第207話 魔力が生むもの
思う存分食べられて満足そうなブランに呆れながら、アルは案内役の影に続いて階段を上った。食堂の傍にあった階段だが、その先にあった光景に、正直またかとため息をつきたくなる。
「……外だね」
『疑似的なものだがな。お、ここは川と海がメインのようだぞ。魚を獲ってる』
「あ、ほんとだ。釣ってるというか、獲ってるね」
川や海には網が投げ入れられ、それが影の手により引き上げられると、大量の魚や甲殻類が詰まっていた。ここは魚介類を得るための場所なのだろう。
「あそこの橋を渡ると、また建物があるみたい」
『今度はどんな飯か、楽しみだな!』
「……まだ食べるの?」
肩に乗る重さは全く変わらないが、ブランは体重の何倍もの量を既に食べているはずだ。現在の姿が変化によるものとはいえ、その生態はいくら考えても謎である。
「クインはそんなに大食いな感じじゃなかったけどなぁ」
『……個体が違うのだ! 我のこれは、個性だ!』
ブランもアルの言葉は否定できなかったらしい。自分が大食いなことは自覚しているのだろう。
「まあ、いいや。……魔物もいないし、なんだかほのぼのするね。普通の自然じゃ、味わえない感じ」
『我は魔物がいないことに違和感を覚えてしまうが、ここはこれが普通なのだろうな』
森といえば魔物、平原でも魔物、街の傍でも防壁の外は魔物。アルたちが生まれ育った馴染みの世界は、魔物がいるのが当たり前の世界だ。
ここはあまりに平和すぎて、これに慣れたら外の殺伐感に疲れてしまいそうだ。アルが本来生きるべきは、魔物がいる環境なので、あまりこの平和に慣れたくない。
「……さっさと工場長に会いたいな」
『会ったところで、目的のものがあるとは限らんがな』
ブランと話しながら橋を渡る。そこからでも、川を泳ぐ無数の魚影が見て取れた。
飛び込んで獲りたそうにうずうずしているブランを押さえながら、アルはふと首を傾げる。
魚は獲った分だけ川や海から減るはずだ。だが、アルが見る限り、魚の数に変化はないように見える。いったいどこから補充されているのか、目を凝らしてみた。
「――あ、あれは魔法陣……? いや、なんか違うな……?」
川の底に何やら光る物が見えた。アルが魔道具に刻む魔法陣に似ているが違和感がある。
足を止め、よく観察してみると、それから魚が次々に生まれているのが分かった。
「魔法で生命体を生み出すのは無理だ」
『これが【
「……うん、そう見えるね。神の所業か。……神のようなことをしようと思ったら、研究でここまで行きつくのか。命を魔力で生み出すのは、僕はなんとなく忌避感があるけどなぁ」
呟いたアルに、ブランが緩く尻尾を振った。
『アカツキはその辺全く考えていなさそうだったから、ヒロフミもそうなんじゃないか? そうでなければ、この地の管理もできまい。魔法ではないにしろ、魔物を生み出して徘徊させているのだから』
「ああ、そっか。アカツキさんのダンジョンもここも、魔物を防衛に使ってるんだもんね」
この工場は魔物がなく、平和そのものだが、街から出た外には多くの魔物が今も動いているだろう。アルのような侵入者がいなければ、ただそこにあるだけだが。
「――いや、森では、魔物を食らう魔物もいたな。もしかして、あれは魔物の数の統制を自動的にするためか。食われた魔物は魔力に分解され、再び魔物を構築するために使われる。ヒロフミさんが考えたシステムの一部だったのかも」
『ああ、あの魔物を誘うヤツ……』
ブランが嫌そうに呟いたところで、建物が近づいた。魚介類を捌く時特有の匂いがする。
「あんまり、長居はしたくないな……」
『うむ。加工はもっと奥でしているようだ』
案内役の影によって開けられた扉から中を覗き込むと、たくさんの影が魚介類を処理している。ここは道具に頼らず影頼りの作業場のようだ。
アルの思いに気づいたのか、影はすぐに作業場の奥に誘った。そこでは魚を干したり、容器に詰めたりしている。
「あ、カンヅメ。色んな種類があるな。……なるほど。容れ物に詰めてから更に熱を加えるのか。その方が日持ちするのかな」
『そうだな……ふあ……』
「眠たいの?」
大きく欠伸をしたブランに笑う。食堂である程度腹が満ちたので、今度は眠気が襲ってきたらしい。昼を過ぎた頃合いだというのもあるし、魔物がいなくて緊迫感がないというのも理由だろうが。
「ここはそのまま通り過ぎよう。コンビニとかデパートっていうところで、商品自体は確かめられるだろうしね」
『……うむ。そろそろ帰ることも考えんと、アカツキが寂しがろう』
「サクラさんがいるから、そこまでじゃないと思うけど……また、アスレチック施設みたいのを創っているかもよ?」
『おお、それはいいな! 初めは意味が分からんかったが、我はあれを結構気に入っている』
「知ってる。毎日遊びに誘ってくるもんね」
分かりきったことを主張するブランに微笑みながら、アルは奥に見えてきた階段に進んだ。
躊躇いなく階段を上っていく影に続くと、これまでとは違うものが見えてきた。
「……扉?」
『最上階に着いたのではないか? 工場長の部屋が一番上にあると言っていただろう?』
「そうかもね」
影が扉の脇に何かを翳した。すると、閉ざされていた扉がゆっくりと開かれる。影のように何かを翳さないと、立ち入りが制限されている場所だったようだ。
見学者という立場で工場を見て回っていたが、果たしてアルたちも入っていいのだろうかと首を傾げる。だが、影が扉の先に進んだ瞬間、アルは息を吞んだ。
「……人?」
『なんと……これは予想外だった』
影から黒い靄が削ぎ落されるように零れていく。そして、人のような姿が現れた。
部屋の中からアルを見るのは、アカツキほどの年頃の男。茶色のぼさぼさの髪を目元あたりまで伸ばし、口元に笑みを浮かべている。
「――驚いたかな、見学者くん。俺がここの工場長。名を宏くんという。気軽に呼んでくれ」
両手を広げて言う男に、アルは目を見開いた。
「ヒロ……もしや、ヒロフミさんの姿?」
『ヒロフミとは、こんなやつだったのか。もっと研究者然としたやつかと思っていたが……』
「いかにも、これはヒロフミの姿。ウザいみたいに言わないでほしいなぁ。俺はこの工場長に自分の意識をコピーしたんだ。この工場、創ったはいいものの、時々管理の手が必要でね。完全な自動化は難しいんだ。そのために、俺の意識、知識が必要となる」
アルを手招いたヒロは、部屋にある応接セットのソファにどかりと座る。アルはその向かいを示されて、警戒しつつ座った。
「……なぜ、影を装っていたんですか? 言葉も喋れたようですし」
「それを語るには、まず影とは何なのかの説明が必要だ」
重々しく頷いたヒロは、虚空から何かを取り出す仕草をする。それはアカツキで見慣れたものだった。
取り出されたのは白い板だった。そこに字が書きこまれていく。アルにも馴染みがある字だ。
「影とは俺が考えた魔力循環システムの一部だ。そして、本来ならば亡くなった仲間や日本に残した家族の姿を写し取るはずだった。長い時を生きても、仲間や家族の姿を忘れないようにするためだ。だが、俺は最初の一人を創った時に、気づいてしまった。姿だけを真似たところで、本人になるわけではない。影は俺が設定した通りに動くだけで、無機質な仕草しかできなかった」
「それは、そうでしょうね。もし、そのまま人のようになるなら、それは人を魔力で生み出すようなもの――」
頷きながら、アルは言葉を止めた。
先ほど魔力から命が生み出される瞬間を見たばかりだ。それが人に適応できておかしくないのだと気づいてしまった。生じる嫌悪感はアルの予想を超えて心に広がる。
「俺だとて、それは禁忌だと思った。だから、影を人らしくする研究はやめた」
ホッと息をつく。ヒロフミにも忌避感が残っていたようだと安心した。
「この姿は唯一の例外だ。サクラだけをこの地に残すことを心配したゆえの、兄心の表れでもある。俺は【
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