第191話 再会のとき
「――というわけで、僕たちはあなたを目覚めさせることができたのです」
その言葉で話を締めくくる。渇いた口を潤すため、自分用のカップを手に取りながら、アルは正面に座るサクラを見つめた。
「そう……そんなことが……」
言葉少なに呟いたサクラが、カップに添えた手に僅かに力を込めた。その表情は無に近いが、目に激しい感情が渦巻いているように見える。
アルの話の何がそれ程までにサクラの感情を煽ったのか。アカツキが一人きりで長い時を過ごしてきたことだろうか。それとも、記憶が封じられていることだろうか。
サクラのことをほとんど知らないアルが、彼女の感情を正確に推し量ることは難しい。今は黙ってサクラが話し出すのを待つ他なかった。
『うむ。旨かった』
「一人で食事するのに気が咎めないブランって、ある意味感心する」
『む? 褒めているのか?』
「分かっていて言っているよね?」
アイテムバッグから勝手に取り出した食事を平らげ、満足そうに腹を擦ったブランを軽く睨んだ。ブランとの会話で少し場が和むとはいえ、惚けたことを言われると呆れてしまう。
「……ふふっ、あなたたち、仲が良いのね」
「え、今の会話でどうしてそう思われたんですか……?」
『ふふん、我らの仲に嫉妬したか?』
「そんなわけないでしょ」
『痛いな』
柔らかく目を細めたサクラに、心底不思議に思って尋ねると微笑みで躱されてしまった。何故か誇らしげに胸を張るブランの頭を軽く
だが、このやり取りでサクラの気持ちが落ち着いたようなので、ブランの偉そうな態度も今回ばかりはよしとしよう。
「それで、今度はサクラさんの話も聞かせてもらえますか?」
「そうね……長い話になるけれど……。この地につき兄が来ているなら、一緒に話した方がいいと思うわ。だから、これから行きましょう」
「そうですね。……もう、だいぶ暗くなりましたけど」
部屋の窓からは暗闇しか見えない。あの灰色の街とは違い、こちら側には人工的な明かりのみならず、月明かりすらも存在していなかった。
サクラも視線を外に向け、僅かに目を翳らせる。
「そうね。でも、明るい中であの光景を直視するよりも、私にとっては幸いな状況だと思う」
「幸いな状況……?」
「つき兄の呪縛を完全に解く方法は分からないから、私が出向くしかないのよね。さあ、行きましょう!」
アルの疑問はサクラの決意を籠めた声により搔き消された。勢いよく立ち上がるサクラにつられて動きながら苦笑する。
アカツキの元に戻ると決めたのはいいのだが、ここで一つ問題がある。アルはブランに乗ることでここまで短時間で来ることができたが、アカツキの元まで戻るにしても、サクラを乗せることをブランが許容するだろうか。
視線を下に向けると、ブランの目とぶつかり逸らされる。アルの考えは当たっていたらしい。無言で拒否されて苦笑する。とはいえ、他の手段がないわけではない。実はテントを設置した際に転移の印を置いておいたのだ。コンペイトウを使えば、問題なく転移できるはずである。
「では、転移を――」
「あら、あなた、この地で転移ができるの?」
不思議そうに首を傾げたサクラに、アイテムバッグからコンペイトウを取り出して示す。サクラが納得したように頷きながら、コンペイトウを取り上げて懐かしそうに眺めた。
「これは、宏兄が作った
「呪具?」
「そう、この世界風に言えば、魔道具とか魔法薬とか、そんな感じの物。だいぶ昔に作った物のはずだけど、よく使えたわね。ドラゴンったら、時間停止機能付きの魔法バッグにでも入れていたのかしら。宏兄とあの偏屈屋は仲が良かったから、大事に保管していたのかも。あなたにあげるなんて、相当気に入られているのね」
「偏屈屋というのは、リアム様のことですか」
「そう。……ある意味、私たちの同志でもあるけれど、立ち位置が違うのよね」
「……サクラさんの言葉は分からないことばかりです」
サクラが話す度に疑問が溢れ、終わりが見えない。早くアカツキの元に戻るべきだとは分かっているが、詳しい話をねだりたいところだ。
だが、待ちぼうけをくらっているアカツキを放置するわけにはいかず、加えてサクラとアカツキの再会を先延ばしにさせるのも忍びない。
ため息一つで会話を打ち切ったアルに、サクラが楽しげに笑みを零した。
「あなたとは気が合いそう。――それじゃあ、行きましょう。でも、それは仕舞っておいて」
「え……? コンペイトウを使わないのですか?」
言葉と共に返されたコンペイトウを握り、首を傾げると、サクラが茶目っ気のある笑みを浮かべて指を立てる。
「あなたが興味を抱きそうなものを見せてあげるわ。私たちの長年の努力の結晶よ。魔法になんて負けないんだから」
「……もしかして、【
アルの目が期待で輝いていたのを見て取ったサクラが、更に誇らしげに口角を上げる。頭上で交わされる会話を、毛繕いをしながら聞いていたブランも、ようやく興味を惹かれたように顔を上げた。
『ほう。転移の魔法ではなく、【
「ええ。用意はいい? ――では……【転移】!」
宙に円を描くように指を動かしたサクラがキーワードを呟くと同時に、アルの視界は闇に包まれた。上下も左右もない空間に一瞬混乱したが、瞬きほどの時間で景色が切り替わる。
柔らかい草を踏みしめる感覚。花の放つ芳香。不思議な魔力の流れ。
一気に押し寄せてくる情報を処理しながら周囲を見渡すと、少し離れたところで、啞然とした表情のアカツキが立っていた。
『……魔法の転移とは違うな』
「うん。魔法の転移が離れた点と点を重ねる感じで、【
『うぅむ……我も理屈は分からんが、一歩間違えれば異空間の藻屑になって消えていた気がするぞ』
「え……?」
渋い表情のブランを呆然と見下ろした。アルはブランほどの危機感は抱いていなかったのだが、魔物としての本能は無視できない。恐らく、ブランの言葉は正しいのだろう。
アルの分析を楽しげに聞いていたサクラが、人の悪い笑みを向けてきたので一歩退いた。詳しい解説を聞きたいところだが……それよりも今は重視すべきことがある。
「――桜?」
「……つき兄」
恐る恐ると確かめるように放たれた声が空気を震わせた。返すサクラの声もまた、溢れるほどの感情で揺れる。
サクラの表情が余裕を失い、あっという間に目が潤み、決壊を迎えた。ほろほろと頬を流れ落ちる涙が、明かりに照らされて光る。
ゆっくりと踏み出されたサクラの足は、次第に速度を増し、一目散にアカツキに向かった。反射的に広げられたアカツキの腕の中、ぶつかるように胸に飛び込んだサクラから、押し殺した泣き声が漏れる。
アカツキが存在を確かめるように力強くサクラを搔き抱いた。
「桜っ……ごめんっ、にいちゃん、ずっと桜のこと忘れてたっ!」
「いいのっ、それは仕方ないことだったって分かってるっ! だから……会えてよかったっ……」
涙に濡れた声がぶつかり合うのを、アルは離れたところから見ていた。
ふわりと柔らかいものが脚を撫でたのに気づき視線を下げると、ブランと目が合う。首を傾げるアルの肩に跳び乗ったかと思うと、ブランがグイッと力を込めて顔にすり寄って来た。
「ちょっ……力強すぎ、首が痛いんだけど……」
『ふふん、我の愛情の重さだ』
「なんで急にそんな主張を――」
『寂しげだったからな。アルには我がいる。それなのに不満を抱くほど、アルは強欲ではあるまい』
「……そうだね」
柔らかく細めた目で囁かれ、アルの胸に忍び寄っていた翳は静かに消え去った。
「桜、会えてよかった……」
「私も……ずっと待っていたんだよ……」
泣き濡れた顔を見合わせ、微笑む兄妹の姿。長い時を超え巡り合えたこの瞬間に立ち会えたのは、なんと幸せなことだろう。心からこの光景を祝福できる。
「……二人が再会できてよかったね」
『うむ、我らもたまにはいいことをするものだな!』
「たまにじゃな……くもないか」
胸を張るブランの言葉を否定しかけて、自分の行動を思い返したアルは、思わず苦笑した。
囁くような泣き声が夜空に響き続ける。
サクラたちが落ち着いて話せるようになるまでは、まだ時間がかかりそうだ。でも、それを待つのは決して苦ではない。だって――彼らが流すのは喜びの涙なのだから。
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