第212話 研究の進展

 工場見学の翌日。アルは早速得られた英知の解析に取り組んでいた。

 巻物に書かれた線と記号を、指先と目線で追う。この記号が【まじない】特有のものであることは、これまでの研究でアルは十分学んでいる。

 魔族の血を持っていないため、【まじない】を直接使うことはできないが、魔道具の魔法陣に組み込んで使う方法は既に理解している。


「――なるほど……ここに神からの干渉の定義を組み込んで、その上で【まじない】で補強しているのか……」

『……楽しいか?』

「楽しいよ。世界間転移の方法を確立するにはまだ足りないけど……クインを解放する道筋は少し見えてきた気がする」

『なにっ、そこまで研究が進んでいるのか⁉』


 机に伏せて、アルが巻物を解読している様子を眺めていたブランが、勢いよく跳び起きて詰め寄ってきた。アルはその勢いに苦笑しながらも、ブランの気持ちは分かるので、咎めずに頭を撫でる。


「え、それ、私も初耳なんだけど……。どこに手がかりが……?」

「神の干渉の定義を流用すれば、クインをあの場に縛り付ける力からは解放できる可能性があるということですよ。ただし、存在を歪められている部分をどうするかが問題ですが」


 一緒に研究していたサクラが、真剣な表情でアルの言葉に聞き入る。


「……墓地に敷いているのと似た結界をクインの周りに展開するということね。でも、それはつき兄と同様に、結界外では行動できないということになりそうだけど」

「ええ、ですが、持ち運び式なら?」

「持ち運び式?」


 言葉を反復したサクラに、アルはその手元近くに置かれていたスマホを指さした。

 スマホは板状の通信装置で、サクラたちが頻繁に使っていた。アルはその仕組みに興味を覚えて、未使用品を借り受けて研究していたのだ。すると驚くことが分かった。


「そのスマホ、空間から魔力を吸収し、常時周囲に濃い魔力を展開して通信に用いる仕組みなんですよ」

「それは分かっているけど……あっ!」


 首を傾げたサクラが、不意に閃いた表情で声を上げる。一気に瞳を輝かせるサクラに答え合わせをするように、アルは説明を続けた。


「常時周囲に魔力を放てる。それを使えば、持ち運び式の結界を作るのは簡単です。しかも魔力を周囲から吸収して動くとなると、魔石などの動力は必要ない。クインが持つなら、クイン自身から供給されるようにしてもいいですしね」

「そうね。つき兄も魔力自体はたくさんあるし、クインだけでなくつき兄にも使えるかも」

「ええ、そうできるようにしたいですね。これ自体はたぶんすぐにできるので、アカツキさんに実験役をしてもらいましょう」

「たまには役に立ってもらわないとね」


 本人がいないところで、アルとサクラの結論はまとまった。

 早速スマホを解体して、中の魔力回路を取り出す。魔法陣と【まじない】が組み合わさったものを、アルは魔力回路と呼んでいた。


「プレート自体は、魔軽銀でいいでしょう。中に仕舞うので、早々劣化や損傷が起きることはないでしょうし」

「だったら外装はこれより強固な方が良くないかしら?」


 サクラの言葉に、作業していたアルの手が止まる。

 言われた通り、急に結界が途切れてしまう危険性を考えるなら、外装は頑丈な方がいいだろう。特に、クインは魔物だ。今後外に出た場合、積極的に戦闘を行う可能性は十分にある。そのような時に、衝撃を受けても破壊されない強さが必要だった。


「……衝撃に強い素材に心当たりがあるから、ちょっと作って来るわ。大きさはスマホと同じでいいのよね?」

「そうですね。よろしくお願いします。僕は中の魔力回路の方を作っておくので」


 頷いたサクラが研究室を出ていくのを見送って、アルは取り出した魔軽銀を横に置き、紙にペンを走らせた。魔軽銀に刻む前に、魔力回路の形を調整するのだ。


『……なんだかよく分からんが、だいぶ進展があったようだな?』

「そうだね。ただ、クインの存在を元に戻す方法は、まるで見当がついていないんだけど……」


 紙を覗き込んできたブランに答えながら、アルは魔力回路をチェックする。流れが淀む場所がないか、間違った作用になる部分はないか、慎重な確認が必要だった。


『元に戻す……か。それはまるで、時間を操るようなものだな。それこそ、神の所業だ』

「……時間を操る?」

『そうだろう? 焼いた肉が生の肉に戻ることがないように、一度変わった存在が元に戻ることはない。時間を戻すことができない限りはな』


 なにを当然のことを問うのだと言いたげなブランの言葉が脳内を巡る。時間を操るという言葉がどうにも引っ掛かっていた。

 そうして考え込んでいる間にも、別の思考の部分で魔力回路のチェックを終え、魔軽銀に魔力回路を刻む作業を始める。魔力の澱みが生じないように、滑らかに繊細に。


「――ふぅ……これでいいでしょ」

『うぅむ……目が痛くなるような細かさだ……』


 魔軽銀のプレートを覗き込んだブランが、グッと鼻面に皺を寄せ、目を細める。より無駄なく魔力を使えるようにと細かい魔力回路を刻んだので、そんな表情をするのはアルも納得だ。アルの方こそ、作業に集中しすぎて少し頭痛がする。


「あー……ちょっと休憩……」


 腕を枕にして机に伏せる。そのアルの頭を、柔らかい感触が撫でた。ブランの尻尾だ。アルの疲労を和らげようとしてくれているらしい。その感触に頬を緩めてのんびりしていると、ガチャリと部屋の扉が開いた。


「アルさん、外装はできたからこれでいいかしら……て、休憩中だったのね。あ、どうぞ休憩を続けて。ニイがもうすぐお茶を持ってきてくれるわよ」

「では、お言葉に甘えて」


 上体を起こしかけたアルを止める言葉に従い、再び体から力を抜く。ブランは尻尾で頭を撫でるのが楽しくなったのか、下手な鼻歌と共に不思議なリズムを生み出していた。


「あら、魔力回路はもうできていたのね。流石アルさん、仕事が早いわぁ。私だったら何日かかっていたかな……」


 サクラが呟きつつ机の上を片づけ始める。と言っても、休憩後に作業を再開しやすいように、端に寄せただけだが。


「緑茶とお菓子をお持ちしました」

「あ、ここに置いて」


 ニイが部屋に入って来たかと思うと、甘い香りが漂った。ブランの尻尾が叩く力が強くなり、慌てて上体を起こして避難する。目を輝かせたブランが、ニイの手元を凝視していた。


『良い匂いがするぞ! バターだな。パイか? 果物の匂いはせんが……?』

「何かを包んでいるみたいだけどね」


 それぞれの前に置かれたのは、緑茶が入ったカップと手のひら大のパイを載せた小皿だ。ブランがいるからか、お代わりできるようにバスケットにもたくさんのパイが入れられて、机の中央に置かれる。


「ふふ、食べてみて。日本の文化と洋風がミックスしたお菓子よ」

「あ、もしかして、サクラさんが作ったんですか?」

「ええ! 朝食の後仕込んでおいたの。自信作よ」


 言葉通り自信に溢れた様子を見ると、アルの期待も高まる。皿に添えられていたフォークを摑んで、パイに刺してみた。さっくりと切れた中からは黒い色のペーストが見える。


『旨いぞ! これは、アンコというやつだろう? パイ生地とも合うんだな!』

「ああ、アンコか。豆のペーストでしたよね」

「あら、食べる前にバレてしまったわ」


 ブランの言葉に納得して、欠片を口に運ぶ。パイのさっくりとした食感とバターの豊かな風味の後に、アンコのしっとりと滑らかな食感と甘さが口を満たす。バターとアンコは相性がいい。

 少し口の中がもったりとしてしまったところに、淹れたての熱い緑茶を流し込むと、さっぱりとする。緑茶があれば、いくらでもパイを食べられそうなくらいだ。緑茶はワ菓子だけでなく、アルに馴染みのある菓子類とも相性が良いようだ。


「餡子は色んな種類を作ったのよ。こっちは芋ペースト、栗あん、チョコレート、抹茶……食べたいのを試してみて」

『我は全種食うぞ! サクラの菓子に間違いはないからな!』


 盛大に尻尾を振るブランに、サクラが嬉しそうに笑みながら、皿にパイを積み上げてやっていた。

 休憩は長引きそうな雰囲気だが、これもたまには良いだろう。美味しいお菓子とお茶を味わう時間が至福のひと時であることは間違いないのだから。

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