第221話 精霊とアル

 お茶を飲んで落ち着いたところで、アルはひとまず異次元回廊についての話を始めた。フォリオも気になっていたようで、期待で瞳を輝かせて話に聞き入る。


「――という感じで、神の試練の場は現在魔族の方々が管理する場所になっているようでした。なかなか倒すのが難しい魔物がいましたし、多少頭を働かせて進まないといけない仕組みもあったので、これまでに中に入った方々はその辺を通り抜けられなかったのかもしれません。もちろん試練を突破できなかった人も多いでしょう」


 そう言って話をまとめたアルを、フォリオが静かな目で見て頷く。そして、感慨に耽るような面持ちでポツリと呟きを零した。


「そうか……あの地に向かった者の多くは、魔族を追う様子があったから気になっていたのだが、魔族を守護する場でもあったのか」

「……魔族を追う?」


 アルは喉を潤すためにカップに伸ばした手を止め、フォリオを見つめた。隣で果物を頬張っていたブランが、ピクリと耳を動かし話に集中したのが分かる。

 動揺した様子で目を見開くアカツキに視線を向けたフォリオが、肩をすくめて口を開いた。


「そうだ。あれらが何の目的で進むのかと思っていたが、恐らくイービルの手の者だったのだろう。あるいは魔族の知識を得んと勇んだ者かもしれんな。帝国あたりには、魔族のことを知る者もあると聞く」

「帝国……それは本土のことですね。悪魔族と敵対しているはずですが……」

「人間の領分を超えたことを望む愚かな者たちだ。あの国の上の者たちは、魔族と悪魔族の信念が異なることを知っている。悪魔族を倒すために、魔族の力を使おうと考えているのだろう」


 アルは息を飲んでアカツキと顔を見合わせた。

 フォリオの苦々しい口調は、そのまま帝国の人間に向ける感情を示している。帝国の使者が精霊の森を訪れていたことを、以前帝国の皇子カルロスから聞いていたが、精霊と帝国は仲が良いわけではないらしい。むしろ嫌っているように感じられる。


「……精霊は悪魔族を倒すつもりはないんですか?」


 どうしても抑えられなかった疑問を呟くと、フォリオが眉間に皺を寄せて腕を組んだ。悩まし気な表情だ。


「精霊が神から定められた役目は世界を円滑に保つこと。悪魔族が世界を破壊せんと動くことは阻止せねばならないが、その命を絶つことは役目を超えている。ゆえに直接手を下すことはありえない」

『よく分からんことを言う。世界を壊す原因を取り除くことこそ、精霊の最善の務めではないのか』

「ちょっとブラン、あんまり過激なことを言わないで……」


 不可解そうに呟くブランの頭を押さえて、その口に果物を突っ込んだ。嬉しそうに尻尾を振るブランは相変わらず食欲に忠実で単純だ。

 フォリオが呆れた表情でブランを見下ろしてから、強張った表情のアカツキに視線を向けて口を開く。


「悪魔族と言われる者たちは偽りの神の被害者でもある。私たち精霊とて慈悲の心はあるのだ。この世界に否応なしに巻き込まれた者たちを弑しようなど考えはしない。……上手く元の世界に戻してやれればいいのだが、それも私たちの領分を超えるのだ。手は貸せない」

『お前たち、どんだけ神の理に雁字搦めなんだ。生きにくそうだな』


 ブランが果物の種を皿に吐き捨てながら、嫌そうに呟いた。その感想にはアルも同感である。

 アルの思いを感じ取ったのか、フォリオが寂しそうに苦笑しながらカップを手に取った。


「……精霊は神の思いによって生まれた世界の保全装置の一部に過ぎない。理を外れれば存在を失う」

「理を外れれば存在を失う……」


 フォリオの言葉を反芻しながら、アルは精霊と人の間の子について考えた。本来人間と関わることをあまりしない精霊たちが、人間との間に子を作ることが理として許されているのだろうかと思い至ったのだ。

 緊張でひりつく喉を気にしながら、アルはフォリオを見つめて口を開いた。


「……精霊は人と子を作ることがあると聞いたのですが」

「ああ、時にはあるな。その場合、理を破ったことで精霊は存在を失うが……まあ、例外もある」

「例外?」


 フォリオがアルを見つめて呟く。まるでアルに流れる血を理解しているような、愛おしげな眼差しだった。

 思わず目を見開き問い返すアルに、フォリオが軽く肩をすくめる。


「それが神の意思により許可されたものであれば、精霊は存在を保つ。役目を全うしているに過ぎないからな。とはいえ、それはこれまでの長き時の中で、一度しかなかったが」

「……僕のことを知っていましたね?」


 アルはフォリオの表情で確信を得た。具体的なことは何も言わずに尋ねたが、フォリオはその全てを把握している様子で穏やかに笑む。その表情が精霊の血を引くアルの存在を認め慈しんでいるように感じられた。

 会った時からフォリオはアルに好意的だった。人間に興味を示さないと言われる精霊とは思えない振る舞いで、アルを受け入れていた。それはアルが精霊の血を引く、ある意味で一族同等の存在だと知っていたからだったのだろう。


「――神より託宣が下ったのは二十年ほど前だ。精霊の血を引きながら、理から外れる存在を一人生み出すよう、神の意思が示された。ゆえにアルは生まれた。まあ、私たちの血を継がせるというのは、人間のやり方とは違うから、アルには親が三人いると思えばいい」

「やり方が違う……?」

「親が三人って、家族構成が複雑過ぎません?」

『あの人間を父親と思う必要はなかろう。そうすれば普通の家族構成だ』


 一瞬思考が停止したアルをフォローするように、アカツキとブランが軽口を叩いて場を和ます。ブランの言葉は限りなく本心に聞こえたが、ひとまずその追求はやめて、アルはフォリオを見つめた。


「精霊の秘術的なものですか?」

「うぅん? そう言われるほどのものではないが……。精霊はそもそも魔力が凝縮した存在であり、一般的な生物とは異なる。ブランは生物的存在だが、魔の森の魔物は魔力的存在であるのと同じことだ」

「ああ……ブランは親から生まれた魔物ですが、魔の森の魔物は魔力から生まれていますからね。……なるほど存在の根本自体が異なるのか」


 フォリオの言葉を聞きながら、ブランを見つめて考えを深めていった。ブランがアルの視線に居心地悪そうに身動ぎしても気にしない。

 アルの体は確かに人間の両親によって生み出された。だが、この身に持つ莫大な魔力は精霊の血を引いているからだと考えて良さそうだ。妊娠期間が短くとも健全に生まれたのは、その魔力が作用したのかもしれない。どういうやり方で子に精霊の魔力を宿すのかは分からないが、それを説明する様子のないフォリオを見るに、尋ねても無駄だろう。

 何が何でも知らなければならないことでもないし、アルは浮かんだ疑問を掻き消して口を噤んだ。

 アルを嫌っていた父親が、実際に肉親であることには多少複雑な思いがある。この事実を父親が知っていたとは思えないから。

 そんなアルの様子を窺っていたフォリオが不意に口を開いた。


「ちなみに――アルの親とも言える精霊は、私の親でもある。しっかり健在だ」

「……は?」

『嘘だろう……』

「え……ええぇえっ⁉」


 誰よりも大きな声で叫んで驚きを示したアカツキを、ブランが『うるさいっ』と怒りながら跳び蹴りした。アカツキが持っていた果物が宙を舞うが、地面に落ちる前にブランの口に収まる。

 その騒ぎを横目に、アルはポカンと口を開けてフォリオを見つめた。視線の先で、フォリオが悪戯っ子のような笑みを浮かべている。「ようやく話せた」「上手く驚かせてやったぞ!」と言うような、満足げな表情だ。

 その顔を妖精が小さな手でペチペチと叩いた。


『弟をこんなに驚かすなんて性格が悪いわ』

『出会った時にはまだ説明できなかったとはいえ、もっと普通に教えてあげればいいのに』

『まったく……一族の末子からようやく解放されて兄になるのが嬉しいのは分かっているけれど、そんな振る舞いでは嫌われるわよ』


 諫める言葉が次々にフォリオを突き刺す。次第に悲しげな表情になっていったフォリオが、アルを縋るように見つめた。


「……アルは兄を嫌わないよな?」


 返す言葉に迷ったアルは、思わず沈黙を選んだ。さらに悲しみに沈むフォリオを見て、ようやく告げられた事実に実感が湧いてくる。

 親戚かもしれないと思った相手が、まさかの兄だった。あまりに予想を超えた事実にアルが混乱してしまったのは仕方ないと言えよう。

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