第190話 目覚めの言の葉
「随分と明るい街だったね」
『うむ。……我には少々眩しすぎたようだ』
門をくぐり、知識の塔に急ぎながら、ブランに乗って観察した街の感想を呟き合う。
駆け抜けた灰色の街は、夜闇を追い払うように眩しい光が溢れた空間に様変わりしていた。建物の窓や道に沿って設置された明かりが煌々と光を放ち、まるで昼間のような明るさ。
森に慣れたアルやブランにとっては、落ち着かない光景だ。その明るさがあっても、人が生きている活力が窺えないので、更に違和感が増して居心地が悪かった。
「――こっちの方がまだ落ち着くな」
道の脇にある廃墟を流し見て、知識の塔へと駆けるブランの背を摑み直した。一瞬後にブランが大きく踏み込んだかと思うと、グッと高度が上がる。塔内部を駆け上がる手間を惜しんだらしい。
アルは苦笑しながら、目前に迫った木製の窓に魔法を放った。
『魔法で開けずとも、我が蹴破れたぞ?』
「そんな乱暴なことしないで。起きた後にサクラさんが驚くでしょ」
不思議そうに首を傾げるブランを軽く咎める。
窓に横付けされたので、窓枠を摑みながら部屋に飛び込んだ。その後すぐに、小さく変化したブランが飛び込んでくるのを胸で抱きとめる。
「――グッ……。ブラン、勢いありすぎ……」
『アルが軟弱なだけだ。もっと鍛えろ』
思いがけない衝撃に息を詰めて、ブランをじろりと見下ろしたが、不服そうに鼻を鳴らされた。
筋肉が足りないのは自覚があり、反論の言葉を失ったが、納得できない気もして、ブランを床に放り投げる。
『のわっ!? 乱暴だぞ!』
「ブランなら大丈夫でしょ。ほら、さっさとサクラさんのところに行くよ」
きゃんきゃんと抗議するブランを受け流して、奥の部屋に急いだ。
サクラとは一体どういう人物なのか、何を語るのか。知りたいことが多すぎて気が逸った。そんなアルを抑えるように、肩に跳び乗ってきたブランが顔に頭をこすりつけてくる。
『あの娘は逃げんのだから、余裕をなくすな。急に事態が変わることがあれば、対応できなくなるぞ』
「……そんなに余裕がなかったかな?」
反省して呟きながら、進む速度を緩める。確かに扉を開ける動作さえ、少しばかり粗雑になっていたかもしれない。
努めてゆっくり進んだ先に、見慣れた扉があった。一呼吸おいて気を静め、扉を開ける。以前と変わらず眠り続ける姿が目に入った。
「サクラさん……今、起こしますね?」
『
「……そんなに見てないよ」
余計なことを言うブランを横目で睨んでから、球体の入れ物に手を添えた。ここで求められているのは、サクラの生まれた国を答えること。それは既に分かっている。
「アカツキさんが待っていますよ。……あなたの生まれた国の名は――ニホン」
告げた瞬間に、ふわりと風が舞い上がるような気配があった。息を呑んで見守るアルたちの前で、サクラの瞼が震える。
一瞬とも永遠とも感じられる静けさを破ったのは、鈴が鳴るようなかすかな澄んだ音。
それを合図にしたように、球体の入れ物が空気に溶けるように消えていった。淡いピンクの花を舞い散らせながら――。
「……私を起こしたのはあなたね」
サクラの目が開かれ、アルを見つめたかと思うと、静かに身を起こして周囲を確認し頷く。そこに込められた思いは分からないが、初対面の人間が傍にいることに疑問は抱いていないようだ。
「はい。僕はアルといいます。あなたは……サクラさんですね?」
「ええ、その通りだけど……よく私の名前が分かるわね? もしかして、どこかで会ったことがあったかしら。……髪色は私たちと同じだけれど、違う人種よね? 私たちの血をひいているようにも見えないし……?」
サクラが不思議そうに首を傾げた。
私たちとか、人種とか、気になる言葉はあるが、とりあえず頷き微笑みかける。
「初対面ですよ。あなたのことは、この塔に収められている書物や……あなたのお兄さんから伺いました」
サクラの目が徐々に見開かれていくのをジッと見つめた。
「……私の兄? まさか
聞いたことのない名前がサクラの口から零れて首を傾げる。
「ヒロニイやツキニイという方は存じませんが、アカツキという男から――」
「やっぱり、つき兄! 生きていたのね! つき兄は今どこにいるの!?」
アルの言葉は、サクラの興奮した声を受けて途切れた。身を乗り出し、アルに掴みかからんばかりの勢いで、問い質してくるので
だが、つき兄というのがアカツキを指すのだと知り、少し安堵した。サクラまで記憶がなくなっていたならどうしたらいいかと、一瞬頭を悩ませてしまっていたのだ。
『落ち着け、小娘』
「っ……あら――」
ブランが尻尾でサクラを押し戻す。近くで叫ばれてうるさかったらしい。
その不躾な態度を謝罪しようと口を開きかけたアルは、サクラの表情を見て動きを止めた。
珍妙な生き物を見るように、サクラの目が眇められている。不思議そうに首を傾げていたかと思うと、ふと何かに気づいたように目が見開かれた。
「あなた、聖魔狐でしょう!? こんな小さい子は初めて見た! もしかして、囚われたあの方のご親戚? あの方を救い出しに来たの? あいにくだけれど、私、あの方の存在を取り戻す方法を知らないの。ごめんなさいね」
『何を急に謝りだしたんだ、こいつ……?』
ブランが戸惑ったように身を引き、アルの頭に隠れた。アルもサクラが言っていることの意味が分からず、返す言葉を見失う。
「……あら、違うの? それなら、あなたたちは何のためにここに? つき兄はここのことを知らなかっただろうし、ここに来て私と会ったのは偶然なのよね?」
「なんだか話が噛み合っていませんね……? 経緯を説明しますから、一度あちらで落ち着いて話しましょう」
サクラの勢いが落ち着いてきたのを見て、アルは背後の扉を示す。女性の私室と思われる場所に長居するのは、さすがに気が咎めたのだ。勝手に居間などを好きに使っていたことも謝らなければいけないし、場を変えて話を整理したい。
「……そうね。身支度するから、先に行っていて」
寝起きの状態だったことに思い当たったのか、僅かに頬を染めたサクラが早口で言う。
アルは努めてその様子に気づいていない体を装いながら、軽く頷き踵を返した。女性に恥をかかせてはならないと思う程度には、アルは紳士たる者について学んでいるのだ。
居間で暫く待つと、神妙な面持ちのサクラが出てきた。用意していたお茶とお菓子に気づくと、僅かに顔を綻ばせて礼を口にする。どうやら甘い物が好きなようだ。
「先程は矢継ぎ早に質問してごめんなさいね。あなたの話を聞かせてくれるかしら? できれば、つき兄……
席に着いた途端の言葉に、アルは頷いて説明を始めた。ずっと寝ていた割にはサクラの体調に問題はなさそうだし、アルの長い話はお茶のお伴にもいいだろう。
我関せずと言いたげにご飯を食べているブランには思うこともあるが、今はサクラと話すのが優先だ。
「僕たちがここに来たのは、とある方の後押しがあったからなのです――」
アカツキとの出会い、リアムの謎めいた導き、精霊との邂逅、ドラグーン大公国で得た情報。
全てを語るには時間がかかるが、サクラとの相互理解のためには大切な話だ。
アルは説明の後にサクラとどんな話ができるかと期待を膨らませながら、真剣に聞き入る表情に向き合った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます