第203話 残しもの
――ヒロフミは影の一人に英知を残した。
そんな言葉をニイから聞いたのは、アルとサクラで作った夕食を食べている時だった。
ここ最近のアルは、午前中はブランと鍛錬、午後はサクラと研究をして過ごしている。合間に料理を作ったり、サクラにお菓子作りを教えてもらったりもしているが。
「英知?」
「はい。ヒロフミ様がこの地に敷いた、神から干渉を防ぐ結界の研究について記したもののようです」
「……それ、すごく重要な話では?」
思わず肉を切っていた手を止めて、ニイの顔を凝視した。サクラもぽかんと口を開けているところを見ると、ヒロフミが何かを残したという話は聞いていなかったらしい。
アルとサクラは、世界間転移やクインの解放法を研究しているのだ。そのどちらにも神の力が関わっている可能性があり、その干渉を妨げる結界は最優先で研究していることだった。それは、アカツキの行動制限を解除したいからという意味もある。
『……そもそも、影ってなんだ。あの街をうろつく奴らか』
「そうだと思うけど……。そういえば、あの影って何のためにいるんですか?」
スペアリブに嚙みついて汚れたブランの口元を拭ってやりながら、サクラに尋ねる。サクラは肩をすくめて軽く答えた。
「街に人影がないのは寂しいじゃない。そもそも、私たちができるだけ以前のような生活をできるようにと街を創ったんだけど、どんどん人が減ってしまったものだから……」
「ああ……二人だけでは使い切れないですよね。あの影はニイさんみたいなものですか?」
「う~ん……あれを創ったのは宏兄なのよねぇ。私はちょうどその頃、別の研究に集中していたものだから、詳しいことは知らなくて……」
なんとも曖昧な返答で、これ以上聞いても意味がないと判断したアルは、ニイに視線を戻す。
「ニイさんもご存知ないのですか?」
「影は私と同じではありません。あれらは基本的に在るだけのものです。この地の魔力の循環装置の一部ではありますが」
「魔力の循環装置?」
また初めて聞く言葉だ。アルは眉を顰めて、手元に紙を置いてメモをとり始めた。
この地に来てから新たな発見がたくさんあり、そろそろ頭の記憶容量が圧迫されている気がしてならない。大切そうなことはメモをとる習慣ができつつあった。
「外の世界では、魔の森によって世界に広がる魔力が循環され浄化されています」
「……何かで読んだような……。確か、人間や魔物が魔法などを使って魔力を放出し、それが魔の森に吸収されて、分解、新たな魔力として空気中に放たれたり魔物の創生に使われたりすることで、世界に広がる魔力の質や量を正常化しているんですよね?」
これは知識の塔にあった本に書かれていた内容だ。アルが持ち得なかった視点で考察されていて、大変興味深く思ったのを覚えている。
「はい。ですが、この地は完全に閉ざされた空間であり、外の世界のような循環がありません。基本的にサクラ様たちが新たなものを創造したり消したりすることで保たれていますが、それも常に行っていることではありません。それでは魔力が澱み、なんらかの異常が生じる可能性があると気づいたヒロフミ様が、影による循環システムを作りました」
「……もしかして、影が商品を購入したり、乗り物に乗ったりする際に魔力を支払っていたのは――」
「それ自体が魔力循環の一部です。商品を生み出す際に魔力が消費され、購入により吸収されるのです。それら全てが、ヒロフミ様やサクラ様の手を煩わせないという点において、最良な対策でした」
「なるほど……」
興味深い話だった。魔力の循環が本当に必要であるかという疑問は置いておき、必要な場合を考えて対策を練ったヒロフミのやり方は非常に上手いと思う。
『……飯を食う時くらい、面倒くさい話からは離れられんのか?』
ブランが手を伸ばして、アルの皿から肉を取り上げようとしながらぼやく。その肉が口に放り込まれる前にフォークを投げた。
『のわっ⁉ フォークを投げるな、危ないだろう!』
「ごめんごめん。なんか、肉を泥棒しようとしているのがいた気がして」
刺さったフォークごと肉を回収し、皿に載せて切り分ける。恨めしげな目が見ていても気にしない。これはアルの当然の取り分なので。
「あらまぁ、ブラン、お肉足りなかった? 私の分をあげましょうか」
『おお、お前はいい奴だ!』
サクラから切り分けられた肉を皿に載せられて、ブランの機嫌が回復した。
ちなみに、アカツキは早々に肉を横取りされて、めそめそと泣いている。そちらの皿にもサクラが肉を入れてやったのだが、まだ気づいていないようだ。ブランに再びとられる前に気づけるか、アルはこっそり注目している。
「――影か……。あの商品をどうやって作っているかも気になっていたし、そちらの方も調べてみようかな。神の干渉を防ぐ結界については、研究がちょっと手詰まりしていたし」
『明日は森で遊ばんのか……?』
アルが影への興味を高めているのを悟ったのか、ブランがにわかに落ち込んだ様子を見せた。最近一緒に遊ぶのを殊の外好んでいたようだから、本心で残念に思っているのだろう。
「う~ん……いや、鍛錬で体力維持は大切だし、朝は体を動かすって習慣は変えない方がいい。街を調べるのは午後からにする」
アルは、自分がブランに甘い部分があることを自覚している。アルの言葉を聞いて隠しきれない嬉しさを見せるブランに、肩をすくめて微笑んだ。
「――あっ、肉! あるじゃん!」
『うむ。旨そうだな。我がもらおう!』
「だめぇええっ!」
アカツキの皿に載せられていた一枚の肉を巡って、熾烈なバトルを繰り広げる二人にはため息が漏れてしまう。ブランの横取りする癖はそろそろ直させないと、アルの躾の仕方が問われる気がする。アルはブランの飼い主というわけではないのだが。
「――ブラン、あんまり横取りするようなら、明日からの食事の量は横取りした分だけ減らすからね」
『なんでだ⁉ アルは我に厳しすぎる!』
「いや、どう考えても、僕はブランに甘いと思うよ」
「私もそう思うわ」
「俺もそう思う。ブランはアルさんに甘えすぎなんですよ!」
口々に責められたブランが、しょんぼりと耳と尻尾を垂らした。全員から言われれば、流石のブランも反省するらしい。
『……明日は、たくさん飯を買ってもらおう。いや、魔力で支払うならば、わざわざアルに買ってもらわなくとも、我が買えるのではないか……? うむうむ、確か旨そうな飯や、菓子がたくさんあったはず。楽しみだな!』
反省していなかった。横取りは諦めたらしいが、新たな欲が生まれてしまったらしい。アルの手間にはならないとはいえ、この食欲を最優先するところはどうにかならないものかと頭を抱えてしまう。
『お? 頭痛か? 早めに薬を飲むのがいいらしいぞ』
「……そうだね。原因がなくならないと、常習化しちゃいそうだけど」
『それはいかんなぁ。よし、たくさん動いて血流とやらをよくするぞ。頭痛に効くらしい。根本的な体質改善というやつだな!』
「どこ情報なの?」
『アカツキだ』
「……なるほど」
いらない知識ばかり身につけるものだ。たくさん動くという提案が、ブランの願望に沿ったものだということは分かっている。
期待に満ちた目を向けるブランの頭を、アルは苦笑しながら撫でた。
そんなアルに呆れた目を向ける兄妹の視線には気づいていたが、努めて無視した。やはり、自分がブランに甘い態度をとってしまうのは、どうにも変えられそうにないと思ったので。
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