第201話 アカツキと巨大な遊具

 目の前に木造の巨大な建築物があった。アルはしきりに瞬きをし、光景の把握に努める。

 ここは管理塔の傍にある森の中だった。神からの干渉を妨げる【まじない】の効果範囲内ぎりぎりの場所で、アカツキが嬉々と動き回っている。

 傍には小屋があり、アルとブラン用、アカツキ用、サクラ用の三部屋が用意されていた。

 墓地の傍のテント暮らしは嫌だったらしい。アルも同意であるので、自分で寝る場所を確保してくれたことには礼を言いたい。


「これは一体何ですか?」

「アスレチック施設です!」


 アルは白牛狩りの後、アカツキに命じられたラビによりここに連れて来られた。

 だが、巨大な木組みの建造物を見せられても、何が何やら分からない。敵襲警戒用の櫓のようにも見えるが、所々縄の橋があったり、木を登る用の縄梯子があったり、用途不明の建物だ。


「アスレチック施設というのは体を動かすための建造物よ。……ああいう感じに動き回って体力をつける遊び場かな」


 サクラが説明するのを聞きながら、よたよたと縄梯子を上るアカツキを見る。その動きは危なっかしくて、あまりにのろいので、それで体力がつくのか疑問だし、少しも楽しそうに見えない。


『……この程度がなんの役に立つというのだ』


 ブランが呆れ顔で言ったかと思うと、勢いよく駆けていった。アカツキを馬鹿にするように、するすると縄梯子を上っていく。その際、アカツキの頭を踏みつけるところがブランらしい。

 だが、不意に上から落ちてきた物を避けるため、ブランが宙に飛び上がった。投網らしい。まさか罠があったとは予想外である。


『……危ないではないか!』

「ブラン、飛んで逃げるのは反則なんすよ~」

『そんなルール、誰が決めた!?』

「俺に決まってるっしょ? そもそも、アルさんやブランの運動神経を考えたら、普通のアスレチックじゃ楽しめないからね~。俺は初級者コースを行きますけど!」

『むむっ……ならば我は上級者コースを軽々行ってやるぞ。どう行けばいいんだ、言え! ついでに他にルールがないかも言え!』

「へいへい」


 負けず嫌いを刺激されたのか、意外なことに、ブランがやる気に満ちた雰囲気で、アカツキと話しながらアスレチック施設を移動している。やり始めたら面白いのかもしれない。


「楽しそうにしてるなぁ」

「アルさんは行かないの?」

「僕は先に料理を作っちゃいます。お腹空かせて戻って来るでしょうから」

「そうね、手伝うわ」


 肩をすくめたサクラが予想通り手を貸してくれたので、アルはほぼ白牛の解体をするだけで、いつの間にか料理がほぼ出来上がっていた。

 焚火の上には大きな鉄板が置かれ、たくさんの肉が並べられている。じゅうじゅうと脂を溶かしながら焼かれる肉からは、空腹を刺激する匂いが放たれていた。


「ソースはガーリックバター醤油、わさび醤油、デミグラスソース、柚子胡椒、岩塩を用意しているけれど、アルさんは他にいる?」

「いえ。……ワサビ。それを肉のタレに使ったんですか?」

「ええ、肉の旨味が引き立って美味しいのよ」


 ワサビショウユが気になる。ユズ胡椒は作業を見ていたから、ユズやトウガラシなどを混ぜたものだというのは分かっているし味も予想がつくが、ワサビショウユは分からない。


『良い匂いだな! 我は腹が減ったぞ!』


 いつの間にかブランがテーブルのところに来ていた。今か今かと肉の様子を窺っている。

 アルは苦笑してブラン用の塊肉を焚火の傍で回した。

 ブランが分厚い肉を食べたいと言っていたので、白牛の丸焼きを作っているのだ。こちらは焼き上がるまでまだ時間がかかりそうである。


「先にステーキを食べようね。今日はサクラさんが焼いてくれたし、珍しいタレを作ってくれたみたいだよ」

『ほう、珍しいタレか。気になるな』


 先にタレをテーブルに並べながら、未だ空席のままの一角に目を向ける。ブランと一緒に遊んでいたはずなのに、アカツキの姿が見あたらなかった。

 アスレチック施設に視線を向けるが、施設が巨大すぎて姿を探すのに難儀する。


「ブラン、アカツキさんはどこに――」

『あの木のところだ』


 ブランが言うのと同時に、アルはアカツキの姿を視界に捉えていた。

 施設の中ほどにある一本の高い木。それに梯子が掛かっていて、そこも遊ぶルートになっているのだろう。さほど上るのも難しくなさそうな場所のそこで、アカツキがゆらりと揺れていた。まさかの逆さ吊りである。


「……もしかして、ブラン、罠にかかったアカツキさんを置いてきた?」

『さらに言うなら、罠にかかるよう誘導したのも我だな。分かりやすい罠だったから利用したのだ』


 何故か胸を張るブランの頭を容赦なく叩く。

 アカツキが死ぬことはないだろうが、それにしても酷いことをするものだ。アルと違って、身体能力は高くないのだから、罠を避けられるはずがない。


『痛いぞっ!』

「ブラン、アカツキさんを回収してこないと、ご飯なしだから」

『なんということを言うのだ!? 肉の大部分を狩ってきたのは我だぞ!』

「調理したのは僕とサクラさんだよ? 生肉齧る?」

『グゥ……この旨そうな匂いを嗅ぎながら、生肉は嫌だ……』


 ブランが渋々という様子でアスレチック施設に駆けて行った。アルの横で、手の平を目の上に翳したサクラが、楽しそうにアカツキを観察している。


「あらぁ、つき兄、見事に気を失っているように見えるわねぇ……」


 怒るアルとは対照的に、サクラはのんびりとしたものだ。自身の兄が酷い目にあっていようとさほど気にした様子がない。

 サクラはアカツキに対してはだいぶズバズバとものを言うし、そういう兄妹関係なのだろう。弟妹と親しくした記憶のないアルには、あまり理解できない関係である。


「すぐ戻って来るでしょうし、ステーキをテーブルに並べちゃいましょう」

「はーい。丸焼きはさすがに時間がかかるわねぇ。ニイ、私たちが食べている間、管理よろしくね」

「かしこまりました」


 アルたちが用意を整えたところで、アカツキの首根っこをくわえたブランが戻ってきた。獲物を獲ってきたような雰囲気があり、思わず苦笑してしまう。


「げっほ……く、苦しかった……! 母猫に連れられる子猫の気分を味わった。絶対子猫はもっと快適だけど。首元の柔軟性が違う……」

『世話が焼ける奴め』

「ブランのせいだろぉ!? っ、ケホッ!」

「これでも飲んでください。ブランがごめんなさい」


 悪びれないブランの代わりに謝りながら、アルは蜂蜜入り薬湯を差し出した。喉の炎症等に効果のある薬湯だ。アカツキがそういう症状があるとは思わないが、喉の通りは良くなるだろう。


「ありがとうございます。……っ、ゴホッ……なに、これ……にっが!」

「薬湯です」


 微笑んで教えると、何とも言えない表情で見上げられた。


「その優しさがつらい……」

「つき兄、早く席について。ご飯食べるよ」

「妹が冷たい……」


 疲れ切った表情のアカツキが席につくのと同時に夕食が始まった。メニューのメインはなんと言っても、肉だ。サクラが美味しいと評価した白牛の肉の味が気になる。


「……え、柔らかい、脂が甘い!」

『おおっ!? この柔らかさはなんだ!? スーッと歯が通るぞ。むしろ歯が要らないんじゃないか? 味も脂の旨味があって旨い!』


 まずはシンプルに塩だけで食べたら、肉の甘さと柔らかさが衝撃的だった。ブランが表現した言葉は決して過言ではない。


「うまっ! 高級和牛かな!」

「ふふっ、そうでしょう! 美味しい牛肉を探すの、結構苦労したんだから。この世界、赤身が美味しい系の牛肉が多いのよね。でも、たまには和牛系を食べたいじゃない」

「桜、まじありがとうっ!」


 感激しながら大事そうに食べるアカツキを、サクラが満足げな笑みを浮かべながら眺めていた。


『ッ……毒か!? ツーンとするぞ! 鼻が、目が……!?』

「あ、それわさびよ。ソースをつけすぎたのね」

「なるほど……」


 珍しくブランがのたうち回っているのを見て、アルは慎重にワサビショウユを肉に付けた。適量なら程よく爽やかな辛みで肉の甘みが引き立ち、非常に美味しい。


『うおおおっ……鼻がぁ……目がぁ……! アル、薬くれ……!』

「はいはい」


 ポロポロと涙を零すブランに回復薬を渡す。粘膜への過剰な刺激による痛みにこれが効くかは分からないが。


「――ざまぁみやがれ、俺を罠にかけた天罰だ!」


 あくどい顔をしたアカツキがブランを鼻で笑ったのが印象的だった。

 そんなに嫌だったのか、逆さ吊り。罠自体を用意したのはアカツキのはずなのに。むしろ自業自得という感じがするのだが。

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