第204話 工場見学

「久しぶりにこっちに来たね」

『そうだな。お、あれはデパートというヤツではないか? 何を売っているか見に行こう!』

「今日は買い物が目的じゃないからね?」


 肩でうるさく主張するブランを、軽く叩いて諫める。不満そうに息を吐かれるが、アルは気にせず、バスの車窓から街を眺めた。

 管理塔前には定期的にバスがやって来る。そこが終点になっているからだ。そして、再び目的地に向けて出発していく。

 その目的地は様々で、アルが何度か見た中には【工場前行き】や【遊園地前行き】などがあった。


「工場ってどんなところかなぁ」

『もしかしたら、出来立ての飯が食えるかもしれんな!』

「……ブランって、本当にご飯のことばかり言うよね」


 食欲に忠実な相棒を摑んで、膝の上に置く。きょとんと見上げてくる頭を、ぐしゃぐしゃに搔き乱した。ついでに体まで撫でて、見事にぼさぼさで膨らんだ姿の出来上がり。


『何をするっ⁉ 我の自慢の毛並みが……!』

「――あ。そろそろ工場みたい。……大きいな」


 サクラから工場の見た目は聞いていた。その言葉通りに、巨大な白い建物がバスの進行方向に見える。

 目的地が近づくにつれて、期待が高まっていった。工場がどういうところかの詳細は、行ってからのお楽しみということで、サクラは微笑み何も言わなかったのだ。隠されればより知りたくなる。


『……毛並みが戻らん。アル、ブラシ……』

「はいはい。もうすぐ着くんだから、軽くだよ」

『アルが乱したのではないか!』


 尻尾を打ち付け抗議するブランをいなしながら、アルはアイテムバッグから取り出したブラン専用のブラシでくしけずった。

 頭から尻尾の先まで、一巡でほとんどの毛並みを整えるこのブラシは、アルの自信作である。魔物の毛を使って作ってあり、もし売り物にするなら、目玉が飛び出るほどの額になるだろう。

 材料から自分で集められるのがアルの製作物の最大の利点だった。


「あ……降りないと」


 ゆっくりと停車したバスの扉が開かれる。慌てて荷物をまとめ、バスを降りた。相変わらず、運転手は影であり、何を言っているかはよく分からない。

 影に託された英知を探すというのもアルの目的なのだが、正直どうやって探せばいいか悩んでいる。サクラやニイに聞いても、どの影に託されているかは分からないようだった。

 だが、唯一の手掛かりが、この工場をヒロフミが創り上げたという情報である。


「……近くで見るとますます大きい」

『そうだな。中がどうなっているやら。サクラたちのこの地での創造力を考えると、わざわざこのような施設を創らずとも、商品を生み出すのは容易かろうに、ヒロフミは面倒なことを考えたものだ』

「それが、魔力を循環させるってことだったんじゃないの。どれだけ効果を示しているかは分からないけど」


 呆れ気味に呟くブランに肩をすくめながら、アルは工場の入り口と思しき場所に向かった。そこは時折影が出入りしているようだ。


「サクラさん曰く、工場の主である工場長は最上階にいるらしいけど」

『そいつが、英知とやらを持っている可能性が高いのか?』

「う~ん……他よりは、可能性があるかなってくらいだね」


 工場の入り口は透明なガラス戸だった。目の前に立った瞬間に開かれる。入るのに許可等はいらないらしい。

 入ってすぐは白い大理石のような床が続き、カウンターと地図のようなものがあった。


「――ここが一階のエントランス。最上階に直通の通路はないみたい。一階の施設から順に巡って階段を上るみたいだね」

『……アカツキのダンジョンみたいだな』

「下りじゃなくて、上りだけどね」

『どちらでも大して変わらん。それより、さっさと進むぞ! あっちから、旨そうな匂いがする!』


 ブランがバシバシと肩を叩いて主張してきて地味に痛い。その手を摑んで止めながら、アルは正面にある銀色の扉に向かった。

 アルにはブランが嗅ぎとったような匂いは全く感じられない。嗅覚の鋭さはさすが魔物と感嘆するべきか、食い意地が凄すぎると呆れるべきか。


「入り方は……あれ、許可証……?」

『許可証なんて持っているのか?』


 扉の脇には、わざわざアルにも読める字で【許可証を翳してください】と書かれていた。だが、そんな物をアルは持っていない。サクラから、それが必要だとも言われていなかった。


「えー……どうしよう……」

『サクラのところに戻って聞くか?』

「面倒くさいなぁ……あっ!」


 悩んだアルが視線をエントランスに一巡させて見つけたのは、【工場見学希望者はお知らせください】と書かれた看板だった。看板の脇に、小さな呼び鈴が置いてある。


「これを鳴らせばいいのかな」

『魔物が襲ってくる仕掛けかもしれんぞ』

「それこそ、アカツキさんのダンジョンじゃあるまいし……」


 揶揄混じりに注意してくるブランに苦笑して、アルは呼び鈴を鳴らした。澄んだ音がエントランスに響く。だが、何か変化が起きるということもなさそうだ。

 もう一度鳴らそうかと、呼び鈴に意識を向けたところで、不意に耳に鋭い息がかかる。ブランが息を吞んで体を強張らせたらしい。


『っ……ここの影、我は嫌いだ。気配がなさすぎる』

「――確かに。気配なく立たれるのは驚くね……」


 ブランの視線の先に、影が立っていた。アルたちとの距離は一メートルにも満たない。いつの間に現れたのか、全く気づけなかった。

 憮然と呟くブランに同意を示しながら、アルは影と向き合った。おそらくその影が呼び鈴に応えて現れた者のはずだからだ。


「こんにちは。工場見学希望なのですが……」

「ぁ……ぅ……」

「相変わらず、何を言っているか分からないなぁ。でも、中に入れてくれるらしいね」

『閉じ込められないといいな』

「怖いこと言わないでよ。それこそアカツキさんのダンジョンじゃない」


 影が何かを懐から取り出す仕草をして、銀の扉に翳した。これまで立ち入りを拒んでいたのが嘘のように、音もなく扉が開かれる。

 その奥に広がる景色を見て、アルは目を瞠った。


「……工場って、こんなに自然なところなんだ」

『わざわざ建物の中にこれを創る意味が分からん。外で良かろうに』


 影に促されるままに扉の先に進む。草で覆われた地面が、柔らかくアルたちを受け止めた。

 目の前には広大な畑が広がっている。数え切れないほどの畝には、様々な野菜が実っているようだ。遠くには果樹園も見える。


「……空まであるよ。やっぱり、アカツキさんのダンジョンみたいだと考えた方が良さそう」

『建物という概念を壊すアイデア力は凄いな。全く意味が分からんが。空が見せかけだけの、閉ざされた空間であるのは間違いない』


 青空があるのを見て、アルは目を細めた。この空がどこまで続いているかは少々気になる。鼻先を空に向けて引くつかせたブランによれば、見た目よりは狭い空間らしいが。


「……あ、こっちに来いだって」

『なんだ? 我は、野菜は食わんぞ?』


 案内役の影が、畑の傍で手招いていた。言葉でのコミュニケーションを影の方が諦めたように見える。大きな仕草で畑に実るトマトを指さした。


「採っていいの? ……あ、美味しい。甘いけど、酸味もあって、パスタソースに良さそう」

『それならトマトよりソースを出せ。パスタにして出せ』

「ブラン、要求が多いよ……」


 思ったような物が食べられないと知り、不機嫌そうなブランを撫でて宥める。

 そんなブランの気持ちを察したのか、影が畑の先の方を指さして歩き出した。何やら建物が見える。


「……建物の中に建物。入れ子構造かな」

『景色だけ見ると違和感がないんだがな。工場の外観が頭に残っているから、どうしても変に思える。……ん? いい匂いは、そっちからするようだ! さっさと行くぞ!』


 ブランが話している途中で、ふわりと吹き抜けた風に乗って匂いが届いたらしい。相変わらずアルには分からないものだったが、興奮気味な声に押されるように、アルは歩む足を速めた。

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