第196話 サクラたちの体質

 朝食の後、仮眠をとっていたアルは、頬を擽る柔らかい感触で目が覚めた。


「……っ……何をしてるの?」

『寝てるな、と思って見ていただけだ』


 目を開けた瞬間にブランの顔が間近にあって、心臓が跳ねた。寝起きに驚かすのはやめてほしい。

 尻尾を揺らしながら離れていく後ろ姿を恨めしげに睨む。ブランはアルの視線を一切気にせず、軽快な足取りでテントを出ていった。

 その際にアイテムバッグを咥えて行ったので、食べ物を探しにテントに入ってきていたらしい。それでなぜ顔を覗き込んでいたのかは分からないが。


「……はあ。もう昼か」


 ブランが開けていった入り口から、眩しい光が差し込んでいた。アカツキがごそごそと動く気配を近くで感じながら、軽く身支度を整える。

 ブランから数分遅れて外に出ると、そこにはブラン一人。サクラやニイはどこにいるのかと視線を巡らせて、首を傾げた。


「ブラン、サクラさんたちは?」

『んむ? ……管理塔だ。システムとやらの異常がないか確認しに行ったらしい。昼には戻ると言っていたから、もうすぐじゃないか?』


 ベーコンの塊を齧りながらブランが答えた。呆れを籠めた目で、その食いしん坊な姿を見つめる。


「ベーコンを勝手に食べるのはいいけど、丸齧りはさすがに塩分の摂りすぎじゃない?」

『アル特製の燻製だから、そこまで塩っぽくないぞ』

「そういう問題じゃないからね?」


 何故か得意げな顔で主張するブランにため息をつきながら、昼食の準備を始めた。

 サクラたちが昼に帰ってくるならば、すぐに食べられるようにしておきたい。アカツキもそろそろ起きるだろうし、何を作ろうか。

 視界に入ったのは、ブランの口の端で揺れる、残り少なくなったベーコンだった。


「……そういえば、乾麺をコンビニで買ったんだった」


 久しぶりにパスタを食べようと、乾麺を人数分取り出す。

 ソースはミルクとチーズに胡椒を効かせて。今日は贅沢に卵も使う。具材はベーコンの細切りとブロッコリー。

 それだけでは野菜が少ない気がしたので、サラダとオニオンスープも用意した。


『デザートはなんだ?』

「ブラン、最近甘い物食べ過ぎじゃない……?」


 近づいてきたブランの脇腹を掴む。もにもにと柔らかな肉を揉むと、ブランが顔を顰めた。


『やめんか! これは冬に向けて蓄えているだけだ!』

「……太ったのは事実なんだ?」

『む? ……いや、太ってなんぞ、おらん!』


 否定しているが、ブラン自身も気になったらしく、座り込んで腹回りを確かめていた。発言に説得力がない。


「今回はデザート無しだね」

『……うぐぐ、仕方あるまい……』


 不服そうに呟きながら、耳と尻尾を垂らすブランに、アルは吹き出して笑いそうになるのを堪えた。

 たかが一食にデザートが付かないだけなのに、あまりに哀れな落ち込みようである。それに、昼食の後は再びサクラに話をお願いする予定なので、その時に菓子は用意するつもりだった。


「あら! もう昼ご飯の準備をしていたの? 私の腕前を披露しようと思っていたのに」

「お帰りなさい、サクラさん。勝手に準備を進めてしまいました」


 駆け寄ってくるサクラに言葉を返しながら苦笑する。対抗意識が伝わってくる口調に、サクラが料理勝負を諦めていないのを感じ取ったからだ。


「――ふああ……おはよう、桜。アルさんも、起きて早々、活動が早いっすね……」

「つき兄、おじさんみたい」

「グサッ! 兄の心に痛恨の一撃……!」


 寝癖付き放題の頭のまま、お腹を搔きながらテントから出てきたアカツキが、サクラの冷たい眼差しに貫かれて撃沈した。

 置いたままだったベンチに倒れ伏す姿に苦笑しながら、アルはパスタの仕上げに取り掛かる。


『肉が少ないが、なかなか旨そうな匂いだ』

「よだれを垂らさないでよ?」

『ジュルッ……うむ……』


 盛り付け段階で近づいてきたブランを牽制する。明らかによだれをすする音がしたのは、気づかない振りをした。


「チーズクリームパスタです。どうぞ」

「ふあっ……さすがアルさん! 美味しそう!」

「ぐうっ……これまた美味しそうな物を用意したわね……」

『むむ、麺は食べにくいな。だが、旨いぞ! ベーコンの旨味がソースに溶け込んでいる。卵やミルク、チーズのまろやかさを引き締める、胡椒のスパイシーさが良い塩梅だ!』


 素直に喜ぶアカツキと、悔しげなサクラの反応を流しながら、ブランを凝視する。やけに今日は感想が細かい気がした。ブランは何やら重々しく頷きながら食べているようだ。


「……なんかいつもと様子が違うね?」

『うむ。料理勝負の前に、審査員としての能力を高めようと思ってな!』

「いや、そんな勝負をするつもりはないって言ったよね?」


 まさかの発言をするブランを半眼で見据える。ブランは乗り気のようだが、アルは料理人ではないし、菓子専門だとしても調理の腕を磨いて働いていたサクラに挑む気は全くない。


『楽しいと思うんだがなぁ』

「しません」

「ふあ! お、い、しー!」

「……美味しい。本当に美味しい。これで料理人じゃないって、卑怯じゃない? 普通に店出せるでしょ……。このパスタなら、ランチ価格で千五百円、いや二千円? どこに店を出すかにもよるわね……」


 二人も喜んでくれたようで何よりである。

 サクラが言っていることは聞かない振りをして、アルは周囲にソースを飛び散らせるブランの補助に勤しんだ。久しぶり過ぎて、麺類を出すときは注意が必要なことを忘れていた。



 食事が終わればサクラの話の続きだ。アルがお茶を用意するのに先んじて、ニイが動いてくれたから準備は万端。緑茶とお茶請けのワ菓子各種がテーブルを埋め尽くす。


「ブラン、お菓子は三個まで」

『なんでだ!?』

「太るよ?」

『……うぅ』


 葛藤に溢れた呻き声だった。だが、アルの言葉を無視するつもりはないらしく、大きなサイズの菓子ばかりを三つ選んで手元に引き寄せている。大きさの指定はしなかったが、その選択では意味がない気がする。


「それで、後は何を話せばいいんだったかしら?」

「ええっと……【まじない】について、より詳しくお願いしてもいいですか?」


 何から聞くべきか迷いつつ、一番理解が及んでいないもの、かつ興味がそそられるものをサクラに尋ねた。魔法とは違う理論で成り立っている技術だ。魔法技術を極めたいアルが知って損はないだろう。


「【まじない】ね……。私もそこまで詳しいわけじゃないんだけど。まずは【まじない】の成り立ちから――」


 サクラが話し出したのは、【まじない】が生まれた経緯だった。

 突然異世界に連れて来られて、イービルの支配から逃れるために生み出したことは夜に聞いた通り。その【まじない】を作ったのは、元の世界で呪術師の家系だったヒロフミという人物らしい。


「宏兄は……あ、兄って呼んでいるけど血のつながりはないの。つき兄と同い年の幼馴染なだけで」

「サクラさんはアカツキさんと二人兄妹ということですか」

「ええ。私たちは久しぶりに三人で集まった時にこちらの世界に連れて来られて、最初から一緒にいたの。魔族と称されて、イービルの指示に従っている間も、結構三人で行動することが多かった。イービルは何故かつき兄に意識を向けることが多くて、つき兄を隠れ蓑に宏兄がこっそり【まじない】を生み出した」


 思い出すように遠い目をしながら、サクラが訥々と語る。その横でアカツキが神妙な表情で聞き入っていた。記憶の封が緩んでいるから、サクラの話を聞いてヒロフミという人物のことも思い出したのかもしれない。


「イービルから指示を受けていた時、私たちは貸与された【神具しんぐ】という物を使って行動していたの。私たちは何故かそのままの状態では魔法を使えない体質だったから」

「え……? 魔法を使えなかった? それだけの魔力を持ちながら?」


 予想外の言葉に驚き、思わず聞き返してしまった。サクラが苦々しげな表情で頷く。


「だからこそ、宏兄が【まじない】を生み出すまで、私たちはイービルに逆らうことができなかった」


 手足のように魔法を使いこなすアルからしたら、サクラたちの状況は想像もできないものだった。この世界にも魔力を持ちながらも魔法が苦手という者は多数いるが、全く使えないという話は聞いたことがない。

 【まじない】にも、サクラたちの体質にも俄然興味が湧いた。自然と関心の高さが溢れていたのか、サクラが苦笑する。


「そんなに楽しい話じゃないのよ?」

「あ、すみません……」


 サクラたちにとっては苦しんだ過去なのだから、期待に満ちた目を向けるのはさすがに人として駄目だった。

 自省して姿勢を正すと、サクラが肩をすくめて話の続きを始める。ブランからの呆れた眼差しが突き刺さり、心が痛い。こういうところは直さないといけないと胸に刻んだ。

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