで、ルースやフォリオ達の気配が感じ取れなかった。探知を妨害されている感覚がある。


『……ここは魔の森よりも我の能力が使いにくい。ドラゴンと精霊は領分が違うからか……』


 忌々しそうに呟くブランは、アルの勘任せの行動を咎めなかった。食ったドラゴンから引き継いだ【森】に関する能力も、ここでは通用しないようだから咎めようがないのだろう。


「色々特殊なんだろうねぇ。危険はなさそうだけど。……ん?」


 不意にどこからか声が聞こえた気がした。足を止めて耳を澄ませるアルと同様に、ブランも耳を立てて声の出所を探る。


「もしかして、ゆうれ――」

「違います。フォリオさんの声ですよ」


 アカツキの言葉を遮って、声の主を教える。見知らぬ場所で余計なことは言わないでほしいものだ。

 声を探るのに集中していたはずのブランが、笑いをこらえるように体を震わすのも気に入らなかった。

 肩から落としてやろうかと企んだところで、先ほどよりもはっきりと声が聞こえてくる。


「――ぉい、アル、どこにいるー?」

『こっちよ、こっち』

『出ておいでなさいよ。私たちはそこに行けないわ』


 宙に燐光が舞った。まるで道案内をするように瞬くそれを辿って行くと、次第に声が大きくなっていく。

 そして、進むごとに、森はアルにとっても見慣れたものに変わっていった。しっかりと命の息吹を感じられる木々と草花だ。

 アル達が最初に招かれたのは、精霊の森の中でも特殊な場所だったのだろう。


「お、いたな! ようこそ、精霊の森へ。同胞の帰還を歓迎しよう!」


 背の高い草を掻き分け出てきたアル達を、フォリオが満面の笑みで出迎えた。パッと広げた腕は、そのまま胸に飛び込んで来いと言わんばかりだ。

 アルは努めてその仕草を無視した。もう幼子ではないので、無邪気に抱きつくなんてできるわけがない。


 背中をつつかれて振り返ると、アカツキが悪戯な笑みを浮かべて頷いてくる。抱きつけばいいと言いたいようだが、それがただの思いやりでないことはその笑みが示していた。アルをからかいたいのだろう。


「……しませんよ?」

「何故だ!?」


 アカツキに答えたはずなのに、フォリオから返事がきた。間違ってはない。


『やぁねぇ、アルも姿はもう大人でしょう。そんな可愛がり方は嫌われるわよ』

「兄は弟をこう愛でるものだろう!?」

『ぽっと出の兄なんて、他人とほぼ同じでしょうよ』

「た、他人……!?」


 ショックを受けた様子で固まるフォリオは、魔の森にいたときよりも生き生きとしているように見えた。精霊の森は精霊にとって居心地のいい場所らしい。

 かくいうアルも、体が軽く呼吸がしやすいように感じられた。アルの身に流れる精霊の性質が、この森にあることを喜んでいるようだ。


『ふふ、合流できたな。フォリオ、アルの案内をよろしく頼むぞ』

「……ああ、もちろん」

「ルースは――」


 木々の合間から不意に現れたルースが、アルの呼び掛けに答えることなく剣に吸い込まれるように消えた。

 戸惑うアルにフォリオが微笑む。


「まずは泊まるところに案内しよう。身を落ち着けてから、いくらでも質問するといい。私が答えられることならば答えよう」

「……そうさせてもらいます」


 ゆったりと歩き出したフォリオを追って、アル達は精霊の森を進んだ。

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