第223話 帰る場所

「フォリオさんに害があるのは嫌なので追究しませんが、話したら駄目なことはそもそも言わないよう気をつけてくださいね?」

「んん? 心配してくれているのか。ふふふ、なんというか……弟に心配されるのはこそばゆいな!」


 真面目に忠告したのに、吞気な笑顔で受け流されて、アルは苦笑するしかなかった。妖精たちも諦めた様子で首を振り、果物の追加を運ぶ作業を再開する。

 用意される端から吸い込むように果物を食べていくブランは、そろそろ遠慮を学んだ方がいいと思う。


「ブラン、食べすぎ」

『この果物が旨いんだから仕方あるまい! アルも食ってみろ』


 そう言って半分に割った果物を差し出してくるブランを見下ろす。

 こういうパターンが最近増えてきた。お気に入りの食べ物を分かち合うのが好きになったらしい。昔は結構ツンとしている部分もあったのに、だいぶ性格が丸くなった気がする。


「……あ、ほんとに美味しい。というか、果物……? イチゴのショートケーキみたいな味がする……」


 開けた口に放り込まれた果物を嚙むと、ジュワッと果汁と共に複雑な甘みが広がる。ホイップクリームみたいな味がする果物なんて初めて食べた。


「えー、俺もそれ食べたいっす!」

『お前にはやらん』

「くれなくても勝手に取るもんね!」

『我のものに手を出すなっ』


 テーブルの上に残っている果物を巡って、アカツキとブランが喧々囂々とやり取りする。戦いに関しては気弱なアカツキだが、食への執念が強いからかブランと互角の気合いで向き合っていた。

 その様子を呆れた目で見ながら、アルはお茶を喉に流し込んだ。


「その果物を気に入ったか? 精霊の森だけで採れるんだ。こっちに植えてみたんだが、やはりこの辺は精霊の加護が薄くて育たなかった。だからアルが気に入るかもしれんと思って取り寄せておいたんだ」

「え、わざわざありがとうございます。精霊の森って、独特な植物が多いんですか?」


 フォリオはアルとの再会の時のために、予想以上に準備してくれていたらしい。それは弟という存在への愛情なのか、それとも精霊は一族の者に対しては皆こうなのかは分からない。だが、目に見える形で歓迎を示されると、未だフォリオが兄という実感は薄くとも嬉しいのは間違いなかった。

 アルが照れくささを誤魔化すように笑みを零すと、フォリオが愛しげに見つめながら頷く。


「ああ、精霊の森は長年精霊の力が注がれている場所だ。人間の生きる地とはあらゆる点で異なる。アルもきっと興味を持つものがあるはずだ。ぜひ一緒に帰ろう」

「……一緒に帰る?」


 思いがけない言葉を聞いて、アルはフォリオを凝視した。フォリオは何故そんなことを聞き返すのかと言いたげに首を傾げる。


「ああ。アルの帰還を見届けたことで、私のこの地での務めは終わった。そろそろ異次元回廊の管理を担う交代要員が来るはずだから、それと同時に私は精霊の森に帰還する。アルは私の弟なのだ。共に帰れば良かろう。父も会いたがっている」


 アルはなんと返事をすべきか迷って口を噤んだ。

 精霊の森に行ったことがないアルにとって、そこに行くことは帰ると表現されることではないはずだ。だが、精霊の森に帰るという言葉に何故だか強烈に心惹かれてしまう。

 精霊の血がそうさせているのかもしれない。だから、それを本当にアル自身が望んでいるのか、分からなくなった。アルはこんなに感情が大きくぶれるタイプではないはずだから。


『――行くも帰るも、結局は同じことだ。次の旅の行く先を精霊の森にするのに問題はあるまい。その血もアルの一部であるのは確かなのだから、心を疑う必要はなかろう』


 アカツキとのやり取りをいつの間にやめたのか、ブランの静かな眼差しがアルを貫いていた。

 アルが口籠もった理由を全て見抜いて、背中を押すように向けられた言葉に、そっと息を吐く。体から余計な力が抜けた気がした。


「――精霊の森、行ってみたいです」


 帰るなんて言葉は、意識して使わなかった。なんだか精霊の血に自己が塗り替えられてしまう気がしたから。

 だが、世界を旅するという当初の目的を考えると、ここで精霊の森に行きたいと望むのに何の不思議もないと感じたので、微笑んでフォリオの提案を受け入れることができた。

 フォリオはアルの思いを理解できなかったのか不思議そうに首を傾げていたが、アルと共に精霊の森に帰還できることは嬉しいらしく、笑みを浮かべて頷く。


「交代要員が来るのに一週間ほどかかる。帰還は転移でするから時間はかからない。いつでもこちらに戻ってこられるとはいえ、用事があるならそれまでに済ませておくといい」

「分かりました。用事……リアム様たちに会うのと、アカツキさんのダンジョンの妖精について探るのと――」


 指折り数えてこれからのスケジュールを確認していると、フォリオがカチャリとカップをテーブルに落とした。これまでにない動揺した様子に、カップの無事を確認してからフォリオを見つめる。

 フォリオは耳を疑うと言いたげにアルを凝視した後、顰め面でアカツキに指を向けた。


「お前の牢に妖精がいるのか?」

「へ、いますけど……?」

「それが何か問題があるんですか。フォリオさんにその妖精のことを聞こうと思っていたんですけど……ご存知じゃなかったようですね?」


 急に睨まれたアカツキが、怯えたように身を引く。それを視界の端に捉えながら、フォリオの注意をこちらに向けようとアルは矢継ぎ早に尋ねた。

 フォリオはアルをちらりと見たが、すぐに妖精たちに視線を移す。妖精たちは誰もが首を振って戸惑った表情だった。

 ため息をついたフォリオが、アルに静かに向き直る。


「……私はその妖精の存在を知らない。本来妖精は精霊の眷属であり、精霊がいない場所にはいないはずだ。そして、現在精霊の森から出ている精霊は私以外にはいない。つまり、牢にいるという妖精は、あまりに異質な存在だ」

「それは……危険な存在だということですか?」

「分からない。神が用意した牢であるからには、神の意思が反映されているはず。その意図は私には読み切れない。だが、もしかしたら精霊の森に何か託宣があるかもしれない。……その妖精に会うのは、精霊の森に確認をとってからの方がいいだろう」


 厳しい表情のフォリオを見て、アルはアカツキと顔を見合わせる。

 ダンジョンにいる妖精の存在を探るのに、フォリオがこれほど危機感を持つとは思わなかった。だが、アルたちは精霊のことも、妖精のことも、フォリオほど知っているわけではない。この忠告は素直に受け入れるべきだろう。

 ダンジョンにまだ帰れないと悟ったアカツキが、悄然とした様子で肩を落とすので、アルはその背を軽く叩いて宥めた。危険を避けるためにも、ここはこらえてもらわなくては。


「分かりました、その妖精のことは後回しにします。……あと、僕は空間魔法について詳しく学びたいのですが、それは可能ですか?」


 フォリオに会った目的の一つを告げると、不思議そうに首を傾げられる。


「空間魔法について? 私たちの血を持っている以上、知識を与えることは構わないが……アルは空間魔法を既に使えるのではないか?」

「ええ、ですが、その魔法に使う魔力について、より詳しく知りたいんです。他の魔法とはまるで異なる性質の魔力ですよね?」


 問いかけた途端、フォリオが無表情になって目を閉じた。腕を組んで何か悩んでいる様子だ。

 もしかしたら、精霊の血を引いている者に対してであっても、空間魔法に使われる魔力について精霊の知識を与えることは許されていないのかもしれない。少々残念ではあるが、精霊の理をフォリオに破らせて代償を背負わせるつもりはない。

 別の方法で知識を入手すべきかと思案しだしたアルに、フォリオが情けなさそうに歪んだ表情で言葉を放った。


「――知っているか、アル。精霊といえども、個性がある。そして、私は、魔法理論が、大の苦手、だ」

「つまり……?」

「……弟のためなら私が教えてやりたいが、アルが納得できる知識を渡せる自信がこれっぽっちもない! なんで過去の私はもっと学ばなかったんだ! これでは、従兄殿に兄の座を奪われる……!」


 テーブルに載せた腕に顔を伏せ、盛大に嘆くフォリオをアルは呆然と見下ろした。妖精たちの冷たい視線がフォリオに突き刺さる。


『バカバカしい。誰からであっても、知識が得られるならばアルに問題はない。ちんけな兄のプライドで、アルを悩ませるな』


 ブランの冷たい言葉が、フォリオの精神にとどめを刺したように見えた。

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