第231話 隠された望み

「――彼らがこの地を去ったのは、遥か昔のことよ。生きているとは誰も思っていなかった。会うことは……今はできないわ」


 魔族と会いたいかと尋ねたアルに、ソフィアは僅かに沈黙した後そう答えた。

 ヒツジとメイリンを見上げると、ソフィアの言葉に同意するように僅かに頷きを返される。


「私どものルーツに彼らがいるとしても、今の全てを捨て去り会いに行くことは望みませんよ。魔族の血は忌避されると同時に、強く求められるものでもあります。接触を得れば、必ずどこかで情報が洩れる。それは世界に大きな影響をもたらすでしょうし、あってはならないことです。……彼らが隠遁しているのなら、なおさら」


 ヒツジの言葉に息を飲み、アルはソフィアたちの答えを受け入れた。

 アルが語らずとも、ソフィアたちはかつての魔族が何を求めてこの地を去ったのか、なんとなく分かっているのだろう。魔族について知りたいという思いも感じられたが、それ以上に世の雑事に巻き込みたくないという意志を感じた。


「……そうですか。どうも余計なことを提案してしまったようですね」


 呟きながら、異次元回廊の奥地で出会ったサクラとヒロを思い出す。記憶が曖昧なアカツキは置いておくが、彼らは外で繋がる彼らの血筋に複雑な愛情を抱いているように見えた。

 会えれば喜ぶだろうと思ったが、それもアルの勝手な考えでしかない。


「ふふ、二人を気遣ってくれたのでしょう? ありがとう。でも、今の世界はそれを許してくれる状況ではないの。――魔族の血を表に出してはいけない」


 柔らかな声が不意に固く決意を籠めたものに変わった。

 空気の変化に気づいたのか、膝の上のブランがうっすらと目を開け、大きく欠伸をして体を起こす。


『なんぞ、事情がありそうだな』

「ブラン、聞いていたの?」

『聞こえていたんだ』


 軽く返すブランからソフィアに視線を戻すと、真摯な目とぶつかった。


「アル。魔族に至る道を誰かに教えないでちょうだい。どうやら魔族を戦争に使おうとしている者たちがいるわ」

「……帝国ですか」

「そうとも言うし、そうでないとも言えるわね。正直、既にあの戦は二国でおさまらないところまできていると思うわ。いつ戦火がこの国まで及んでもおかしくない。帝国も押さえ込もうと必死だけど……マギ国よりも悪魔族が問題ね」


 苦い表情をしたソフィアが、苛立たしそうに指でテーブルを叩く。珍しく無作法な仕草だった。


「……魔族は悪魔族を討つ術を持っていると、噂が流れているわ。そもそも魔族の存在だって広く知られていなかったのによ。明らかに作為的な噂。それに惑わされて、戦争の背後に悪魔族の存在がいることを知る国々が、方々に探りを入れているの。私の元にいるヒツジたちを彼らから隠すのが、私にとって精一杯。今の状況では、私たちが魔族の存在をこの国に抱えることはできないわ」


 アルは顔を顰めそうになるのをこらえた。ここで反応を示すことが、ソフィアたちに真実を抱えさせるという重荷になるのが分かっていたからだ。

 魔族が持つ、悪魔族を討つ術。それにアルは心当たりがある。かつて死を望んだ魔族に救いをもたらし、サクラを長く苦しめているもの。同族を殺めるための剣だ。

 魔族と悪魔族は、その思想が異なるだけで同じ存在だ。ならば、創世神が与えた剣で悪魔族を倒すこともできるのだろう。むしろ、不死である彼らは、その剣でしか倒せないのかもしれない。

 だが、それによる苦しみをサクラたちに背負わせるのは嫌だと思った。


『……世界が同族殺しを求めるのか。誰がそんな情報を噂として流したかは知らんが、あまりに悪趣味だ』


 不機嫌に顰めた顔で吐き捨てるように呟くブランの頭を撫でる。その柔らかな触り心地が、冷えた心を癒してくれるようだった。


「……お二人は本当に大丈夫なんですか?」


 見上げた先で、ヒツジとメイリンが微笑を浮かべた。


「私どもが魔族の血をひいていることは、まだ知られていません。まあ、知られたところで、捕まえられようとも悪魔族を倒す術なんて知らないわけで……知らないままでいれば、なんとかなりますよ」


 だから言ってくれるなよ、と言外に告げてくるヒツジにアルは言葉を失った。

 捕まれば知らないで押し通せるわけがないことは、アルはよく分かっていた。だが、ヒツジたちからは、命に代えても魔族を戦に巻き込まないという意志が伝わってくる。


「……顔を見たこともなく、その存在さえもよく知らない。それでも、私たちの愛すべき祖先の血族なのです。この世と離れた場所で平穏に過ごしているならば、そのままであってほしいです」


 メイリンが目を伏せて祈るように呟いた。ヒツジが同意するように頷き、彼らの主であるソフィアも穏やかに首肯する。


「――面倒な世の中ですね」


 アルは思わずポツリと呟いた。ブランが見上げてくるのに気づいたし、ソフィアたちが訝しげに首を傾げたのも分かっていたが、目を逸らして沈みゆく太陽を見つめた。


 何故こうも、この世界では本心の望みを素直に口にすることができないのだろうか。会いたいの一言さえ許されないのか。

 アルはそんな世界を厭っているし、自身は自由に生きたいと思っている。だからこそ、身分を捨てて出奔した。


 縛られる人生を見ていると、僅かに憐れみが募る。それを表情に出さないまま、せめて今アルが言えるだけの希望を残そうと口を開いた。


「全ての問題が解決する頃に、また同じ提案をしようと思います。……それまで生きてくださいね」

「……ええ、もちろんよ」


 視線を戻すと、ソフィアが力強く微笑んでいた。ヒツジたちも「無駄に命を落とすつもりは全くありませんね」などと呟きながら笑っている。


 アルが彼らにサクラたちと会うことを勧めるとして、それはサクラたちが故郷に帰る手段を見つけた頃になるだろう。

 手段さえ見つけてしまえば、悪魔族と呼ばれる人たちも、世界の破壊より帰郷を望むのではないか。そうすれば戦争そのものも終結するかもしれない。

 甘い考えだとは分かっているが、そうであればいいと強く思って、アルは苦く笑んだ。


『アル、あまり背負い込まないことだ。やりたいことだけやればいい』

「うん、分かっているよ。僕は僕がしたいことをするだけだ」


 見つめてくる視線を妨げるように、アルはブランの頭を撫でた。



 ◇◇◇



 冷たい空気を肌に感じながら、さくさくと森の中を進む。


「あー、今日でここともお別れかぁ。精霊の森ってどういうところなんすかねぇ……」


 隣を歩くアカツキが、周囲に視線を巡らせて警戒しながら呟く。その口調はのんびりしているが、表情は僅かに強張っていた。

 ブランとの連日の狩りの成果か、魔物への過剰な恐怖は押し隠せるようになったようだ。だが、まだまだ真に強さを得られたとは言えない。


「帰ってこようと思えばいつでも帰れるので、異次元回廊に赴く時とは心持ちが違いますけどね」

「そりゃそうですね。何より、元から知っている人が一緒なんですから、大して心配することもなさそうですし」

『ふん……ちょっとした観光にちょうどいいくらいだな』


 肩に乗っていたブランが頬に擦りついてきた。冷たい風が遮られて温かく感じる。


 この地でするべきことは既に終えた。この後はフォリオと共に精霊の森に赴くだけ。

 どんな知識を得られるのか。どんな体験ができるのか。

 時が近づく毎に期待は高まっていく。


 魔物を倒しながら進んだ先に、見慣れた大木の家があった。その傍にフォリオが妖精たちと共に佇んでいる。

 アルたちに気づいたフォリオが軽く手を挙げた。


「来たか。準備は終えたか?」

「はい。いつ頃出発しますか?」

「うむ、そろそろ交代要員が来るはずなのだが……」


 近づいてくるアルたちを迎えると、フォリオが周囲を見渡しながら首を傾げた。どうやら精霊の森からの交代要員の到着が遅れているらしい。


「――おい、どこを見てるんだ。ここにいるぞ」


 不意に見知らぬ声が響いて、アルはハッと声の主に視線を向けた。

 いつの間にやら、大木の家に寄りかかるように男が一人佇んでいた。

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