第209話 英知を得る

 ブランの興奮も落ち着いたところで、本題に入る。テーブルの上の料理はあらかた食い尽くされていた。


「ヒロフミさんが影に託した英知を、あなたが持っているということでいいんですよね?」

「そうだな。元々先読みの乙女の託宣により準備していたものだ。万が一にでも神に消失させられないよう俺が持っていたが、恐らくアルに渡すのがいいのだろう」


 軽く頷いたヒロが、虚空から何かを取り出す。それは巻物のように見えた。


「これが英知と呼んだ物だ。自らが生み出した物を英知と呼ぶというのは、なかなか強気なことだと思うが」

「はあ……見させてもらいますね」


 巻物は端に紐があり、それが巻き付くことで閉じられているようだ。くるくると外し、中を確認する。


「これは……?」

「墓地に敷かれている、神からの干渉を防ぐ結界の【まじない】を記した物だ。これを作るために使った、神からの干渉の定義というのは、こっちの本に書いてある」


 テーブルに本が載せられた。表紙に題はなく、臙脂のカバーだけがされている。恐らくヒロフミ自身が書いた物だろう。


「神からの干渉の定義……!」


 アルはここ数日悩んでいた問題の解答が、当たり前のように提示されて目を瞠った。

 結界の魔法陣や【まじない】を作ろうとするとき、まず何を防ぐのか定義を明確にしなければならない。

 普段使っている結界のように、物理衝撃や魔法を防ぐというのは、既に理論が完成されている。だから、アルなりにそれを組み替えるだけで作り出せるのだが、神の力というのはアルの理解が及ばないものだった。それゆえ、どのように作ればいいのかまるで分かっていなかったのだ。


「――ヒロフミさんは、どうやって神の力の定義に至ったんだ……?」


 本に目を通しながら呟く。内容は理路整然としていて、確かにこれなら魔法陣や【まじない】に組み込むのも容易だろうと思ったが、この結論に至る道筋が全く分からなかった。


「俺もその辺は詳しく知らないが……。アテナリヤと接触した時に、ちょっと存在を解析していた、ような……? 先読みの乙女と会った時にもヒントを貰ったと言っていた気がする……?」

「……そうですか」


 首を傾げるヒロは、曖昧な答えに終始していた。恐らくヒロフミが意図的にその辺の記憶を分けていないのだろうと思う。

 結局、アルの謎を解決するには、ヒロフミ本人に会わなければ仕方ないのだろう。だが、ヒロフミは現在も悪魔族の元に潜入中の筈だし、それを切り上げてもらうのも、こちらから接触をとるのも、あまり都合が良くない。


『それで、書かれているのは、何か役に立つのか?』


 流石に腹が満たされたらしいブランが、アルの膝に顎を乗せるようにして手元の本を覗きこんでくる。アルはその頭を撫でながら頷いた。


「この定義に間違いがないなら、十分応用が可能だと思う。巻物の方はここでは広げきらないし、後で全体を見てみないと分からないけど」

『ふぅん……では、また研究の日々なのか』


 ブランの言葉は、どこか寂しげに聞こえた。魔物であるブランは感覚で魔法を使うから、アルのように理論的に魔法を語ることができない。そのため、研究に関わることもできず、アルが研究に没頭している間は暇らしいのだ。

 アカツキと遊ぶのも物足りないようで、最近は研究に戻ろうとするアルを引き留める時間が増えてきた。


「う~ん、これまで通り、午前中は訓練にあてるよ? アスレチック施設だけじゃなくて、他のところに行ってみるのもいいね。全てを回ったわけではないし」

『……むぅ、それはそうだがな』

「早くに研究が終わったら、また旅を再開できるだろうし」

『……お、それはいいな。外の世界も、まだ全然巡っていないのだ。きっともっと旨い物がたくさんあるぞ!』

「食べ物だけが旅の目的じゃないけど……」


 急にテンションを上げたブランに苦笑する。だが、このくらい先のことに期待があると、今を頑張れるのかもしれない。アルも古代魔法文明の遺跡などは行ってみたいと思っているし、楽しみにしているから。


「あ、そういえば、結局古代魔法文明とここの関わりは何だったんだろう? 確かに古代魔法文明の魔法様式はところどころで見受けられたけど……」


 ソフィアが言っていたほどには、あまり主張がなかった気がすると首を傾げていると、アルの言葉を聞きとがめたヒロが首を傾げた。


「何を言っているんだ。古代魔法文明はヒロフミたち、つまり現地の者たちが魔族と呼ぶ存在が築いた物なのだから、この地そのものが古代魔法文明を表しているようなものだぞ」

「……え?」

『なに? お前たちは一国を築いていたのか? 逃げてここに来たんだろう?』


 あまりに意外な言葉だったので、アルはブランと一緒に困惑の声を漏らしてしまう。


「正確に言うと、国は治めていない。イービルから逃げる過程で、ヒロフミたちは一つの国に身を隠したんだ。そこは移民の受け入れが多い国でな、ヒロフミたちの一風変わった容姿でも溶け込むことができた。そこで一時【まじない】や魔法の研究をしていたんだ。その研究成果が、後の古代魔法文明に繫がるわけだな」

「へぇ、なるほど。そういう経緯が……」


 書物では全く知られていない話だった。だが、歴史の中であまりにも突然に高度な技術が生まれたわけが分かった気がする。そもそもが、この世界とは違う知識を持った者たちのアイデアが籠められていたわけだ。


「だが、その地での研究の最中に仲間割れが生じてな。一部は悪魔族の方と合流することになった。そのせいで、ヒロフミたちは居場所がバレた国に居続けることはできず、北を目指したんだ。そこにドラゴンがいることは知られていたからな。帰還するための知恵をもらえないかという希望もあった」

「リアム様を頼って北に来たんですね……」


 ドラグーン大公国の一部には、ヒツジのように魔族の血を継ぐ者がいる。北に来てからも暫くは人と共に暮らしていたのだろう。イービルからの干渉に怯えながら。

 そしてアテナリヤに手を差し伸べられ、この地に身を隠すことになった。


「……あ、じゃあ、アカツキさんも、古代魔法文明時代を実際に知っているということですか?」

「そうだな。暁はポンコツだから、記憶を思い出したところでアルの研究の役には立たないだろうが」

「ポンコツ……」


 恐らく馬鹿にする言い方なのだろうとは思うが、口調があまりに辛らつだ。だが、アカツキのこれまでを見てきたアルは、フォローする言葉を思い浮かばずに苦笑するに留めた。

 記憶が完全に戻ったところで、アルが興味を惹かれるようなことが出て来ることはないと分かっただけでもいいとする。無駄な期待は良くないから。


「そういえば、ヒツジという方から、魔族は空間魔法が得意だったと聞いたのですが、あなた方は基本的には魔法が使えないんですよね? そのために【まじない】を生み出したはずですが」

「うん? ヒツジというのが誰かは知らないが、情報に誤差があるようだ。魔族は基本的に魔法を使えない。だが、帰還のための研究をするにあたり、空間魔法は研究していたし、それに伴って、自分たちが使えるようにと空間系の【まじない】も多く生み出した。空間魔法は現地の者でも適性がある者しか使えないが、【まじない】は魔族の血を持つ者なら誰でも使える。だから、魔族は空間を操る術に秀でていたという話が伝わっているんだろう」

「ああ、そういうことですか……だったら、ヒツジさんたちの空間魔法への適性に魔族の血というのはあまり関係がないのかな。空間系の【まじない】を教えた場合、使えるのかどうかが気になるけど……」


 呟くアルをヒロが首を傾げて見つめた。


「魔族の血を引く者が外にいるのか」

「ええ、そう言っていました。この地の入り口近くにある国の者ですよ。リアム様がいらっしゃる国です」

「……ああ、仲間の一部は長くそこで暮らしていたようだからな。なるほど、その血は今でも引き継がれているのか。不思議なものだ」


 感慨深げな表情でヒロが呟いた。

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