第200話 気分転換

「――そうか……」


 久々に会ったクインに諸々のことを話すと、困惑の表情で頷いた。存在が改変され記憶がほぼ失われている影響で、それを事実と実感できないらしい。

 だが、そっぽを向くブランを見ると、目を細めて表情を和らげた。


「言われてみれば、なにやら感じるものがある気もする」

『言われなければ何も感じないのなら、それは勘違いだ』

「ブラン、もうちょっと言い方ないの……?」


 落ち着かない様子で尻尾を揺らすブランの頭を軽く叩く。煩そうに払われたが、どこか気まずい表情をしている気がした。

 反抗期の息子ではあるまいし、ブランの態度は大人げない。だが、ブランに大人っぽさを感じたことがない気がするので、もしかしたらブランはまだ絶賛反抗期中なのかもしれない。

 そんなブランの態度に苦笑したクインは、サクラに視線を移して慕わしげに目を細めた。


「何はともあれ、友が無事だったのは良かった。これで吾はまた話し相手を得たということでいいのだろう?」

「ええ。でも、色々とすることがあるから、そう頻繁には来られないと思う。アルさんに研究を進めてもらうために、私ができることをするつもりだから」

「そうか……。うむ、吾のことについても解決法を探してくれるというのだ。それに否やはない。だが、できれば会いに来てくれると嬉しい」

「もちろんよ。私もあなたのことは友だと思っているもの」


 笑みを交わす二人を眺めながら、アルはこれからの予定を考えた。

 サクラとの会話で世界間転移とクインの解放の方法を研究することは決まっている。だが、どこから手を出すべきかが難しい。ひとまずサクラたちがこれまでに研究した内容を確認しなければならないだろう。


「そういえば、桜はクインさんに【まじない】を掛けてるんだよな?」


 サクラが用意したスマホという通信端末からアカツキの声が響く。アカツキは現在特殊な【まじない】のフィールドから離れると記憶の封が強まる可能性があるため、アルたちについて来られなかったのだ。


「【まじない】? ……あ、もしかして、私たちの呼称のこと? 魔族と呼ばれることがないようにと【まじない】は掛けているけど、さほど強くないものよ。そもそも、記憶や精神に働きかける力は魔法であっても【まじない】であっても不安定だし」

「洗脳的なことはしてないってことか?」

「してないわよ」


 アカツキの問いに、サクラが心外そうに顔を顰めた。

 その会話を聞いて、アルはこの場に漂う魔力のことを思い出す。意識すれば、その魔力にはいまだにクインを洗脳するような意思が籠められているのが感じられた。


「じゃあ、この魔力はアテナリヤがクインを拘束するために用意しているものということでいいんでしょうね」

「……この魔力?」


 確認のために問いかけたアルに、サクラが眉を寄せて不可解そうに反復した。その理由が分からず、アルは首を傾げて魔力の流れを示すように指先を揺らす。


「ええ、ここに満ちる魔力ですよ。クインをここに縛り付ける意思を感じるものです」

「……ごめんなさい、私、そういう魔力の詳しい分析はできないの。宏兄だったら分かったかもしれないけれど。でも、そうね……アルさんが言うような魔力があるなら、それは確実にアテナリヤがクインに向けて準備したものでしょうね。クインの居場所については、この空間を構築する際に結構変えたと思っていたけれど、まだアテナリヤの影響が残っていたのね……」


 サクラが視線を巡らす。

 知識の塔で、サクラたちが行った空間構築の設計図は確認したが、最初の白い空間の門以外はサクラたちによって変えられ、アテナリヤが管理していた時代のものはほとんど残っていない。それは徹底的なくらいで、サクラたちのアテナリヤへの複雑な感情が窺えた。


「もしかして、クインをここに縛ることも、アテナリヤにとっては意味があることなのか……?」

『一体何の意味があるというのだ。所詮、元は普通の聖魔狐だぞ』

「う~ん……まあ、試練を与える者という役目を重視していたのかもね。サクラさんたちがあまりに簡易な風に変えてしまうと、アテナリヤの所に簡単に到達してしまうから……ん? ここを踏破すれば、アテナリヤの所に行けるんでしたっけ?」

「行けると言われているけれど……行くの? 何が起こるか分からないわよ? 彼女は決して人のような感覚や善性を持つ者ではないから」

「……やめておきましょう」

『ああ、やめておけ。触らぬ神に祟りなしというだろう』


 ふと思い当たった事実はサクラとブランに止められた。アルも必要もないのに危ない橋を渡りたくない。


「はあ……神とか悪魔族とか……まったく、何なんだろうなぁ」


 考えることが多すぎて、アルは少々疲れてきてしまった。そこでふと気分転換することを思いつく。


「――よし、気分転換に森で遊ぼう」

『おお、いいな! 我は森を駆けたいぞ』

「え、研究は?」

「それもしますけど、休憩は大切ですよ?」

「……それはそうね。疲れていたら頭が回らないし」


 アルの提案にサクラが頷いたところで、考え込むように沈黙していたアカツキが、不意に何かを閃いたというように明るい声を上げる。


「――じゃあ、俺が、とっておきの物を作ってあげますね!」

「え……アカツキさんがそう言うと、何か怖いですね」

「何でですか!?」

「我が身を振り返れってやつよね」

「桜は俺がこれまでしたこと、あまり知らないよな!?」

「リスクを考えずに食欲に忠実に動いていたことは知ってるよ?」

「……その節は、まことに申し訳なく……」


 サクラにあっさりと言い負かされたアカツキに苦笑して、アルはクインに出かけることを告げた。

 クインは少し残念そうだが、サクラはまだ残るはずなので、二人での会話を大いに楽しんでほしい。

 アカツキが何をしようとしているかは知らないが、とりあえず森に行こう。どこが良いかと思考を巡らせていると、ブランが期待に満ちた表情をしているのに気づいた。


「どこか行きたいところがあるの?」

『うむ! 獲物を狩りに行くぞ!』

「……え? それ、気分転換になる?」

『なまった体を動かすには最適だぞ。肉だ、肉!』


 テンションを上げたブランが、変化で体を大きくしたかと思うと、アルを背中にのせて飛び出した。アルが抵抗する隙もない早業である。もしかしたら、クインの近くにいる気まずさから逃げているのかもしれない。困った相棒だ。


「アルさ~ん、準備できたら呼びに行きますから、それまで楽しんでいてくださいね~」

「獲物用の森に行くなら、ぜひ白牛はくぎゅうを獲って来て~! 美味しいお肉なのよ!」

『旨い肉だと!? 任せろ!』


 アルたちを見送りながら叫ぶアカツキとサクラに、ブランが上機嫌に答えた。美味しいお肉という言葉に惹かれているのは間違いない。アルも、白牛という初めて聞く存在には興味が湧いた。


「ブラン、美味しいお肉でステーキ食べたいね」

『いいな! うんと分厚いのがいいぞ!』

「ブランが要求する厚さだと、ほぼほぼ生肉になりそう……」


 アルは苦笑しながら頷いた。白牛がどれくらいの大きさかは知らないが、小さければ数を獲ればいい。久々の狩りが少し楽しみになってきた。



 ◇◆◇



 知識の塔の地下にある転移門を通ってやって来たのは、サクラたちが肉を得るために用意していた森だった。


 ――モォオッ!

「よいしょっと……」


 アルは、突進してきた魔物を躱しざまに斬りつける。剣に籠めた魔力が残像を残すように煌めいた。

 吹きだす血を避けて、更に別の個体が襲い来るのを一太刀で切り伏せる。


『肉祭りだ~!』

「さすがに多すぎるけどね」


 次々に襲ってくるのは白牛だった。大きさはアルの膝丈ほど。思っていた以上に小さい。だが、アルたちが見つけたのが大きな群れだったのか、疲労感を覚えるほど数が多かった。

 ブランは嬉々と腕や尻尾を振るい倒しているが、この倒した分全てを解体する苦労を考えると、アルの顔は引き攣ってしまう。調理自体はサクラも付き合ってくれそうだが、解体は魔道具を使っても時間がかかるだろう。


『派手な魔法は使うんじゃないぞ? 肉が台無しになるからな! できるだけ、頭や首を攻撃するんだ』

「ブランは食べ物のことになると、要求が細かいよねぇ」


 苦笑しながら、ブランの指示通りに白牛を倒していく。こうして剣を振るって体を動かしていると、どんどん頭がすっきりとしていく気がした。


「頭脳労働と肉体労働は、等分だとストレスが溜まりにくいって本で読んだことがあったけど、本当だったんだな。……研究を始めても、定期的に体を動かそう。というか、鍛錬もちゃんとしないとな」

『そうだぞ! うっかりぽっくりいったら洒落にならんのだから、能力を高めるのは怠ってはならんのだぞ!』


 真面目なことを言うブランに頷いて、アルは最後の一体を倒すべく駆けた。ブランの言質はとったようなものなので、今後はブラン自身も能力を高めるよう怠けず働いてもらおうと思う。

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