第230話 久しぶりの高鳴り

 冬らしい澄んだ空気に柔らかな日差し。

 リアムと約束したソフィアとの再会の日は、穏やかな雰囲気で始まった。


「久しぶりね、アル」


 リアムと共に家を訪ねてきたソフィアが、目を細めて再会を喜ぶ。相変わらず、王族らしくないシンプルな装いでありながら、美しい女性だ。


「お久しぶりです、ソフィア様。再びお会いできて嬉しいです」

「私もよ。あなたなら帰ってこられると信じていたけれど……一年は長かったわね」


 浮かんだ笑みに僅かに疲れが滲んでいるように見えた。ソフィアのおかれている状況を考えれば、その理由は想像に難くない。

 部外者であるため、アルはそれを指摘することはできず、笑みを作って視線を逸らした。


「ギルドの資格にご配慮をいただいていたようで、本当にありがとうございます。心ばかりですが、お茶の用意をしてありますので、どうぞこちらへ」

「あら、ありがとう。資格のことは気にしなくていいのよ。私が勝手にしたことだもの」

「それでも、有り難いことでしたので」


 急拵えで作ったサンルームにソフィアたちを招き入れる。ソフィアを送り届けたリアムは、アルが声を掛ける前に姿を消していた。今日はお茶会に参加しないつもりらしい。

 以前と変わらずソフィアの傍に控えていたメイリンが、アルが用意をしていたティーセットを使って紅茶をいれてくれた。


「ヒツジさんとメイリンさんも、お元気そうで良かったです」

「お気遣いありがとうございます。こちらも色々とありましたが、アル殿ほどではないでしょうね」


 ヒツジが僅かに肩をすくめて答えた。アルはその顔を見上げて目を細める。

 ヒツジとメイリンが魔族の血をひいていることをアルは知っている。そして、彼らの先祖といえる存在が、異次元回廊の奥で長き生を厭って死を選んだことも。

 得た情報をどこまで話すべきか、アルは決めかねていた。


「――アルはどんな真理を得たのかしら。それはあなたの心を惑わすものだった?」


 メイリンがお茶を用意し終えて、ヒツジと共にソフィアの背後に下がったところで、穏やかな問いが掛けられた。

 いつの間にか下げていた視線をソフィアに向ける。好奇心と労りが共存した瞳が、一心にアルを見つめていた。


「……えぇ、まあ……多少重いものではありました」

「そう。……私、全てを知りたくてあなたに会いに来たのではないの。ただ無事の姿を確認したかっただけよ。追手や面倒事から遠ざけるためとはいえ、生きて帰れないかもしれない場所に行くことを勧めたのは私だもの。そこで得られた真理をあなたの心に秘めても、誰が咎められるものでもないわ」


 アルは目を見張ってソフィアを見つめた。魔法研究に対しての好奇心の高さを知っている者として、ソフィアの言葉は意外だったのだ。

 あの地に古代魔法大国時代の知識があるはずだと伝えたのはソフィアだ。当然、そこで得た知識を知りたがるものだと思っていた。


「……様々な魔法についての情報がありましたが、ソフィア様は知らなくていいんですか?」


 思わず念押しするように問い掛けたが、ソフィアの表情は変わらなかった。穏やかに首肯すると、ティーカップを持ち上げる。


「知識欲はあるけれど、だからこそ安易に手に入れてはならないものがあることも知っているわ。世界にはね、相応な役割というものがあるの。隠された知識を暴いていいのは、その資格がある者だけよ」

「……なるほど。ソフィア様には十分資格があると思いますけど」

「あら、ありがとう。でしたら、あなたが話したいと思う範囲で、冒険譚を聞かせてくださる?」


 アルの言葉に、ソフィアの瞳が煌めいた。王族の姫という立場上、研究者として活動していても、その自由は限られたものである。期待で輝く表情は、疲れも忘れた様子だった。

 その様を見て、ヒツジとメイリンが僅かに安堵した表情を浮かべたのを、アルは見逃さない。


「……ええ、もちろんです。少し長い話になりますけど、お茶のお供に――」

『おお、旨そうな物がたくさんあるな! うむうむ……このケーキ、クリームがしつこくなくていくらでも食えそうだぞ!』


 アルの返事を遮るように、空いた席に跳び乗ったブランが、勝手に手近のケーキを掴んで食べ始めた。

 昨日同様狩りに出掛けていたはずなのに、いつの間に帰ってきたのか。ソフィアに気を取られていたアルは気づかなかった。

 家の中の気配を探ると、アカツキとスライムたちは奥の部屋にいるようだ。ソフィアに会うつもりはないらしい。


「……ブラン、無作法な真似をしないでよ」

『なんだと。我のこの美しさがあれば、全て許されるだろう?』

「そんなわけがないでしょ」


 胸を張るブランの頭を半眼になりながら叩く。自身の美しさを誇るのはどうでもいいが、それで全てが許されるなんて妄言を許容することはできない。

 睨みあうアルたちを、軽やかな笑い声が止めた。


「相変わらず仲が良いのね。私のことは気にしなくていいわよ」

『お前も相変わらず王侯貴族らしくないが、我はそういうところを好ましいと思っているぞ!』


 ソフィアには聞こえない返事をしながら、ブランは言葉通りに機嫌よく尻尾を振った。その姿をソフィアとメイリンが目を細めて見守る。

 今思い出したが、二人とも小動物を好んでいたはずだ。ブランに甘い態度にアルは少々文句を言いたくなるが、それで何かが変わるとは思えず口を噤んだ。


「……あの地で得られた魔法についての知識ですが――」


 代わりに言葉にしたのは、知識の塔で得た情報だ。塔に収められた書物には、アルにとって新発見となる理論が溢れていた。時間も忘れて知識に溺れたアルと同様に、ソフィアも興味を惹かれるだろうと確信がある。

 そして、想像通りに楽しげに顔を綻ばせて話に聞き入るソフィアを見て、アルも久しぶりに味わう研究仲間との時間に自然と笑みを溢した。



 ◇◇◇



 高いところにあったはずの日が傾きを増し、いつの間にか赤みを帯びてきた。そこで漸く、アルは話に熱中し過ぎていたことに気づく。


「――まあ! その理論を使えば、より魔力効率のいい魔道具を作れるわね!」


 ソフィアが嬉々とした声を上げながら、手元の紙に試作の魔法陣を書いていた。テーブルを埋め尽くすように紙が散らばっていて、そのどれもが魔法陣や文字で埋められている。

 視線を上げると、ヒツジがうんざりとした表情で外に目を向けていた。メイリンは微動だにせず、ソフィアのはしゃぎようを慈愛深く見つめている。

 対照的なその様子に、アルは懐かしくなりながら、話続けて渇いた喉を潤すようにお茶を流し込んだ。


『……むむ……我は……もっと……食えるぞ……』


 膝に温かな重みがある。魔物らしくない気の抜けた格好で、ブランが眠っていた。お菓子を食い尽くた後、アルたちの話に飽きてしまったのだろう。

 それでもこの場から離れなかったのは、一応アルを守るつもりがあるということか。危険を感じれば飛び起きるだろうと苦笑して、アルはブランの頭を優しく撫でた。


「そういえばお土産があるんです。魔力を増幅させるもののようですが」


 アイテムバッグから取り出した赤い石を差し出す。アル自身まだ検証途中ではあるが、その理論は既に理解している。異次元回廊で得た物だが、これくらいはソフィアに渡しても問題ないだろうと判断した。


「アルの話にあった物ね! ふふ、私も興味があったの。詳しく調べてみるわ」


 嬉しそうに綻んだ表情で、ソフィアが石を受け取る。今すぐにでも研究に入りたいと言いたげな様子に、アルは密かに笑みを溢した。

 同類との会話はやはり心が躍る。久しぶりの感覚に時間を忘れてしまったのは、ヒツジたちには少々申し訳なかったが、簡単にやめられるとは思えなかった。

 とはいえ、ソフィアも忙しい身のはずだ。いつまでもこの時間に興じるわけにもいかないことは分かっている。


「――最後に、ひとつお伝えしておきたいことがあります」

「……なにかしら」


 アルの態度に何かを感じたのか、ソフィアの顔が研究者としての表情から国を率いる者としての表情に変わった。

 ヒツジとメイリンも真剣な表情に変わったのを見ながら、アルは魔族の情報を言葉にのせる。


「――かつてこの地から去った魔族と呼ばれる方々は、確かに僕が向かった先にいました。既に命はなくとも、その存在は刻まれていたのです。その血族の方にも会いました。もし会いたいと望むのなら、僕が間を取り持っても構いませんが、どうしますか?」


 表情を固くしたのはヒツジとメイリンだった。言葉を失う二人から視線を逸らし、アルはソフィアを見つめる。全てを決めるのは、彼らの主であるソフィアだと分かっていた。

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