第197話 解放された者たち
「魔法が使えなかったのは、私たちがこの世界の生まれじゃなかったから。何というのかしら……魂の在り方の違い? あるいは、そもそもの体の構成が違ったからかな。この世界では万物が魔力を孕んで存在していて、そもそも魔力を持たない者は存在しないけれど、私たちの世界にはそもそも魔力が存在していなかったし」
サクラの説明に聞き入る。どうしても異世界という現象は理解がしがたいのだが、魔力が存在しない世界というのは完全に理解の範疇を超えていた。アルにとって、魔力は空気と同じように普遍的に存在するものなのだ。
「――魔法を使えないサクラさんたちが【
「私も詳しいところは理解できないのよ。【
「感情が魔力を操作し、現象を生み出す? ……そんなまさか」
信じられない気持ちがいっぱいで、つい否定的な言葉を吐いてしまう。サクラが肩をすくめて受け流してくれたからいいものの、一歩間違えれば機嫌を損ねる可能性があった。
「宏兄の書いた本が管理塔にあるわよ。アルさんが理解できるか分からないけど、読んでみたら?」
「……ぜひ、読ませてください」
「ニイ、用意しておいて」
「かしこまりました」
サクラの言う通り、【
「アルさんって、宏兄に似ている気がする」
「え……?」
「あ、やっぱり? なんか、こういう感じ馴染みがあるなぁって思ってたんだよ!」
サクラの言葉にアカツキが腑に落ちたと言いたげに顔を輝かせる。どういった部分が似ているかは、直前の会話の雰囲気でなんとなく悟ったが、それが良い意味なのか分からない。
『アルの知りたがりで、魔法や魔道具に向ける愛過剰の傾向が似ているだと……。我はそのヒロフミという奴には会いたくない』
「暗に僕のこと貶してるよね?」
『なんのことだ? 我は正確にアルを分析したにすぎないぞ』
目を眇めるアルに、ブランが悪びれなく宣う。確かに間違ってはいないかもしれないが、言い方というものがあると思う。
「まあまあ、喧嘩しないでくださいっすよ。いや、この場合、喧嘩するほど仲が良い?」
「夫婦喧嘩は犬も食わぬというし、放っておいた方が良いんじゃない?」
「夫婦じゃありません!」
『我は犬ではないから、喧嘩を食うかもしれんぞ?』
「それ、どういう意味? 明らかにサクラさんの言葉の趣旨からかけ離れているよね?」
『犬は食わず嫌いだと思っただけだ』
「本当に意味が分からないんだけど……」
ブランの頓狂な発言に、怒る気が失せてしまった。話を進めるためには、それがいいのだが、なんとなく消化不良感がある。
「【
アルとブランのやり取りに笑いながら、サクラが話を戻す。アルも頭を切り替えて、サクラに質問する内容を考えた。巡らせた視界に墓碑が映る。
「……初めの頃に質問した気がしますが、あの墓碑はどういうことなのですか? サクラさんたちは死を奪われたのですよね?」
「ああ……そのことね……」
サクラの顔が一気に曇った。やはりこの話はサクラにとってもつらいものであるらしい。
アカツキが気遣うように様子を窺っていたが、話を遮ろうとはしなかった。そのことが気になっているのはアルだけではないのだ。むしろ、同郷という点から、アカツキの方が気になっているかもしれない。
「私たちは死を奪われたのは確かよ。多すぎる魔力のせいで、永遠に生きることに狂った同胞もいた。私たちはこの地に逃げてきたけれど、一部の者は魔力自体に恨みを抱いてしまった。イービルの支配から解放されても、積極的に世界の崩壊を望むようになってしまったのね。世界がなくなれば、魔力というものから解放されると思ったのかしら」
「……悪魔族?」
サクラの話に思い当たる存在があった。呟いた言葉を、サクラが顔を顰めながら肯定する。
「彼らは魔力を憎み、世界を恨んだ。救い出してくれない神さえも。諸悪の根源なのはイービルだけど、世界を崩壊させればイービルが無事で済まないのも分かりきったこと。全ての恨みを晴らすのに、世界の崩壊を目的とするのは都合が良かったのね」
「悪魔族は現在も世界で暗躍していると聞いていますが……」
ドラグーン大公国で得た情報を躊躇いがちに伝える。サクラがどのくらい外の情報を把握しているかは分からないが、同胞の現状を隠すのは不誠実だと思った。
「そうらしいわね。私だって憎くないとは言い切れないけど、少なくとも無関係な命を巻き込んだ自殺願望はない」
「……それは良かった」
アルは心からホッとして表情を緩めた。サクラたちが保有する【
「……離反して破壊活動を続ける彼らを憂いたのは、アテナリヤも同じだった。創世神たる彼女がそう思うのは当然よね。アテナリヤは私たちに、自分たちで身内の不始末をつけるよう告げた」
「アテナリヤが言いたいことは分かりますが、なんとも神らしい傲慢さが窺えますね……」
告げられた時のサクラたちの心情を思いやって、ついアテナリヤへの悪態が漏れた。サクラが「本当にそうよね……」と何度も頷く。
「でも、それはある意味で、私たちにとって救いでもあったのよ」
「救い? 一体どうして……」
「この場合の不始末をつけるってどういうことだと思う?」
救いと言いながらも苦みの走る表情をしていた。サクラの複雑な感情が何を指すのか読み取れない。それでも、不始末のつけ方について考えたアルは、そもそもの話の始まりを思い出した。
視線が墓碑に向く。無数に並べられたその数だけ、死した者がいるのだ。
「――彼らを殺す?」
「……ええ、その通り」
サクラの眼差しも、アルと同じ方を向いた。アカツキが息を呑む音が聞こえる。この話は、サクラに近い者ほど衝撃を受けるだろう。
「アテナリヤは一振りの剣を私たちに齎した。それは心臓を刺された者から瞬時に魔力を奪い、死に至らしめる剣よ。対象はこの世界の理から外れた者」
「……サクラさんたちは、それを使った。相手は悪魔族だけではありませんね?」
アルはサクラをジッと見つめた。その顔に浮かぶ痛みを訴える表情に、なんと言葉を掛けるべきか分からず、ただ事実の確認をするしかなかった。
死を奪われたことを悲しみ、憎み、狂いそうになっていたのは悪魔族だけではない。世界を崩壊させることを望まず、この地に隠遁することを選んだ者たちも、死を望み続けていただろう。……普通の人間の感覚を持つ者なら、永遠を生きるなんて、絶対に辛いことだ。
「――ええ。私は望む者に剣を突き立てた。起きていると、今でも最期の声が耳の奥で響く。彼らは安堵したのか。痛みに苦しんだのか。それとも――私を恨んだかしら」
「桜が、したのか……? なんで、桜がしなきゃいけなかったんだっ!?」
まるでサクラだけが罪を背負ったのだと言うような話しぶりに、驚いたのはアルだけではなかった。血の気の引いた顔で、アカツキがサクラの肩に縋り付き、泣くような震える声で問い質した。
「っ、私だけじゃない、宏兄もしたっ! 生き続けることを望んだのは、私たち二人だけだったからっ!」
「桜……!」
俯くサクラをアカツキが力強く抱きしめた。言葉にできない思いが、その抱擁に籠められているようだった。
「――生きることを選んでくれてありがとう。みんなを解放するために、桜、頑張ったんだなっ……。きっと、みんな喜んだよっ! この世界から、解放されたがっていたんだから、桜を恨むわけないだろっ! ……っ、だから、自分を責めるなっ……」
「……ふ、っ……ぅ……」
押し殺した泣き声が重なった。
アルは二人から目を逸らし、ブランに視線を向ける。白く柔らかな尻尾が頬を撫でた。
『……ふむ。泣き疲れた後には、蜂蜜を溶かした薬草茶がいいらしいぞ?』
「……そうだね。準備しておこう」
仲間を弑した気持ちなんて分からないし、そんな状況はあってほしくない。
アルはブランを抱きしめて、その温もりを確かめる。
この温もりが失われるようなことがあったならと思っただけで、心が引き裂かれそうだった。
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