第229話 つかの間の息抜き

 魔軽銀の上に線を刻む。やはり魔法陣を考え、魔道具を製作するのは一等面白い。


『――アル、そろそろ飯……』

「待って、あと少しでできるから」


 背後から掛けられた声に視線さえ返さないまま答えると、拗ねたような舌打ちが聞こえた。

 レイからの情報収集を終えてから、アルは家に引き籠って新たな魔法陣を生み出す作業に集中していた。街中をうろつけば、帝国の人間に追われるかもしれないのだ。それを理由にして家から出ず、趣味の研究に熱中して楽しんでいることは、長い付き合いのブランには分かりきったことだろう。

 それでも、たまに飯の催促をするくらいで邪魔してこないのは、気を遣っているのか、それとも諦めか。複雑な感情を無言で伝えてくる相棒に苦笑して、アルは仕上げに取り掛かった。


「俺がダンジョンに帰れたら、もっとアルさんに協力できるんですけどねー……。ここじゃ、ろくにアイテムも生み出せない……」

「帰るのはダメだと言ったでしょう? 安全第一ですよ」


 申し訳なさそうに呟くアカツキを振り返りながら、何度目か数えるのも面倒な言葉を繰り返す。テーブルに頬をつけながら眉尻を下げたアカツキが、アルの作業を眺めていた。

 出来上がった魔道具をアイテムバッグに仕舞い、ご飯の準備をするため立ち上がる。今日の昼過ぎにはソフィアとの面会が控えていた。帝国の者に覚られないよう、リアムがこの家まで連れて来てくれるらしい。冒険者資格に関しての礼を伝えるためにも、歓迎のための手は抜けない。


『アル、昼飯には肉がいい! 我が狩って来てやったんだぞ』

「ああ、そういえば、朝から狩りに出ていたんだった、ね……?」


 朝食の後に暇を持て余して、ブランがアカツキを引き連れて魔の森に飛び出したことを思いだしたアルは、窓の外を見て沈黙した。見慣れないものが庭に横たわっている。ブランが狩ってきた魔物だろう。


『熊だぞ。毛皮も使えそうだ』

「確かに使えそうだけど、もうしばらくしたらお客様を迎えるのに、こんな盛大に汚さないでよ……」


 死んだ魔物をそのまま地面に置いているとは何事だと、胸を張るブランを見下ろす。普通の貴族がこの光景を見てしまえば、卒倒してしまうだろう。だが、案外ソフィアなら面白がって観察するかもしれない。

 その横で顔を蒼白にして睨んでくるだろうヒツジを思って、アルは解体用の魔法陣でさっさと魔物を処理することにした。


「あー……掃除はスライムに任せたら大丈夫っすよ」

「助かります。よろしくね、スライム」


 アカツキの足元で跳ねて自己主張していたスライムが、アルの言葉を合図にしたように、地面に残った汚れに飛びついた。スライムは吸収と分解の能力に長けた魔物だ。血汚れくらいすぐに処理してくれるだろう。


「熊肉かぁ……鍋にする?」

『いいな、鍋! 温まりそうだ』

「それより、過酷な狩りに付き合わされた俺を労う気はありません?」


 肉を調理場に運び入れたアルを追って、ブランとアカツキが移動してくる。肉を存分に味わえる期待に目を輝かせているブランとは違い、アカツキは淀んだ目をして手足を重そうに動かしていた。よほど、ブランとの狩りがしんどかったらしい。


『お前の鍛錬も兼ねているのだ。これくらいで弱音を吐くな』

「うぅ、スパルタ過ぎる……」

『アルはこーんなに小さい頃から、狩りくらい熟していたぞ!』


 ブランが後ろ足で立ち上がり、目の高さで手を揺らしていた。およそ一メートルもない高さだ。そんな身長の頃にブランと出会った記憶はない。流石に子ども過ぎて森に入るようなことはできなかったのだから。


「まじっすか、アルさん半端ねぇ……!」


 アカツキが、驚愕の表情でアルを凝視する。

 街でのやり取りでも思ったが、アカツキはあまりに騙されやすすぎる。もう少し警戒して生きてほしいものだが、アカツキをよく知るサクラの諦めに満ちた眼差しを思い出し、アルはため息をついた。

 身内が改善させられなかった性質を、一年ほどしか共にいないアルにどうにかできるとは思えなかったのだ。


「……ブラン、適当なこと言わないでよ。僕だって、森に入ったのは十二歳になってからだよ。そこまで小さくない」

『そうだったか? 我から見れば、それくらい小さいものだったがなぁ?』


 床に座り直して首を傾げるブランを、アルは目を細めて見下ろした。

 ブラン曰く、小さいものだったアルに、訓練と称して大型の魔物を嗾けてきた過去を思い出したのだ。あれは初めて死を感じた出来事だった。当時大層楽しそうにしていたブランを思い出し、今更ながら怒りが湧いてくる。

 それと同時に、アカツキがブランの鍛錬に文句を言う心情に、心から納得した。今度から少しはブランを諫めようかと思ったが、さりとて強くなること自体はアカツキも望んでいることであり、なかなか加減が難しい。


「――まあ、死ななきゃいいか。ブランに強制特訓させられた僕も生きてるし、アカツキさんなら死なないし」

「めちゃめちゃ不穏な言葉が聞こえたのは気のせいですか⁉ 死なやすは日常にあっていいもんじゃないですからね! 俺は、平和を、愛してるっ! 世界の中心で愛を叫ぶ!」


 アルが思わず呟いた言葉を聞き咎めたアカツキが、よく分からない主張をして拳を天に突き上げた。


「……まあ、自分が世界の中心と思うなら、それでいいんじゃないですか?」

「今完全に聞き流しましたよね? ある意味スルーより冷たいんですけど……」


 シクシクと嘘泣きをしてテーブルに突っ伏したアカツキを、ブランが容赦なく尻尾で叩いた。「痛いっ、痛いっ!」と呻きながらも、じゃれるようにブランに反撃するアカツキの姿に、アルは苦笑しながら昼食の準備を進める。

 やられっぱなしだったアカツキが、全く効果がないとはいえ反撃できるようになったのは成長だろう。


 ついには部屋の中で追いかけっこを始めた二人に頭が痛くなりながら、切った肉を鍋に投入する。どうせ昼食ができたら喧嘩していたことさえ忘れて食べることに集中するのだ。喧嘩を止めるなんて無駄な労力は割きたくない。

 昼食の準備ついでに、お茶会用のお菓子も作ったアルは、騒ぎがひと段落して睨み合いに発展した二人を無視し、テーブルに鍋を置く。途端に煌めいた二対の瞳が向けられたのを感じた。


「――ご飯だよ。取り分けるから席に着い、……てるね」


 促すよりも先に、いつの間にか定位置に着席している二人を見て、つい笑みが零れた。食欲に忠実すぎる似た者同士だとつくづく実感する。

 それぞれの前に鍋を取り分け昼食開始。今日のメニューは暗黒熊のミソスープ鍋。脂ののった熊肉は、スープ自体に旨味を溶け出させても、なお肉本来の味わいを楽しめる。


「うっまぁ! マジ、なんなのこの肉。野生とは思えない!」

「魔物ですからね」

『うむ、程よく歯ごたえもあっていい。熊肉ならではの食感だな!』


 一口食べる度に目尻を下げ満足げにする二人の様子に、アルも微笑みながら食事を進めた。誰かに美味しいと言ってもらえるだけで、料理をした甲斐があるというものだ。


「魔物ってなんでこんなに美味しいんですかねぇ。まるで、食べるために生み出されているみたいに感じちゃいます」


 ほくほく顔のアカツキから不意に放たれた言葉に、アルの食事の手が止まる。勢いよく肉を頬に詰め込んでいたブランも、目を細めてアカツキに視線を向けた。思いがけない反応だったのか、アカツキが戸惑ったように首を傾げる。


「……魔の森が世界の魔力の循環機能だけではなく、人間の食料供給の場として創られた可能性もある……」


 アルと同じことを考えたのか、ブランが苦々しい表情をしている。


『……我のような魔物はさておき、魔の森で生まれる魔物のほとんどが旨いのは確かだな。魔物と戦うリスクはあっても、人間にとって利点は大きい』


 魔物とは何故生まれたのか。いつからこの世界にあるのか。確かな文献がないため、推測しかできない。


「――魔物の歴史についても、精霊に聞いてみたいものだね」


 フォリオはともかく、長く生きた精霊に話を聞けば、世界の神秘に迫れるかもしれない。好奇心で胸が高鳴り思わず笑みを浮かべると、ブランの呆れたような眼差しが突き刺さった。


『いつか好奇心に吞まれて痛い目にあうぞ』

「その時はブランがどうにかしてくれるんでしょ?」

『……甘えるな』


 プイと顔を背けた相棒が、いざという時に誰よりも頼りになることは、長い付き合いのアルには分かりきったことだった。

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