第193話 神と神

「はぁ……粗忽者なつき兄はとりあえず放置で――」

「妹が冷たい……」


 泣き真似をするアカツキを流して、漸くサクラの説明が始まった。遠い過去を思い出す表情で焚火を見つめている。

 思えば、アカツキは遥か昔からダンジョンで一人きりだった筈だ。その妹であるサクラも、同じように長い時を生きてきたのだろうか。この地は時間の感覚が狂っているらしいから、アカツキとは感じ方が違ったかもしれないが。


「私たちが違う世界から来たというのは聞いているのよね?」

「ええ。来たというか、いつの間にかダンジョンにいたという表現ではありますが」

「ダンジョン……まあ、それで間違っていないかもしれないけれど」


 どうやらダンジョンというのも微妙に違うらしい。複雑な表情を浮かべたサクラが肩をすくめた。


「私たちが元々いたのは、この地にあるビル群みたいな場所。管理塔の入り口は、私たちの実家を模して作ったの。実家は凄く田舎にあったのよ」

「あっ、だから見覚えがある気がしたんだ……」


 表情を変えたアカツキをちらりと見たサクラは、何もコメントすることなく話を続けた。


「私はパティシエ……お菓子作り専門の料理人をしていて、つき兄はサラリーマン。普通に働いて暮らしていたんだけど」


 サクラが不意に視線を上げ、宙を睨んだ。その目に宿る暗く重い恨みに、アルは言葉を失う。


「――あいつが全てを奪った。私たちは日常を奪われ、この世界に連れて来られた」

「あいつ……?」

「ええ、憎くてたまらない存在。私の本を読んだなら知っているかしら」


 静かな眼差しが刺した。アルはアカツキと顔を見合わせ、恐る恐る口を開く。


「神、ですか?」

「そうね。実際に神と呼称すべきか分からないけれど、存在としては近いんじゃないかな? 限りなく邪神に近いと思うけれど」

「邪神……。ちなみに現在広く信奉されている神の名はイービルというのですが、同じ存在ですか?」

「イービル……そんな名を名乗っていたわね」


 サクラは軽く頷いたが、アルにとっては驚きの事実である。元々イービル神の信仰についてはアルも良い感情を抱いていなかったが、サクラの話を信用するならその感覚は間違っていなかったということか。

 神という存在に思いを馳せるアルの横で、白い尻尾が揺れた。つられて視線を下げると、ブランが不思議そうに首を傾げている。


『イービル? 創造神の名はそんなものじゃなかったはずだぞ?』

「え? どういうこと?」

『うむ。我が創造神に出会ったのは一度だけだが、確か……アテナリヤという名だったはずだ』

「ということは……現在信奉されている神は、創造神じゃなかったのか」


 これまでブランと神について深く話したことがなかったから、認識の食い違いに気づかなかった。


「リアム様たちが言う神ってどっちだろう?」

『アテナリヤだろう。ドラゴンも精霊も、創造神に仕える者なのだから、それ以外を神とは呼ばん。そもそも、神が複数いるというのがおかしな話だが……』


 ブランもイービル神が理解できないようで、不審そうに目を眇めていた。サクラに視線を向けると、苦笑を返される。


「私たちの文化では神は複数いるものだけど、この世界がそうじゃないことは知っているわ。創造神こそが神。イービルは神に近い者と考えてほしいわね」

「分かりました」

「話を続けるけれど――私たちがこの世界に来たのは遥か昔のことよ。世界ができたばかりというか、ほとんど空虚な大地が広がっているだけの状態の頃」

「それは……創世の頃ということですか」


 アルは目を見開いてサクラを凝視した。魔族という単語とドラグーン大公国で得た情報から少し予想はしていたが、言葉にされても現実味が薄い。同じ人間に見えるサクラが、そんな昔から生きていたなんて思えなかった。


「私たちはこの世界に呼ばれた時から、身の内に莫大な魔力を受け入れることになった。あなたは知っているかしら? 魔力って尋常じゃないエネルギーなの。人体の維持に使われて、老化も無ければ死にもしない。――私たちは死さえ奪われた」


 言葉を失う。死を奪われたという言葉が重く響いた。

 だが、ふと視界に影を作る物を見て、疑問が湧く。この状況で尋ねるのは気が引けるが、どうしても知りたい衝動が抑えられなかった。


「でも、この地はあなたと同じ境遇の方々が眠る場所なのですよね?」


 無数に存在する墓碑は、その数の分だけ命が失われたことを示す。サクラの言葉と矛盾している気がした。


「……ええ、そう」


 躊躇いがちに視線を動かしたサクラが、闇に沈む墓地を見渡してから目を逸らす。再び焚火に戻された目は、沈痛の色が濃かった。


「それにも理由があるけれど。ややこしくなるから順に話すわ」

「はい、お願いします」


 サクラが話したいように話せばいい。サクラの様子を窺って顔を曇らせるアカツキを横目に見ながら、話を促した。


「この世界がなんなのかは、正直私も分からない。突然連れて来られただけだから。だけど、イービルは言ったの。――この世界を破壊するのが、お前たち魔族の役目だ、って」

「破壊する!?」

『なんということを言うのだ……。そんなもの、創造神が許す訳が……ん?』


 ブランが何かが引っ掛かった様子で首を傾げる。


「ええ。許す訳がない。でも、私たちはイービルに逆らえなかった。なんなのかしら。私たちの意思に反して、言われるがまま動いてしまったの。操られていたのでしょうね」

「それは辛いことでしたね……」


 創世記に出てきた魔族の話を考えれば、サクラの言葉は理解ができた。魔族は悪者として書かれていたが、それすらイービルの思惑の内だったのだろう。


「この世界に来たのは、本当にたくさんの人だった。そして、その中からリーダーが決められた。――そこでアホ面してるつき兄よ」

「……ええっ!?」

「は? ……なんとも似つかわしくない気がするのですが」

『イービルとやらは見る目がないんじゃないか?』


 突然話を振られて驚き体を跳び上がらせたアカツキを見て、納得できない思いを抱く。世界の悪として存在するように定められた集団のリーダー像とアカツキがまるで一致しなかった。

 それはサクラも同じ思いなのか、苦笑して疲労の籠ったため息をつく。


「つき兄は驚くほど運がないのよ。元の世界でも、あっさりとブラックな会社に入っちゃって、こっちはいつ過労死されるか気が気じゃなかったし……」

「なんか、ごめん……?」

「……はあああ……」


 大きなため息が、サクラの心労を物語っていた。アルはなんとも言えず苦笑する。


「――イービルに言われてやった色々なことは胸糞悪くなるから割愛するわ」

「まあ、それは、お好きにどうぞ……?」


 正直、遥か昔の悪行を語られたところで、アルはどうすることもできないし、いまいち興味も湧かない。ブランもどうでもよさそうに頷いた。


「ずっと操られて動いていたけど、意思はあったの。だから、同郷の中にいた、呪術師の血統の人が、その呪縛から逃れる方法を編み出した。それが【まじない】の始まり」

「上手くいったんですね?」


 現状を考えれば当然とも思うが、確信はない。喜ばしいことに、返ってきたのは肯定だった。


「ええ。私たちはイービルの影響下から逃れた。とはいえ、神とも言える能力を持つ相手よ。いつまでも逃げられるとは到底思えなかった。そんな時に私たちに救いの手を差し伸べたのが……あなたたちも知る、本来の神よ」

「創造神アテナリヤですか?」

『……あれが、そんなことをする性質か? 世界の破壊活動をしていたなら、その当時、お前たちは創造神と敵対していたのだろう?』


 ブランが不審そうに呟く。アルもそれは疑問に思っていた。


「アテナリヤが何を考えているかなんて私には分からない。でも、北に逃げてきた私たちを、この地に迎え入れたのは彼女よ」

「この地って――ここを最初に生み出したのは創造神で間違いはないのですね」

「ええ。代わりにここの管理を任されることになったし、代償はあったけど……」

「代償ですか?」


 言葉と共にサクラの視線が向けられたのはアカツキだった。きょとんと目を見開いたアカツキが、不思議そうに自身を指さして首を傾げる。

 その様を見てため息をついたサクラが言葉を続けた。


「ええ。魔族のリーダーたる魔王は、世界を崩壊させようとした責を負うべし。……永遠の牢獄に囚われよ、と」

「永遠の牢獄……」


 その言葉に、アカツキの長すぎる孤独が重なった。

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