精霊の森

第218話 久々の我が家

 冷たい空気を感じながら、降り積もる落ち葉を掻き分けるようにサクサクと音をたて歩く。魔物の気配は遠く、ここが魔の森の中でも特殊な場所なのだと分かった。


『う~む……。この魔力の感じだと、ここは魔の森の深奥か』


 ブランが鼻先を動かして、何かを確認するように目を細めて呟いた。アルはその言葉に頷きながら、視線を周囲の木々に移す。

 見慣れた魔の森と同じ魔力を漂わせながらも、どこか違って見えた。


「うん。だけど、ここには魔物がいないみたい」

『深奥には立ち入れんもんだと思っていたが、なるほど……帰り道専用だったのか?』

「そうかも。転移魔法も阻害されているようだから、ひとまずここからでないといけないね」

「ああ、それで徒歩なんですねぇ」


 後ろからアカツキの声が聞こえて、アルは一瞬視線を向けた。人型を保ったままのアカツキが、興味津々の眼差しで周囲を眺めている。

 視線を進行方向に向け直しながら、アルは小さく首を傾げた。

 ここはアカツキの支配下に置かれていないはずなのに、獣姿に戻らないのは不思議だ。もしかすると、まだここはサクラと過ごした場所と同一の空間として設置されているのか。または、神の干渉を妨げる魔道具が、姿を保てるようにしているのか。

 疑問は解消されないままだが、アカツキが喜んでいるようなので今はそれでよしとする。


「あ……あそこが境界線かな」

『ほう、内側から見るとああなのか。外から探った時は、靄のような結界が張られているようだったが』

「なにそれ、こわ……。というか、俺には境界線とか全く分かんないっす」


 前方に周囲より濃く凝縮された魔力の膜が見えた。それが魔の森の深奥と外を隔てているものに違いないだろう。

 肩で頷くブランの言葉に「へぇ……」と言葉を返しながら、アルは気負いなく境界線を跨いだ。その魔力の膜がアルを拒まないことは、一目見て理解していた。

 境界線が見えていないアカツキは、「境界線、どこ……?」と首を傾げながらついてくる。既に境界線を越えていても姿が変わらないところを見るに、神の干渉を妨げる魔道具の効果で姿が維持されている可能性が高くなった。


「……ダンジョン以外で人の姿を保てないというのも、神による拘束の一つだったのかな」

『うむ。あれがいた場所は、神が創り出した牢獄に等しい。もし抜け出した場合でも、十全に力を揮えぬよう、理で縛ってあったのだろうな』

「なるほど……リアム様は自由に外に出られるようにはしてくれたけど、姿を保つような手段はくれなかったわけだね」


 既に遠い過去のように思える邂逅を思い出してアルは目を細める。

 ドラゴンであるリアムは、かつてアカツキが支配領域外も動き回れるようにと首輪をくれた。今もアカツキの首につけられているが、それは限定的な通行許可に過ぎなかったわけだ。


『……だが、ドラゴンが神のしもべであり、理に縛られる者であることを考えると、掟破りのアイテムであったのは間違いないな。アカツキが神によって閉じ込められていたということは、あれは神の意に反する代物だ』

「そうだね。どうしてそんな物をリアム様が作れて、アカツキさんにくれたのかはよく分からないけど……リアム様の望みのために必要だったのかな」


 アカツキを餌にするようにして、試練の地へアルたちを誘導したことを思うと、リアムなりに何か思惑があったのだと思うが、それはまだ読み取れない。

 小声で話していたが、ブランもリアムの意図は読みきれていないようで、二人して首を傾げることになった。


「アルさ~ん、そろそろ転移で帰りませんか……? ここ、なんか怖いんですけど……」


 服の裾をアカツキに摑まれた。目に涙を浮かべ周囲を見渡している。

 アルは苦笑して肩をすくめた。ブランがアカツキをジトリと睨み、尻尾でアカツキの額を強打する。


『情けないことこの上ない。我との鍛錬の成果を見せてみろ』

「いやいやっ、たぶん鍛錬の成果でここがヤバいところだって分かってるんだと思いますけど!?」

「ああ、魔物の気配を読み取る鍛錬をしたんですね?」


 時々ブランに連れまわされて鍛錬していることは知っていたが、アカツキがどれほど戦えるようになったかは知らなかった。

 鍛錬により魔物の気配を察知できるようになった結果、アカツキはそれに怯えることになったようだ。気配を読み取れても、戦う能力がそれに付随しなければ意味がない。逃げに徹するならば多少は役に立つかもしれないが、アカツキにそれだけの体力があるようには見えなかった。


「……魔の森の管理もサクラさんたちが担っていたようだけど、ここの魔物はアカツキさんにも牙をむくんだね」

『ああ、あの地で鍛錬のために設定を変えて……それから戻していなかったかもしれん』

「……ブラン、酷なことをする」


 あっけらかんと言い放ったブランの横で、叩かれた額を押さえていたアカツキが愕然とした様子で口を開ける。アカツキもうっかり忘れていたようだ。つまり、設定を変更したために、アカツキは当然魔の森の魔物に襲われる対象になっているということ。


「うぅ……アルさぁん、早く転移で帰りましょー……」

「はいはい、家に印は置いてあるから一瞬ですよ」


 目に涙を浮かべ、腕を揺さぶってくるアカツキに苦笑して、アルは転移魔法の準備を始めた。強大な魔力を持つ魔物が迫ってきているのを感じたので、嘘でも拒むフリはしない。

 ブランと二人きりだったら、魔物を倒して素材を得るのもいいと思ったが、アカツキがいるので今日はお預けだ。

 探った印は遠いが、しっかり把握できているので問題ない。転移魔法の発動と同時に視界が切り替わった。




 目の前にあるのは、懐かしく感じる自分の家。周囲にあったはずの畑は雑草に覆われ、見るも無残な姿になっていて、アルは僅かに消沈する。

 また畑の整備をし直さなければならない。だが、再びサクラの元に行くことを考えると、どこまで手をつけるかは悩みどころだ。


「――帰ってきた」

『ああ、不思議と落ち着くものだ』

「いやっほーい! そろそろ昼だから、飯食いましょー!」


 感慨に耽る間もなく、子どものように家に飛び込むアカツキの姿にため息を漏らす。肩に乗るブランも、僅かに苛立たしげに尻尾を揺らした。


「……まあ、昼時なのに違いはないし。フォリオさんのところに行く前に腹ごしらえしようか」

『食いもんは確かに大切だな。よしっ、我は肉をたらふく食いたいぞ!』

「ブラン、朝もたくさん食べてなかった?」


 アカツキに続いて家に入りながらブランと会話を交わす。やるべきことは山積みだが、急いては事を仕損じるともいう。アルなりのスピードで熟せばいいだろう。


「あ、アルさん、家の中の掃除は、一括でやっときましたよー! さすがに長期の不在だと、埃溜まりますねー」


 家に入ったアルたちに、リビングから顔を覗かせたアカツキが笑顔で告げた。周囲を見ると、確かに長期不在にしていた家とは思えないほど綺麗だ。アカツキがダンジョン能力を駆使して掃除をしてくれたらしい。

 この家がダンジョンの支配下にはいっているからできることで、アルは素直に礼を告げた。帰宅早々大掃除はアルも嫌なので、アカツキの仕事の早さには有難さしかない。

 アルと同様のことを考えたらしいブランも、感心したように頷いているので、恐らくアカツキの昼ご飯がブランに横取りされることはないと思われる。


「――高頻度でご飯を奪われるアカツキさんは、そろそろ警戒を覚えた方がいいと思うけど」

『何か言ったか?』

「ううん。……さっそくご飯作るから、ブランたちは寛いでおいて」


 肩を跳び下り振り返ったブランに返事をしながら、アルはキッチンに向かった。ここで料理を作るのも久しぶりで、なんだか少しワクワクしてきてしまう。

 材料を取り出すアルをブランが目を細めて見守りながら、この家での定位置となっているソファの上で寝転んだ。

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