第199話 ブランと聖魔狐
アルが願いを受け入れて、協力すると言ったことで安心したのか、サクラとアカツキがにこやかに談笑しながらお茶を始めた。
辛い道だろうと生き続けることをサクラが決めなければこの光景は見られなかったのだと思うと、平穏なやり取りを見てアルの顔も穏やかに綻ぶ。ブランはテーブルに広げられた菓子を食べたそうに見つめていたが。
「そう言えば、サクラさんはどうして知識の塔で眠っていたのですか?」
ふと気になったことを問うと、サクラが苦笑して手を墓碑の方に向けた。
「彼らの最期の声が聞こえると言ったでしょう。私はそれに耐えられなくなって逃げることを決めた。その場所に選んだのが知識の塔。少しでもこの場所から離れたかったの。でも、先読みの乙女の言葉に従うなら、私は選ばれし子の訪れを待たなければならない。だから、【
「墓碑に刻まれているのは僕が読めない字だったのでは?」
「ちゃんと、こちらの字でも刻んであるわ」
「……そうだったのですか」
確認をほぼアカツキに任せていたアルに返す言葉はない。
アルはお茶を飲みながら、ふとブランを見つめた。確か、サクラは起きた時に聖魔狐がどうとか言っていた気がする。早口すぎてほとんど聞き逃していたが、今になって興味がそそられた。
「ブランを見て、迎えに来たのかと聞いたのは何故なのですか?」
「ああ、それは……私がここに来てからできた友の話なのだけど。アルさんたちも出会ったでしょう? 試練を行う白い狐」
「クインのことですね」
「クイン? あなたがそう名付けたの? ……可愛らしい響きね。私もそう呼ばせてもらうわ」
サクラが小さな笑みを浮かべた。そして、そのままの表情で話を続ける。
「クインは願いがあってここに来たらしいの。その時はまだ、アテナリヤがここの管理を行っていたわ。アテナリヤの意を受けたクインに会ったのは、私がここに来てすぐのことだった――」
なぜ急にクインの話をし始めたのか分からなかったが、少し嫌な予感がして、アルは黙って話に聞き入った。ブランも耳を動かし、話に集中しているようだ。
「クインの記憶は時が経つごとに朧げになっていった。もう今は、始まりの願いすら忘れてしまっているのでしょうね。私が遥か昔にクインに聞いたのは、クインが元は普通の聖魔狐で、自身の愚かな子の行いをアテナリヤに許してもらうためにここに来たのだということ」
「え……?」
『……なんだと?』
アルの手が震えた。どこかで聞いたような話だと思った。
見下ろした先で、ブランの目が見開かれている。これまでにないほど、その目が動揺を表していた。
「どうやら、クインの子は、アテナリヤの使徒とも言えるドラゴンを食べしまったみたいなの。『なんと食い意地が張った愚か者か!』って、思い出しては大激怒していたわ」
サクラが思い出したように笑う。アカツキの目が、サクラとブランの間で彷徨った。アルもなんと言っていいか分からず、ブランの頭を指先でつつく。
暫く固まっていたブランが不意にくわりと口を開けた。
『我はいつまでも母に心配されるつもりはないぞ!』
「ちょっと、母心をそんな言葉で否定しなくても……」
「母……?」
「やっぱり、そうですよね」
サクラの呆然とした目がブランを見下ろした。アカツキが納得したように頷きながら、苦笑を浮かべる。
『我はそんなことを頼んでいないっ! それにもかかわらず、急に姿を消したかと思えば、神の思惑に囚われて、こんなところにいるとは……そちらの方が愚か者ではないか!』
「ブランのお母さんは、永遠を生きることになったブランを解放したかったんだよ」
『それが愚かだと言うのだ。確かに、姿を消す前、許しを得に行くようなことを言っていたが……我は自らの行いの尻拭いをさせるつもりはなかった……』
次第に意気消沈していったブランの頭を撫でる。ブランの思いも分からないではない。
自分のせいで親に迷惑をかけていると知れば、落ち込んで当然だし、どうしてと憤るのもまた自然なことだと思った。
「……そう、あなたがクインの子だったの。ごめんなさいね、私はクインをアテナリヤから解放してあげたかったのだけど、まだその方法は見つかっていないの」
サクラが起きざまに告げた謝罪は、今になって確かな意味を持ってブランに理解された。
ブランが視線を俯ける。撫でている手から、ブランの中に渦巻く耐え難いほどの激情がアルに伝わってくるようだった。
『……サクラが謝る必要はなかろう。そもそもの始まりは我の行いなのだし、現状を選んだのは母だ。その行動の責を負うべきは我々自身だ』
「ブラン……。そうだ、途中まで研究した資料があるのよ、それを使ってどうにかならないかしら!?」
沈んだ様子のブランに耐えかねたのか、サクラがわざとらしく声を明るくしてアルを見つめてきた。そのサクラの言葉を聞いて、アルは即決する。
「やりましょう。ぜひ見せてください」
「もちろんよ。ニイ、よろしくね」
ブランがポカンと口を開けてアルを見上げる。その間抜けな表情に、アルは吹き出して笑った。
「なんて顔をしているの。そんなにおかしなことは言っていないでしょ? 僕にできることがあるならするだけだ。神がどんな力で聖魔狐の存在を改変させたのかも気になるしね」
『アル…………恩に着る。我は、母を解放してやりたい。永遠を生きるなんぞ、我にとっては既にどうということもないのだ。神に許しを得る必要はない』
珍しく殊勝な物言いだった。それだけ、ブランもクインの現状に責任を感じているということだろう。
「――しかし、ブランが母親に気づけないほど存在が改変されているとなると、それを戻すのは骨が折れそうだなぁ」
『……だが、アルならばできるぞ。我はアルが素晴らしい魔法使いだと知っている』
「こんな時ばかり褒めるんだから。調子にのせたところで、研究が捗るわけじゃないよ?」
あまりに真剣な声で言われるので、照れ隠しにブランの頭を軽く叩いた。
「それにしても、クインさん、今何してますかね? 友が来なくて寂しいみたいに言っていましたが……」
「ああ、そうですね。サクラさん、せっかく起きたのですからクインに会いに行っては? ブランも話した方がいいんじゃない?」
「そうね。いますぐ行きましょう」
『……我は行かん』
立ち上がったサクラが手を伸ばすのを避けるように、ブランがアルの膝に蹲って顔を隠した。アルは半眼でその姿を見下ろす。
「ブラン、ここでいじけなくても……」
『いじけているのではないっ! ……いったい、どういう顔で会えばいいというのだ……』
「ん~……普通に再会を喜べばいいんじゃない? 自分が、クインが助けたいと願った子なんだって言ってさ」
『そんなこと言えるわけなかろうっ!』
ブランが吠えるように顔を上げて叫んだ。頭が痺れるようなうるささだ。
「ああ、そういえば、クインには転移箱を渡しておいたけど――」
連絡手段を思い出し、アイテムバッグを探ったアルは、クインから手紙が届いていることに気づいた。
「……問題は起きていないかって、僕も心配されているみたい。これは、挨拶に行かないといけないね。あなたの子と一緒に旅をしているアルですって」
『いらんことを言うな!』
尻尾が襲ってくるのを慌てて避けた。ブランは照れくさいのを通り越して、怒っているようだ。
「なんか、娘さんをくださいって親に言いに行く彼氏みたい」
「あら、そういう関係だったの? 種族を超える愛……薄い本が出来上がりそう!」
「……まだ、その趣味は冷めてなかったんだ」
「つき兄は、余計なことだけは思い出すのが早いのね」
アルはブランの攻撃を避けるのに必死過ぎて、二人の会話を聞き逃した。ブランはもうちょっと手加減するべきである。
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