第233話 精霊の森への行き方
アルが喧嘩を仲裁して数分後、トラルースは盛大な舌打ちと共に鬱憤を仕舞い込んでくれた。肩に担いでいた布袋を探り、何かを取り出す。
「アル、これをやる」
「何ですか、これ……?」
危険を感じなかったので素直に受け取ったものの、それは煌めく丸石を連ねたブレスレットのように見えた。精霊なりの親愛の証だろうかと首を傾げる。
ブランがそのブレスレットに鼻を寄せ、機嫌良さそうに尻尾を振った。
『ほう……これは濃密な森の気配がするな。精霊の輝石か』
「長生きの狐はさすがによく知っているな。精霊の輝石とは、精霊の森で産出される石だ。多少魔力の保存容器にもなるが、見目が良いだけの石と思ってくれていい。人間の目に止まれば、奪い合いの争いが生じかねないほど希少だが」
「当たり前みたいに争いの火種を渡さないでほしいんですけど?」
アルはぎょっとして、ブレスレットをトラルースに押し返そうとした。
争いの種なんて、手元に置いておきたくない。アルはそれなりに戦う術を持っているが、精神的には森での隠遁を好む平和主義者なのだ。
アカツキも心なしかアルから距離をとろうとしていた。原因がブレスレットなのは分かっているが、少し薄情に感じる。
「人間に見せねぇなら問題ねぇよ。それはマルクトのところへの通行証だ。それがなきゃ、精霊の魔法の知識は得られねぇぞ? 何せ、マルクトもこいつを苦手に感じてるからな」
こいつと示されたのはフォリオだ。トラルースの冷たい視線から逃げるように、間に妖精をおいて下手な笑みを浮かべている。
アルの兄と言ってもいい存在らしいが、なんとも情けなく見えてしまった。
「……マルクトというのは?」
フォリオの様子を無視することにして、アルはトラルースを見つめた。とりあえず、ブレスレットは手元に戻しておく。
争いの火種になるのはともかく、トラルースの物言いにはアルへの配慮が透けて見えた。おそらくこのブレスレットはアルにとって必要な物なのだろう。
「こいつの従兄にして、精霊一の魔法研究者だ。アルは精霊の魔法について学びたいんだろう? なら、マルクトに会えなければ、魔法の真髄は得られねぇ」
「魔法の真髄……!」
なんともワクワクする言葉だった。目が輝いている自覚がある。
そんなアルを、ブランとアカツキが呆れた表情でありながら、微笑ましげに見つめた。
トラルースも初対面とは思えないほど、愛情を含んだ眼差しを向けてくる。
「……こいつと違って、マルクトは俺の親友なんだ。俺がアルに知識を分けてやってもいいが、俺の仕事はここで異次元回廊を見張ることに決まったからな。精霊の森の外で、知識の教授は禁じられているし……アルへの餞別代わりに、ブレスレットは持っていけ。マルクトにはアルのことを話してる。こいつが傍にいなければ、喜んで迎えてくれるだろうよ」
「ありがとうございます。……それにしても、フォリオさんはどうしてそんなに嫌われてるんですか?」
いそいそとブレスレットを仕舞いながら、ここまでの流れで気になったことを尋ねる。
トラルースとフォリオが性格的に合わないことはよく分かったが、近しい血縁者のマルクトにまで嫌われるとは、フォリオになにがしかの原因がありそうだ。
ただ怠惰なだけで、そう嫌いになれるほど、フォリオの性格は悪くないように思える。アカツキのようにおっちょこちょいなところはあるが、優しい人だと思うのだが。
「……精霊の中でも色々あるんだよ。知りたきゃこいつに聞くか、精霊の森で調べるんだな」
トラルースは答えをはぐらかした。フォリオを見ると、曖昧な笑みを浮かべて口を閉ざすだけだ。どうにもアルに教えてくれる気はなさそうである。
『……引きこもりの精霊の事情なんて知らんが、あまり深入りしないほうがよさそうだぞ』
何を感じ取ったのか、用心深く呟くブランに、アルは苦笑を返した。確かに、アルの手にはあまりそうな気がするのは事実だ。
「そうだね。……それで、精霊の森にはどうやって行くんですか? 転移だと聞いてはいましたが」
「ああ、精霊の森へは俺が飛ばしてやる。フォリオ、魔力寄越せ」
「だから、それはまだ――」
「恒久的にとは言ってねぇだろうが。ちったぁ頭を働かせやがれ!」
少しずつ離れながら抵抗するフォリオの腕を問答無用というように掴むと、トラルースは宙に手を翳した。
莫大な魔力がフォリオからトラルースへ流れ込み、手から放たれたかと思うと、宙に魔法陣が描かれる。純粋な魔力だけでできた、恐ろしいほどに美しい魔法陣だ。
「凄い……! 繊細な魔力操作だ! 刻むという動作なしに、宙にこれ程鮮明に描けるなんて……!」
『アルが好きそうなもんだなぁ。それで、これはどういう魔法なのだ? 転移魔法か?』
「……いや、使っている魔力は空間に作用するものだけど……この魔法陣は転移とは少し違うような――」
宙にある魔法陣を一瞬で記憶しながら、その作用を探る。
転移魔法に似ている。だが、それとは少し違う。転移魔法は離れた二点の間の距離をゼロにして、一瞬での移動を可能にするものだ。だが、現在展開されている魔法陣は、その理論には当てはまらない気がした。
「さすがだな。それでこそ、マルクトの知恵を受け継ぐに相応しい」
トラルースが満足げに呟いたところで、目の前の光景に変化が生じた。一気に魔力の光が膨れ上がったかと思うと、全てを飲み込むように闇が生まれたのだ。
「これは……」
「次元の抜け道。通っていけ。資格有るものだけが辿り着ける」
「……資格?」
『どこかで聞いたような言葉だな……』
ブランが嫌そうにトラルースを睥睨した。確かに、資格という言葉は異次元回廊で聞いた記憶がある。それをブランも思い出したのだろう。
それに、異次元回廊の中でも、このような闇の空間を通って、長い道程をショートカットしたはずだ。あれはクインの試練後に門に向かう時だったか。
「精霊の森は本来人間の立ち入りを拒む。精霊の血を持つとはいえ、アルの身は人間の血肉が大部分。無条件に受け入れられるかなんぞ、俺たちに判断できるはずがない。森への立ち入りを禁じているのは精霊の考えではなく、神が作りし理だからだ。……神がアルに資格を与えているならば、問題なく辿り着けるだろうよ」
『……資格がなければどうなる』
トラルースの態度に敵意がないのは分かっている。だからこそ、トラルースが示した道筋に危険性は感じなかったのだが、ブランは警戒した表情だった。
「この場に戻って来るだけだ」
『……ふん、それならば良い』
あっさりと答えたトラルースの言葉に、ブランが納得いかなそうな表情をしながらも頷く。とりあえず信用することにしたようだ。
アルも頷いたが、ふと隣で固まる存在を思い出した。
「……あ、アカツキさんは、もしかして無理なんじゃ――」
「えええ!? ここにきてお留守番ですかぁっ?」
アルに言われて気づいたのか、アカツキが悲愴な表情で叫んだ。
そこで漸くトラルースの視線がアカツキに向く。何かを推し図るように見つめたかと思うと、軽く肩をすくめて首を振った。
「知らん。行けるかどうか試すのは自由だ。そいつ、神の牢獄にいるはずの奴だろう。なんでここにいるかは知らんが、俺は手を出さん。神からの仕置きを受けるなんてマゾじゃねぇからな。とりあえず存在を無視させてくれ」
「ひどい! 俺のこと空気みたいに言わないで!」
「空気は罪なく神の許しのもとにある。身の程をわきまえろ。お前に空気のような有益性はない」
「ぐぅ。……ぐうの音も出たわ……」
鋭い言葉で叩きのめされたアカツキが、涙目で肩を落とす。あまりに哀れな有り様に、アルは苦笑してその肩を叩いた。
「とりあえず一緒に行ってみましょう。アカツキさんだけここに戻ってくるなら、家で待っていてくれればいいんですし」
「……この場から家に帰る道程も地獄なんですけど? 護衛もなく帰宅は無理ぃ!」
嘆くアカツキを見かねて、アルはこの場に残るはずのトラルースを頼ろうと視線を向けてみたが、素っ気なく首を横に振られた。
トラルースのアルへの愛情は、アカツキに適応されるものではなかったらしい。
とりあえず、アルは護身用の魔道具を渡すことで、なんとかアカツキを宥めておいた。
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