第232話 予想外の男

 男の目がフォリオを映して不機嫌そうに細められる。


「おお、トラルース、来ていたか」

「能天気な声を上げるんじゃねぇ、すっとぼけ野郎」

「相変わらず威圧感のある物言いだなぁ」

「お前の若年寄の物言いに比べりゃそうだろうよ」


 フォリオのおっとりとして嬉しげな様子に相反するように、トラルースと呼ばれた男はどこまでも嫌そうな感情を隠さなかった。アルが思い描いていた交代要員の精霊の姿とはかけ離れている。

 戸惑いのあまり黙って二人の会話を見守っていたアルに、トラルースの琥珀色の目が向けられた。

 トラルースはアルをじっと眺めたかと思うと、強く目を瞑り大きく息を吐く。再び目が開いた頃には不機嫌な様子も薄れ、僅かな笑みが口元に浮かんでいた。


「会うのは初めてだな、姫の落とし子」

「姫の落とし子……? できれば、アルと呼んでください」

「ん? ……まあ、いい、アルだな。分かった。俺はトラルース。このボケ野郎の……遠い親戚だ」

「正確に言うと、私の祖父の弟の妻の従兄弟の孫だな」

「そんな詳しい血縁の説明、しても仕方ねぇし、覚える必要もねぇだろ。アル、忘れていい」


 穏やかに注釈を加えたフォリオの頭に手刀が落ちた。フォリオが呻き声も上げられずに地面に沈み、その周囲を呆れた表情の妖精が飛び回る。

 アルは苦笑して、苛立たしそうに眉間に皺を寄せたトラルースに視線を向けた。

 手刀の威力から、トラルースが武術を身に付けていることがよく分かる。何より、フォリオと比べて立ち姿に隙がない。戦闘面で相当な実力者なのは確かだ。


『……魔力の多さに物言わせる精霊にしては、体術に優れているようだな』

「そうだね。でも、そんなに警戒しなくていいと思うよ」


 肩で警戒を示すように身構えるブランの体に手を這わす。宥めるように撫でると、ピンと伸びていた尻尾がゆるりと揺れた。

 トラルースが敵であれば、油断ならない人物であるのはブランの予想通りだろう。だが、アルを見つめる瞳には、愛情と懐古に似た感情が浮かんでいた。敵対する相手にそんな感情を向けることはそうないと思う。


「そうだな、狐。俺は末の子に敵意を向けるほど落ちぶれてねぇよ。精霊のあり方に思うところはあるにしろな」


 不意に後ろから声が聞こえて、アルは勢いよく振り返った。同時に肩から重みが消える。


『離せっ! 我に触れるとは不遜な!』

「良い毛皮だな。襟巻きにしていいか?」

『いいわけあるまい!』


 トラルースがブランの首を掴み、毛並みを確かめるように揉んでいた。

 怒鳴ったブランが腕を振り上げるのを避けるように手放し、姿が消える。気配が再び現れたのはフォリオの傍だった。


「……転移? 印もなく?」

「あ? ……ああ、そうか、人間の技術で再現されているのは、目的地が定まったもんだけか」

「へぇ、つまり、転移魔法は極めれば、あらかじめ印を置いているところ以外にも自由に転移できるということですか」

「そうだな。まあ、使えんのは精霊の中でも限られたもんだけだが」


 転移魔法の新たな可能性に目を輝かせていたアルに、物言いたげな視線が向けられる。それは、トラルースから放られたブランと、怯えきってアルの腕に抱きついていたアカツキ、漸く地面から起き上がったフォリオからのものだった。

 何を言いたいのか分からず、アルは首を傾げる。


「どうかしました?」

「俺、完全な部外者ですけど、今気にすべきなのは転移魔法についてじゃないと思うっす……」

『少しは我を心配しろ!』

「私のことを気遣ってくれてもいいんだぞ……?」


 アカツキが呆れ気味に呟きながらアルの腕から離れたので、拘束されていた腕の筋肉をほぐすように軽くストレッチする。

 その後、拗ねた様子のブランを抱き上げ、毛並みの乱れを直してやりながら、萎れた様子のフォリオに視線を向けた。


「フォリオさんは、トラルースさんの対応に慣れているように感じたので」

『そうね。ことごとく、この二人は気が合わないのよ。大体はこっちが悪いのだけど』


 妖精の一人がアルの言葉に答えた。身を起こしたフォリオから砂埃を払う様には慣れが窺える。アルの予想通り、フォリオとトラルースやり取りはよくあることのようだ。


「こいつは馬鹿だからな。なんでこいつが一族の使命を請け負うことになったんだか……。どうせとんでもないボケをやらかしてんだろ?」


 トラルースのトゲのある視線がフォリオに突き刺さる。フォリオが気まずそうに視線を逸らし、下手な口笛を吹いた。

 それさえも気に障るのか、トラルースの拳がフォリオに向けられる。だが、それを受け止めたのは濃密な魔力の塊だった。理論なんてなく、ただ魔力の大きさに任せた防御である。


 アルは精霊らしい魔力の使い方を興味深く観察しながら、フォリオのボケを思い起こして苦笑するしかなかった。トラルースの予想が当たっていることをアルはよく知っている。


「チッ、相変わらず魔力だけは一族きっての多さだな。それを効率よく使える頭さえあればいいもんを……!」

「うむ、まあ、それはもう皆に諦められているからなぁ。はっはっはっ」

「笑ってんじゃねぇよ! 腐るほど時間はあんだから、少しは努力しやがれ! てめぇは怠惰なだけだ! できねぇならその魔力、俺に寄越せ!」

「それはまだできないなぁ」


 怒り狂うトラルースを、フォリオが楽しげに見つめる。関係性をよく知らないアルから見ても、この二人は気が合わないのだろうと納得した。

 フォリオはトラルースを好いているようだが、それを遥かに上回る勢いでトラルースはフォリオを嫌っている。

 トラルースの言い分を聞いてしまえば、アルの思いとしては、トラルースに同意したくなった。


 魔力が多いのはアルも同じだが、その制御にアルは幼少の頃から努めているのだ。

 フォリオはアルよりも長く生きていて、周囲に教えを授ける存在も多くいただろう。その環境下で己の能力を伸ばさない怠惰に、アルが共感できるわけがない。


「……魔力を寄越せ、ね」


 トラルースとフォリオの関係性とは別に、アルは気に掛かった言葉を呟いた。ブランが訝しげに顔を覗き込んできたが、構わず思考に耽る。


 トラルースの要求にフォリオが「まだできない」と答えたということは、その手段が存在するということだ。

 アルは魔法技術についてよく学んでいると思っている。知識の塔で得られた知識で、世界でも一二を争うくらい優れた魔法研究者と言ってもいいだろうと自負してもいた。これは過分な自信ではないだろう。

 そんなアルをして、魔力を他者に分け与えるなんて技術に心当たりがなかった。


「精霊独自の技術なのかな……」

『また好奇心が溢れているな。そんなことより、精霊の森に行くのはまだなのか?』


 精霊に教えを請う知識が増えたと笑みを浮かべるアルを、ブランが半眼で見つめながら呆れたように呟いた。

 アルが思考に沈んでいた間も精霊二人のやり取りは途切れておらず、飄々とするフォリオに対してトラルースは怒り心頭の様子だ。


「フォリオさんは一族の末子って言われていたはずだから、トラルースさんの方が年上なんだろうけど……このやり取りだと、大して年齢に違いはなさそうだなぁ」

「アルさん、アルさん、そろそろ観察やめて喧嘩を止めてくださいよぉ。なんか肌がビリビリしますよ……」


 二人を眺めるアルの袖を、アカツキが弱々しく引きながら、アルの背後に隠れた。


「ビリビリ? ……ああ、魔力が感情で暴走してるのか。……いや、ただ単に威圧に魔力を使っているだけだな。トラルースさんは魔力の制御を失っているわけじゃない」

「いやいやっ、冷静な判断はいいんですけど! 止めてってば!」

『軟弱者め。お前も多くの魔力を持っているのだから、この程度に怖じ気づくな』


 アカツキが何故か焦ったようにアルの腕を掴む。その手が微かに震えているのに気づいて、アルは片眉を上げた。

 どうやらトラルースの怒りを示した魔力に怯えているらしい。アルにはまだそよ風に思えるくらいの魔力量だが、戦闘慣れしていないアカツキには辛いもののようだ。

 ブランが悪態をつきながら、アカツキを宥めるように尻尾で撫でるのを横目に見る。心配を素直に示さない天の邪鬼な相棒なのだ。


 アカツキの怯えは兎も角、現状に飽きてきたのも事実である。精霊の森に行って早く知識を得たいという思いもあり、アルは二人の諍いを止めるために口を開いた。

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