第188話 森の中に広がる光景

 小道に生い茂る草を踏みつけ進みながら、ニイが口を開く。


「まずお伝えしておきますが、私は流離人により生み出された存在にすぎず、全てを知るわけではありません」

「生み出されたというのは、つまり何らかの技術によってですよね? それについても気になりますが……一度に聞いても分からなくなりますから、説明を続けてください」


 関心の赴くままに質問を重ねようとしてしまったが、ニイが如実に困った表情を見せたので一旦取り消した。

 そのおかげか、安堵した表情のニイによる説明が続く。


「【呪術】を基礎とした【まじない】とは、魔法と同じく魔力を動力にして発動するものです。示す効果は魔法によるものに酷似していますが、その機序は全く異なります。また、キーワード一つで発動するという点も、【まじない】の特徴です。しかし、これを使うには流離人の血を持つという条件が必要とされます」

「僕は使えないということですね。ですが、ニイさんは使っていますよね? あなたが流離人から生み出された存在だからですか?」


 当然肯定が返ってくると思って気軽に質問したのだが、ニイは一拍おいて「……いいえ」と返してきた。驚き目を見開くアルの肩で、ブランも動揺したように体を震わせる。


「流離人から生み出されたとはいえ、誰もが【まじない】を使えるわけではありません。……私は、【まじない】を使うためのだけです」


 ニイの片手が上がり、胸のあたりを押さえたように見えた。

 アルはブランと顔を見合わせ、ニイの発言の真意を無言で推し量る。アルたちの想像が正しいなら、ニイは文字通り流離人の血を持っていることになる。無機質に見えるニイが、人間と同じように営みの末に生まれた存在とはとても思えない。だから、血族という意味合いではないのだろう。


「……それは、流離人のどなたかの血そのものを保持しているということですね?」

「はい。私は生まれ出でたその時から、あの方の血と共にあります」


 アルは沈黙するしかなかった。あの方という、誰かを指す言葉は気になるが、愛おしげに響くニイの口調は、それ以上の問いを拒むように聞こえたのだ。


「……それでは、次の質問ですが――」


 問題を先送りにして話を続けようとしたアルの言葉を遮るように、一気に視界が開けた。その直前に膜のようなものを通り抜ける感覚があったのだが、それはアルを拒むことなく、その場所に足を踏み入れることを許可したようだ。


『これはなんだ?』


 ブランが不思議そうに首を傾げて呟くのを聞きながら、アルは口を引き結んで眼前の光景を見渡した。

 そこは広大な花畑だった。白い花が咲き乱れ、風に花びらを散らしている。一見幻想的なくらい美しい光景だが、その印象を覆すのが、ブランが首を傾げた無数の石碑の存在だった。

 数え切れないくらい多くの石碑が規則的に並んでいる。人間社会にはまだ疎いブランには馴染みがないだろうが、それはアルにとってはよく知った存在だった。


「――ここは墓地ですか」

「はい。流離人の死した里です」


 ニイの答えは簡潔だった。ブランが口を閉ざし、肩の上で固まる。魔物であるブランが墓にどういう感想を抱いたかは分からないが、軽口を叩いて良いものだとは思わなかったようだ。


「……おはか?」

「アカツキさん……大丈夫ですか?」


 これまでひたすら沈黙を貫き、ぼんやりとついてきていたアカツキが、ぽつりと覚束ない口調で反芻して不意に動き出した。足を止めたアルたちを追い越し、一番近くにあった石碑に近寄る。そして、確かめるようにその表面をそっと撫でた。

 石碑の表面には何かが書かれているようだが、アルには読めない字だ。だが、これまで通りであれば、アカツキはそれを読めているのだろう。目でジッと字をなぞるアカツキの横顔には、アルが読み取れるような表情は浮かんでいなかった。


『……大丈夫だろうか』

「分からない。何が起きても大丈夫なように、心構えだけはしておこう」


 心配そうに呟くブランに、アルも声を潜めて返す。予想外な光景に動揺しているのはアルたちも同じ。だが、流離人と目されるアカツキが受けた衝撃は、アルたちの比にならないほど大きいだろう。衝撃のあまり気を失う可能性もある。アルたちが今できるのは、アカツキの異変を見逃さないことだけだ。

 アカツキの足元にスライムとラビがすり寄る。気遣わしげに様子を窺いながら困惑しているようだ。スライムたちにはただの石にしか見えない存在に、アカツキがそれほどまでに心を乱される理由が分からないのだろう。


「――藤堂雄一。……知らない名前だ。まあ、俺、妹の名前すら覚えてないから、知り合いであっても分からないんすけどね!」

「アカツキさん……無理しなくていいんですよ?」


 空元気な声を上げたアカツキの背中に声を掛けると、小さく震えたように見えた。そのまま沈黙が流れる。


「……皆様が知りたいのは流離人の国でしょう? 全ての墓碑に出身地が刻んであると聞いています。私は流離人の言語を知りませんので分かり得ませんが」


 この場に来た目的を思い出させたのはニイだった。その言葉にアカツキが顔を上げ、石碑を観察しながらぐるりと回る。感傷に浸るのを無理やり切り上げたようだ。アルはその行動になんとも言えず、ただ見守った。


「あ、ここに書いてあります! 出身地日本国――」

「ニホン? あれ……? それはどこかで聞いた覚えが……」


 判明した国名にアルは心当たりがあった。だが、アルが記憶していた国名にニホンというのがないのは確かだ。では、一体どこで知ったというのか。

 首を傾げるアルの頭をブランが小突く。横を見ると、呆れたように細められた目がアルを見据えていた。


『あれだろ。アカツキが好んでいる酒。透明な酒のことを、アカツキがニホンシュと呼んでいたはずだぞ』

「あ、それだ! なるほど、あれは国の名前を冠したお酒だったのか」


 疑問が解消されてすっきりする。ニホンシュとはニホンという物を材料に使っているのだと思っていたが違ったらしい。それに気づくべきアカツキが全く気づいていなかったので、アルが気づかなくとも仕方ないことだが。

 アカツキががっくりと肩を落とした。どうやら答えが既にあったのに気づかなかったということが、身に応えたようだ。


「俺、なんで気づかないの……。最初から答え知ってたじゃん。日本だよ。そう、俺の故郷は――」


 呟きながら反省していたアカツキの言葉が不自然に途切れる。揺らぐアカツキの目を、アルはジッと見守った。


「――日本。東京。いや、俺の故郷はそこじゃない。もっと田舎で、辺鄙で……そう、あの家みたいな外観の……」


 来た道を遡るようにアカツキの目が遠くを見据えた。記憶の封がゆっくり解けていくように見える。アルは更に注意深くその様子を見つめながら、いつ倒れても対応できるように近寄った。

 だが、アルの予想に反して、アカツキはしっかりと理性のある眼差しでアルを見つめ返してくる。


「アカツキさん、大丈夫なんですか? 以前記憶を思い出したときは気を失ってしまいましたが……」

「ああ、ええ、まあ、たぶん、大丈夫、ですね。何故かは分からないですけど」


 曖昧な返事だったが、その言葉通り、アカツキに異変は見当たらない。知識の塔での様子とはまるで違った。

 その差はなんだろうと首を傾げるアルの背後から、ニイの声が響く。


「アカツキ様は呪縛が緩んだようですね? ここは流離人のための里。いかなる干渉をも拒む【まじない】がかけられています。そう……全ての創造主たる神の干渉でさえ、この場では無意味です。そうなるように、流離人が全精力をかけて作り上げた【まじない】ですから」

「……なるほど」


 ニイの言葉は答えだった。呪縛とは、恐らくアカツキに掛けられた記憶の封のことだろう。それが流離人による【まじない】で緩められた結果、アカツキはすんなりと記憶を思い出せたらしい。

 それでは、サクラの存在も思い出したのか。アルが問おうと口を開くより先に、アカツキの目がニイに向かった。


「――ニイさん、あなたは桜を知っていますか?」


 アカツキとニイの視線がぶつかる。アルとブランは息を呑んで二人のやりとりを見守った。

 ニイが真っ直ぐにアカツキを見据え、フッと頬を緩める。その質問を待っていたと言いたげだ。


「私は初めに言いましたよね? 管理塔の代表者の居場所を知りたいならば、命令権を持てと。アカツキ様はそれを忘れたように何も言わないので、まさか関心がないのかと思っていましたが」


 それは確かにアルも聞こうと思って忘れていたことだった。状況の変化が怒涛過ぎたからだが、それは言い訳にすぎないだろう。ニイはその質問をしてほしがっていたようだから。

 命令がなければ代表者の居場所を捜索できないとニイは言っていた。代表者の存在を最も欲していたのは誰か。それは考えを巡らせなくてもすぐに分かる。そして、その代表者が誰なのかも話の流れで察した。

 それは、アカツキも同じだったのだろう。神妙そうに表情を変えたアカツキが再び口を開く。


「――言葉を変えます。桜は管理塔の代表者ですね? そして、現在、知識の塔で眠りについているのでしょう? ……確認のため、捜索してください」

「ご命令により代表者サクラ様を捜索いたします。【捜索サーチ】」


 僅かな沈黙。キーワードを呟いていたので【まじない】により捜索しているのだろう。


「――サクラ様の存在が感知されました。サクラ様は現在知識の塔にいらっしゃいます」


 既に予想がついていた事実だったが、アカツキが息を呑んで固まった。

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