第206話 ブランの天国

 シャーベットとアイスクリームを味わったアルたちは、案内役の影に連れられて奥の部屋に進んだ。


「こっちは加工肉とか乳製品か」

『アル! あのぶら下がってるのはソーセージだ。旨そうだぞ! あっちのはベーコンか。いい匂いがする!』

「うん、そうだね。分かったから、ちょっと落ち着いて。尻尾がうるさい……」


 肩で騒ぎながら、しきりに尻尾を振っているブランに苦笑する。今にも飛び上がって肉に食いつきそうだ。

 とはいえ、アルたちと加工スペースの間には透明な仕切りがあって、ブランであっても簡単には突撃できない。

 まさかブランに肉を食い尽くされることを危惧したわけではないだろうが、急に隔離された理由が分からずアルは首を傾げた。


「――まあ、いっか」

『むむっ、肉が食えん! 何故だ。匂いだけさせておいて、食わせないとは何事だ!』

「……ここは試食とかありますか?」


 あまりのブランのうるささに、アルは影に尋ねた。

 腕を組み、首を傾げる仕草をした影が、ポンッと手の平と拳を打ち合わせ、ついて来いと言うように歩き出す。

 あまりに人間染みた仕草だったので、アルはその後ろ姿をじっと観察した。


「……他の影は無機質な感じなのに、この影だけは違うな」

『うむ。指揮系統が違うのではないか?』

「指揮系統?」


 不意に静かな口調で喋り始めたブランを横目で窺う。先程までの騒がしさが嘘のように、影を分析するように静謐な目を向けていた。


『あそこで動いている影たちも街を彷徨く影たちも、あらかじめ決められた動きしかとっていない。おそらく、ヒロフミがそのように設定しているのだろう』

「魔力の循環のためなら、そこに個性はいらないもんね」


 ブランの言葉に頷きながら、進む先に見えてきた大きな扉に目を細める。そこからなにやら食器がぶつかるような音がしていた。


『だが、この影は言葉でのやり取りはできないが、それを動きでカバーできる。その応用力には意思があるように見える。存在のあり方がそもそも他の影とは違っているのだ』

「そうだね。……意外とブランが冷静に観察してて、正直驚いた」

『失礼なヤツだな! 我はいつだって、潜む危険に目を配っているというのに。アルは時々とんでもなく注意力散漫になるから、代わりに警戒してやっているんだぞ』


 ジロッと睨んでくるブランに肩をすくめて謝る。


「はいはい、ありがとう。でも、ブランだって、ご飯のこととなると――」

『飯だ! アル、飯だぞ!』


 肩から重さが消えた。

 アルは言葉を切り、白い残像を残して部屋に飛び込むブランを見据える。注意力散漫になりがちなのは、ブランの方だと思う。

 扉の傍で案内役の影さえも呆然と立ち尽くしているように見えて、少し申し訳なくなった。


「すみません、先に入ってしまったんですが……ここは、食堂ですか?」


 影が頷いてアルを部屋の中に促す。

 部屋には長いカウンターとたくさんのテーブルが並んでいた。カウンターには多種多様な食べ物が載っている。

 この部屋にもいる影たちの動きを観察することで、ここでの料理の取り方が分かった。


「このトレイに食べたい物を載せて、最後に魔力で支払うんですね?」


 入り口近くにあったトレイを手にして歩き始める。アルの理解は間違っていなかったようで、影から止められることはなかった。


『何故取れんのだ!?』

「……結界? たぶん条件付けされてるんだね」


 料理が並ぶカウンターの上で、宙を掻いているように見えるブランを捕まえる。肩に乗せると、諦めたように項垂れた。美味しそうな料理にあと一歩のところで手が届かないので、アルが思った以上に打ちのめされているらしい。

 アルは苦笑しながら、ブランが取ろうとしていた皿に手を伸ばした。一瞬、魔力の膜を通るような感覚がする。


「……トレイを持つ者だけが、通れるみたいだね」

『なんでそんな面倒なものが展開されてるんだ!』

「ブランみたいに、支払いもせず食い尽くそうとするのを防ぐためじゃない?」


 憤慨するブランの言葉を軽く流す。

 ブランはチキンステーキを食べたかったようだ。アルはその横に並んでいた揚げ物を取ってみる。

 鶏肉に衣をつけて揚げた上に、ソースがかかっていた。好みで白いソースも追加でかけるらしい。アルが以前作ったマヨネーズソースに似ている。


「そういえば、マヨネーズは魔族……流離人が精霊に伝えたものだったな」

『我の分にもかけてくれ』

「ステーキに? ……まあ、合わないことはないのかな?」


 二つの皿にソースを掛けてから、アルはブランに言われるがまま料理を取っていった。大きく感じたトレイに隙間がなくなると、影が新たにトレイを用意してくれる。


「……あまりにも多すぎない?」

『おやつの時間だからがっつり食うぞ!』

「あ、もうそんな時間なの? ここ、時間が分からないから……」

『我の腹時計は正確だ』

「……そう。ブランが言うと凄く説得力あるね」


 食いしん坊の主張に何故だか疲労感を感じながら、アルは支払いまで進んだ。持ちきれないトレイは案内役の影が運んでくれている。

 コンビニと同じ仕組みで魔力による会計をした後は、近くのテーブルを陣取って試食会だ。ブランが選んだ料理の量は試食の範囲を大きく超えているが、アルはもうそれを気にしないことにした。ここでできるだけお腹がいっぱいになれば、この先でうるささも減少するだろう。


「……あ、美味しい。やっぱりマヨネーズをベースにしたソースだね。アカツキさんが言ってた、タルタルソースはこんな感じなのかな。揚げ物だし、ちょっと重いかなって思ったけど、絡めてあるソースがちょっと酸味があるし、この白いソースもマヨネーズよりさっぱりしていて食べやすいかも」

『ステーキも旨いぞ。うむ、ショウユっぽさがあるタレが絡めてある。この白いソースもよく合うぞ!』

「良かったね」


 アルがのんびりと味わっている間に、ブランは既に二皿を空にしていた。だが、テーブルにはまだたくさんの料理が並んでいる。


「やっぱり取り過ぎだったんじゃない?」

『これくらい、すぐ食うぞ! だが、飲み物も欲しくなってきたな』

「あ、飲み物は、確かに――」


 視線を移したアルに気づいたのか、傍で待機していた案内役の影が、カウンターの傍を指さした。大きな魔道具らしき物とグラスが並んでいる。

 食べ続けているブランを放ってそれに近づくと、それがどうやら飲み物を提供する物だと分かった。影が飲み物を注ぐ動きを観察して使い方を学び、アルもグラスを手にする。


「ボタンがたくさんある……どれが何なのか分からないなぁ」


 書いてある字はアルには読めなかった。だから、勘で選ぶしかない。


「あ、白い……」


 グラスをセットしてボタンを押すと、自動的に飲み物が注がれる。グラスに適量だけ注ぐと自動的に止まった。面白い仕組みだ。飲み物をあらかじめ準備しなければならないが、自分用に作ってみるのもいいかもしれない。

 新たにグラスを置いて違うボタンを押すと、今度は薄茶色の飲み物が注がれる。トマトソースを作っていたところで飲んだ物のように、気泡が次々と現れていた。


「美味しそう」


 飲み物を持ってブランのところに帰ると、テーブルにある皿の大半が空になっていた。さほど長い時間離れていたわけではないのに、あまりに早いスピードだ。

 呆れてしまいながら、ブランに白い飲み物を渡す。


『これは何だ?』

「分からない。でも、匂いは甘そうだよ?」

『それは分かっている』


 首を傾げたブランがペロリと舐める。途端に尻尾が大きく揺れた。ブラン好みの味だったらしい。


『ミルクよりも爽やかな甘みだ! 旨いぞ!』

「それは良かった。……こっちは、ジンジャーっぽい味がする。面白いな」

『その気泡は、刺激のある飲み物ということだな。我も飲みたい!』

「じゃあ、僕もそっちを飲んでみる」


 グラスを交代して一口。ブランが言う通り爽やかな甘みで美味しかった。


「――それにしても、ここに来てから食べてばかりだけど、一向に英知の手がかりが見つからないな。工場長のところはまだかな」

『我はもっとこうしていたいがな』

「さすがに満腹感を覚えよう?」


 与えれば際限なく食べ続けてしまいそうなブランに、アルはため息をついた。ドラゴンさえも食べ尽くしてしまえる胃袋は強すぎる。

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