第228話 世界の状況

 アルの呼びかけに答えるように、窓が音もなく開かれた。瞬きの後に現れたのは昨日会ったばかりの人物だ。

 咄嗟に身構えたレイを横目に見ながら、アルはリアムに苦笑を向けた。


「街に入ってからずっと気配を感じていたのですが、まさかリアム様自ら護衛ですか?」

『暇人め。追手より鬱陶しい。なんで二日続けてお前の顔を見ねばならんのだ』


 アルの疑問に被さるように、ブランが嫌そうに吐き捨てた。歪んだ表情に肩をすくめ、アルはブランの開いた口に果物を押し込んでやる。


「……俺、気配とか全然知らなかった……」

「余も隠していたからな。その男も気づいていなかったくらいだ。お前が落ち込むことではない」


 アカツキが愕然とした表情でリアムを見つめる。リアムからその男と呼ばれたレイは、苦々しい表情でアルとリアムを見比べていた。


「……アルがこの国の重鎮と近しいとは聞いていたが、まさかリアム様もなのか」

「というか、僕が一番初めに会ったこの国の人がリアム様ですね」

「人じゃねぇだろ……」


 疲れたように肩を落とすレイは、リアムの正体を知っているらしい。ノース国とドラグーン大公国に交流があるとは聞いたことがなかったが、ノース国は世界中に間諜を放っているようなので、殊更不思議なことではないだろう。

 リアムは興味深そうにレイを眺めた後、アカツキの隣の席に腰かけた。


「今は帝国の者があちこちをうろついている。アルに手を出されるのは困るが、余が言葉にして干渉することはできぬ。ならば散歩ついでに傍にいればいいだけだ。あちらが勝手に慮って立ち止まる」


 そう言いながら、リアムはテーブルの上の菓子を手に取った。レイが理解しがたいと言いたげに口を歪めていたが、リアムに気にする様子はない。


『……限りなく危ういラインだな。お前、人への干渉は理に抵触するだろう』

「人に直接干渉してはおらんだろう? 余は心のままに動いているだけだ」

『お前に課せられた制約、だいぶ緩いな……』


 ブランが呆れたように呟いた。だが、リアムの言葉からアルに害はないと判断したのか、存在を無視することにしたようだ。

 黙々と菓子を食べるのに集中するブランを見下ろして、アルはため息をついた。安全か否か以外のことも気にかけてほしいものである。


「つまりは、リアム様が傍にいるのを知った帝国の方々は、僕に近づいてこないということでいいんですね?」

「さよう。ただし、永久に効果があるものではない。あれらもだいぶ切羽詰まっているようだからな。だから、情報収集は手短にせよ。魔の森のあの家に居れば、そもそも干渉できる者はおるまい」


 念を押すように尋ねると、リアムは軽く頷いて菓子を口にした。「美味いな」と満足そうに言うリアムに、アルはため息をつきながらお茶を用意する。

 リアムの様子から、アルとレイの会話に干渉するつもりがないことが分かった。そして、極力魔の森に引き籠るべきだということも。それだけ帝国は精霊の血筋を手に入れようと必死なのだろう。


「……はあー……一応俺、他国の人間なんだけどな……やりにくい……」

「人の事情は気にしない。勝手にするといい」


 暗にリアムの存在が邪魔だと告げるレイに、リアムが肩をすくめる。その二人を見比べて、アルは苦笑しながら、レイに「言われた通りに気にしなければ大丈夫」と伝えて、なんとか話を元に戻すことにした。


「あー……それで、アルは他に何か聞きたいことあんのか? 冒険については後で手紙ででも書き送ってくれ。あまり長居はしねぇ方がいいみたいだし」

「分かりました。聞きたいことといえば……レイさんはどうしてここにいるんですか? 僕を心配したからってわけではないのでしょう?」


 冒険者ギルドで再会した時から気になっていたことを尋ねると、レイの顔が苦々しげに歪められた。


「心配したからって理由も一応あるぞ。まあ、普通に仕事ってのが大きいが。この国が帝国から独立する動きがあるっていうんで、探りに来てたんだよ」

「……それをよくリアム様の前で言えましたね?」

「気にしなくていいんだろう?」


 開き直ったように堂々と言うレイに苦笑しながら、アルはリアムの様子をそっと窺った。表情を変えないまま、様々な種類の菓子を見比べて試食しているようだ。本気で空気のように徹するつもりらしい。


「……食料事情改善による独立ですか」

「そうだな。アルが手を貸したってのも聞いているぞ。最初はそのせいで帝国の連中がアルを探してるのかと思った。帝国は食料を餌にこの国を傘下に置いてたんだ。それを変えさせたような奴を、帝国の連中が恨んでも仕方ない」

「……もしかして、婚約騒ぎもその影響で?」

「婚約というより、もはや人質だろう。大公も大変な立場だな」


 食料自給率が上がったドラグーン大公国が、現状で帝国の属国としてあることに利点はほとんどない。独立の話が上がるのは当然のことだろうし、帝国が引き留めようとするのもまた然りだ。

 まだ独立が決まっていないうちに、ドラグーン大公国で最も価値のある人材を帝国に人質として迎え入れようとするのは、国のやり方として妥当だとアルも分かった。


「……お姫様可哀想……」


 アカツキが青い顔で呟く。その言葉を聞いてアルはレイと顔を見合わせた。過去には貴族であり、王族であった立場なので、正直アカツキほど衝撃を受ける事実ではない。人質じみた政略結婚なんて、歴史を深く紐解かなくてもありふれたものなのだ。

 ただ、冒険者として生きる人間として、またソフィアと同じく魔道具研究を愛する者として、アルも身分で自由が奪われようとしているソフィアの状態には同情する。


「……ま、気にしなくても大丈夫だろ。この国はソフィア姫を渡す前に独立する。帝国には既にそれを抑えるだけの武力はない」

「戦争の影響ですね。結局、今はどんな状態なんですか?」


 レイが肩をすくめて重い空気を変えるように笑った。その言葉でホッと表情を緩めるアカツキを横目に見ながら、アルは新たな情報をねだる。

 帝国はマギ国とその背後にいるだろう悪魔族と敵対している。そしてその悪魔族は、元は魔族であり、アカツキの同郷であろう人たちだ。おそらくヒロフミも悪魔族の近くにいて情報を探っているはずで、アルは今後どこかで出会うことになるだろうと考えていた。悪魔族に関わる戦争の情報も、いつか役に立つはずだ。


「一進一退だな。本来なら帝国は既に潰れているはずなんだ。マギ国は戦況が危うくなる度に新兵器を投入している。それだけ武力を保持しているくせに、帝国を本格的に侵略しようとはしていない。だから帝国は負けを認められず、戦い続けて疲弊しているわけで」

「目的が分かりませんね……マギ国は戦争に勝とうとしていないんですか?」

「そうだな。その辺が、気味が悪いんだよ」


 言葉通りに、レイは顔を歪めながら首を傾げた。それを見ながらアルも考えに沈み込む。いくら考えても悪魔族がこの戦争を引き起こし、長引かせている目的が理解できなかった。

 そもそも悪魔族は魔力を疎み、世界を憎み、イービルという神を僭称する者の手先になっているはずだ。帝国といえども、一国だけを相手に破壊衝動を満たせるものだろうか。


『……考えても分からんことにいつまでも関わっていても仕方ないだろう。知るべきことならば、いつかその時が来る。今は情報だけ頭に入れていればいいんじゃないか』


 ブランの静かな言葉がアルの思考を遮った。テーブルを見ると、山のようにあったはずの菓子が食い尽くされている。


「……ブラン、話に飽きたね?」

『そもそも大して聞いてないな!』

「誇らしげに言うことじゃないよ」


 胸を張って尻尾を振るブランに脱力しながら、アルは得たばかりの情報を頭の隅に追いやった。

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