第208話 おもてなし

 アルが聞いた話を自分の中で消化していると、ヒロが微笑みかけてくる。


「君のことはずっと観察していたよ。なんというか、まあ……あまりに遠足気分な攻略だったな? 暁のポンコツっぷりもなかなかだったが」

「観察……え、まさか、ここに来てからずっと?」

『……追手以上に鬱陶しいやつだな』


 思いがけない発言に目を瞠ると、肩をすくめたヒロが頷く。顔を顰めたブランの言葉に少し傷ついているようだが、何も言い訳はしなかった。


「桜が精神的に耐えられなくなるのは元々分かっていたからな。ニイだけに管理を任せるのも不安があるし、俺が観察するのが一番適当だったんだ」

「……なるほど。ヒロフミさん本人との意識の接続は可能なんですか?」


 こうして話している内容も、ヒロを通してヒロフミに伝わっている可能性を考えて尋ねたが、ヒロは首を横に振った。


「意識が分かたれた段階で、テレパス的な交信は不可だ。だが、一応連絡手段はある。悪魔族と言われている者たちの近況を知りたいか?」

「ああ、今はそちらの陣営に潜入中なんでしたね。その動向は気になりますが、まずは身近な話をしましょう」

「君たちがここに来た理由も分かっているよ。影に託された英知を探りに来たんだろう?」

「……本当にずっと観察されているんですね」


 アルは僅かに顔を顰めた。ずっと見られていることに不快感を抱かないほど、アルは寛容な性格ではない。

 アルの思いを察知したのか、ヒロが両手を挙げて申告する。


「プライベートな時間は見ないようにはしている。魔物がいる空間の攻略中はともかくな。何と言うべきか……ある一定のキーワードが察知されると観察が開始される? という感じだ。これ以上詳しい説明はできない。すまないな。ヒロフミの意識を分けられているとはいえ、本人を超えないように設定されているんだ。ヒロフミほどのことは語れない」

「……そうですか」


 見た目は人間そのものであっても、ヒロは人間ではないのだと示すような言葉に感じた。


『ふぁあ……。どうでもいいが、英知とやらの話はしないのか。それに、話をするならもてなしが必要だと思うぞ』

「……ブラン、まだ食べるつもりなの?」


 膝の上で欠伸をしながら宣うブランをジトリと見下ろす。シレッとした顔で首を傾げられたが、その胴体を掴んで揉んだ。やはり食べた物がどこに消えているのか分からない。


「そうだな! 初めてのお客様なのだから、もてなしはすべきだった。失念していてすまない。まあ、ここまで来る間のことは、十分もてなしだった気がしないでもないが……?」

「あ、本当にもてなしとかいらないですからね?」


 首を傾げつつ立ち上がるヒロを引き留めようとするが、「いい、いい」と言いたげに手を挙げたヒロが、離れたところにあった机からプレートを手にして戻って来る。


「何を用意すべきか……あ、魚介類の類は提供してないな。うん、これにしよう。彩りもあって、歓迎の意を示すのにもいい」

「いったい何を……?」

『おお、魚か。良いな。我は今がっつり食う物より、旨味がある物がいいぞ』


 プレートを撫でたりタッチしたりと意味が分からない行動をとっているヒロを眺める。ブランが期待で尻尾を揺らすのを撫で宥めながら問いかけると、ヒロがにやりと笑った。


「タブレットというヤツだ。これで色々と影に指示ができる。飯を持ってこさせるのに便利だ。ついでにこの地の観察業務も行える」

「ついでの方が本来の役割なのでは……?」


 ヒロなりの冗談なのだろうが、アルは苦笑してしまった。そのシステムを作ったのは恐らくヒロフミ本人だろう。まさかヒロフミはこのような使い方を主にされるとは考えていなかったはずだ。


「どっちでも構うまい。役に立つだけ価値があるのさ」


 ヒロがそう言ったところで、スッと扉が開いて三人の影が入って来る。その手には大きなトレイがあった。銀の蓋で隠されていて、中身は分からない。

 アルたちがいるテーブルにトレイを載せると、影たちはそのまま立ち去って行った。ヒロとは違い、やはり無機質な対応だ。


「さあ、たんと食べてくれ」


 自信満々な様子のヒロが銀の蓋を開ける。


『おお! 美しいな! しかも旨そうだ!』

「……夜会のパーティーメニューみたいだなぁ」


 トレイに並んでいたのは彩り豊かで美しいオードブルだった。ピンク色の魚の切り身とチーズを合わせたクラッカーや魚のカルパッチョ、貝やエビのオイル煮など魚介類がふんだんに使われている。

 それだけでなく、野菜スティックや肉のサイコロステーキなど、味に飽きがこないように多種多様に揃えてあった。


「アルコールもあるぞ。ワイン、ビール、エール、シードル、芋焼酎――」

「あ、僕、お酒は飲まないので」

『我も飲まんぞ。だが、あのシュワシュワする飲み物なら欲しい』


 立ち上がり、壁に並んだ棚の一つを開けながら言うヒロに断りを入れる。「え、飲まないのか……? こんな酒飲みのためのメニューなのに……?」と呟かれたが、アルは今の状況の中アルコールで思考を鈍らせる方がダメだと思う。

 結局、ブランの要求を受け入れたヒロが、気泡が出る飲み物を持って戻ってきた。グラスに注がれたのは、なんとブルーの飲み物だ。


「ブルーハワイ風サイダーだ」

「ブルーハワイもサイダーも分かりませんけど。それ、何ですか?」

「何? ……いったい何なんだろうか?」


 知らない物を提供しないでほしい。

 そう思って視線を向けるが、ヒロは腕を組んで首を傾げるだけだ。悩んだところで答えは出ないようだが。


『毒がなくて、旨ければそれでいいだろう!』

「ああ、毒はない。材料的には砂糖水と言っていいものだ」

「砂糖水……」


 何故砂糖水が青くなるのか分からないが、飲み始めたブランに異常はなさそうなので、害がある物ではないのだろう。

 アルも一口飲んでみて、目を瞬かせた。予想より甘味が少なくさっぱりと飲める。刺激があるからかもしれない。


『このチーズと魚を合わせたやつ、旨いぞ!』

「ああ、燻製サーモンの薄切りとクリームチーズを載せたクラッカーだ。チーズにはレモン果汁も混ぜているからさっぱりしているだろう? デパートの地下でも売っているから、気に入ったなら購入してみるといい」

「……あ、本当だ。燻製の香りとチーズの酸味がちょうどいい。……確かに酒飲みが好きそうだな。アカツキさんにお土産にしよう」


 アルもクラッカーを食べてみたが、思っていた以上に美味しかった。この工場で作っているのだろうが、この味の開発は誰がしているのか気になる。まさか、影が味の評価や改善をしているわけではないだろう。


「暁への土産は後で持たせよう。……相変わらず酒飲みのようだな」


 呆れたように言うヒロを秘かに観察する。

 意識を分けたというのが、どの程度のものかアルはまだはかりかねていた。ヒロは、ヒロフミの記憶をある程度引き継いだ上で、ヒロフミ本人のようにサクラやアカツキのことを語っているようだ。

 これで本人とその複製の区別はどこにあるのか、本人を知らないアルが判断するのは難しい。


『アル、アル! この貝やエビをオイルで煮たの旨いぞ! 食ってみろ』

「……ブランは、ほんとお気楽だよね」

『うん? それは馬鹿にしているのか?』

「ううん、幸せそうでいいなぁと思っただけ」


 適当に誤魔化すアルに首を傾げているブランから皿を受け取る。

 皿には貝やエビがふんだんに載せられていた。ガーリックとスパイスの香りがして、確かに美味しそうだ。


「ああ、それは、バゲットに載せるとさらに美味いぞ」


 ヒロが薄く切ったバゲットを渡してくれたので、合わせて食べてみる。魚介類の旨味がオイルに染み出ていて、このオイルをつけるだけでも十分美味しいだろうと思わせる味だった。


『アル、アル! この肉のソースのモチモチしたのも旨いぞ!』

「ああ、ラザニアだな。肉感があって美味いだろう?」

「ブラン、美味しいのは分かったから、僕に渡さなくていいからね? お腹はちきれそう……」

『そうか? 旨いのになぁ』


 何故か共有しようとするブランを止めたが、しょんぼりと尻尾を垂らすのを見ると気が咎める。これを最後にしようと、ラザニアという物を受け取った。

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