第211話 兄力の差
ずぶ濡れになったブランは、アルが洗おうとしても無抵抗だった。ここまで濡れていたら抵抗に意味がないと悟っていたのだろう。アルにとっては幸運である。
一通り温泉プールというので遊んだ後、アカツキに連れて来られたのは食事スペースだった。サクラがニイを傍に置いて席に座っている。
「随分と楽しそうだったわね」
「そうですね。サクラさんはどこにいたんですか?」
アカツキは温泉プールにサクラがいるようなことを言っていたが、その姿は見えなかった。
尋ねたアルにサクラが肩をすくめる。
「そう長い間楽しんでいられるほど子どもじゃないから、先に上がっていたの。ここ、マッサージもあるのよ! エステがないのが残念だけど、疲れがとれた気がするわ」
「ああ、マッサージ……エントランスのですね」
「そう、アルさんも一度体験してみるといいわ」
勧めてくるサクラは、確かに日頃よりも血色が良く明るく見える。アルは気づいていなかったが、研究漬けの毎日に疲れが溜まっていたのだろう。
マッサージというものに少し興味が湧いたので、後で体験してみようと思う。
『何を食えるんだ?』
「あら、ブラン……なんだか白さが増して一層ふわふわしているような……?」
『我が美しいのは当然だな!』
「遊びついでに洗ったので」
胸を張るブランの言葉を聞き流し、サクラに答えながらテーブルに置かれた紙を見る。いくつも料理名が並んでいた。
「ブラン、食べたい物をここから選んでください! 工場と契約? したので、作り立てが届きますよ!」
『おお、そうか、あそこの食い物を提供しているのか! 旨かったからな!』
アカツキが差し出した紙をブランが眺める。だが、いまいち人の文字を理解していないので、首を傾げるばかりのようだ。
アルは苦笑しつつ、メニューの一つを指さした。
「これがいいんじゃない? 肉料理みたいだよ。えぇっと【豚角煮&豚しゃぶセット】って書いてあるね」
『うむ、よく分からんがそれにしよう!』
「僕はこのレモンソルベにする」
温泉プールで遊んだからか、火照った体を冷やすのに良さそうなデザートメニューを選んだ。サクラは【サンマ塩焼き、松茸御膳】を指し、それに頷いたアカツキがテーブルに置かれた板を手に取った。ヒロのところで目にした物と似ている。
「それで注文ができるんですか?」
「そうです! 俺はトンカツ定食にしようっと――」
全員分をアカツキが注文してくれたようで、暫くするとテーブルに備え付けてあった棚が光を放った。一瞬で消えた光だったが、それを目にしたニイがすぐさま動く。
棚からそれぞれが頼んだ料理が取り出され、並べられる。
「……転移?」
「そうです! いい仕組みでしょう!」
「それができるようにシステムを組んだのは私でしょ?」
誇らしげに胸を張るアカツキに、サクラが呆れたように肩をすくめた。
サクラの説明によると、管理塔にある昇降用の転移と同じような仕組みになっているらしい。工場に料理の依頼が届くと、影たちがその料理を詰めて送ってくれるようだ。
「いつの間に工場とそんな契約を? サクラさんたちは工場長と面識があったということですか?」
「直接会ったことはないわね。会ったところで、他の影と区別がつく気がしないし。契約自体は、これで連絡をとって転移の準備を整えてもらっただけよ」
スマホという板状の魔道具を指して、サクラがあっさりと返す。アルは目を瞬かせた。
ヒロフミはサクラを補助する意味でもヒロに意識を移したはずだが、サクラはそのことを知らないらしい。では、ニイはどうなのかと目を転じると、アルの意図に気づいたのかニイが待機位置から近づいてきた。
「何かご質問がおありですか?」
「ニイさんは工場長をご存知ですか?」
「私も会ったことはありませんが、その存在は知っています。工場を管理し、必要があればこの地の管理を代行する権利も持っています」
「……ヒロフミさんとの関わりは?」
「質問の意図が分かりませんが、工場長はヒロフミ様がお作りになった物です。それは影全体にも言えることですが」
本当に分からないと言いたげに首を傾げられた。ニイにまでヒロの存在は隠されていたらしい。
それが何故か分からず、首を傾げていると、隣の椅子に座っていたブランに腕を叩かれた。
『アル! この豚角煮、トロットロだぞ⁉ 歯が要らないくらい柔らかくて脂身が甘い! 一口食ってみろ!』
「えー……」
期待に満ちた目で見上げられ、アルは苦笑を零しながらテーブルに置かれていたカトラリーの中からフォークを摑み、肉に刺してみた。
驚くほどスッと切れる肉に目を丸くするしかない。小さめに切った欠片を口に放り込むと、甘いショウユのタレと肉の旨味が一気に押し寄せてくる。
「……美味しい」
『旨いだろう! 豚しゃぶもいいぞ。だが、これはアルが作る方が旨い気がするな』
工場でたくさん食べたことを忘れたように、元気よく食べ進めるブランには、呆れを通り越して感心する。
サクラは良い香りが漂うマツタケご飯に舌鼓を打ちご満悦の様子だし、アカツキはトンカツに勢いよく食らいついては、ご飯を搔きこんでいる。
その至福そうな様子を邪魔するのは忍びなく、アルはさっぱりとしたレモンソルベで喉を潤しながらのんびりと食べ終わるのを待つことにした。
それぞれ食べ終わり、食後の緑茶を飲みながら、サクラが首を傾げる。
「それで、工場長のことを聞いたのは何故? 知っていることは前もって教えていたと思うんだけど」
「それは……工場長がヒロという名で、しっかりと人の形をしていたからです。本人曰く、ヒロフミさんの姿を模っていて、意識も多少移されているのだと」
「はあっ⁉ 宏兄の姿と意識って、聞いてないんだけど⁉」
説明した途端、サクラが勢いよく立ち上がり、ニイに視線を向ける。その視線の先のニイも、混乱した様子で首を横に振るばかりだ。
この二人がこれほど驚くのなら、ヒロの存在は知られていなかったというより隠されていたという方が正しい気がする。この地の管理をする二人が、ヒロを知らないというのは不自然だから。
アカツキはポカンと口を開けていたが、不意に何かに思い至ったように手の平と拳を打ち合わせた。
「あ、もしかして、俺への配慮……? 桜の兄の座を独占しないため……?」
「馬鹿なこと言ってるの、自覚ある?」
少し混乱が落ち着いた様子のサクラがアカツキを冷たい目で見下ろした。どうやらアカツキの思い付きは間違いらしい。ヒロフミの考えを直接聞けない以上、正解は分からないが。
「――もしかして、宏兄なりの激励かな……。いるの知ってたら、私、もっと弱音はいて、何もできなかった気がする……。宏兄本人ではなくても、見た目も意識もあるなら、頼りきっちゃってたかも……」
ストンと腰を下ろしたサクラが、項垂れながら呟いた。その言葉を聞いて、アルはアカツキと視線を交わす。
「……確かに、宏の性格的にありえるかも。あいつ、桜に甘いけど、過保護になるような手は出さない奴だし……。それでいて、マジでヤバい時に備えて、しっかり手を打っておく用心深いタイプだもんな……」
「つき兄とは大違いに、ちゃんと兄らしい人だもんね」
「ぐさっ! その言葉で全俺が泣いた」
アカツキがテーブルに突っ伏した。相変わらずサクラはアカツキに手厳しい。兄としての在り方も、アカツキよりヒロフミの方が上だったようだ。アカツキの性格を思うとアルも納得する。
『全俺ってなんだ? アカツキは意識が複数あるタイプなのか? 馬鹿が増えたら世界の迷惑だから、ひとつだけにしておけ』
「ぐさっ! ……言葉の綾ですやん。全米は泣かないけど俺は泣くよってことですよ……。俺は宏と違って意識はひとつ、のはず。記憶がない部分で増殖してない限り……」
「増殖……」
曖昧な返答のせいで、アカツキが無限に増えている様を想像してしまって、アルはげんなりしてしまう。慌てて頭を振ってその想像を捨て去った。
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