第186話 アカツキ全快!

 アルは、床の魔力の流れから魔法陣を読み取るという、魔法に詳しくない人間が聞いたら気が狂いそうになる複雑な作業を、嬉々として行っていた。ブランはアルの作業を眺めるのに早々に飽きて、アイテムバッグから取り出したお菓子に熱中している。

 そんなアルたちの集中力を断つように、大きな声が部屋中に響く。


「――で、き、たぁあー!」


 アカツキの声だ。

 そう認識するのに少し遅れたのは、これまでと声の調子が違って聞こえたからだ。それに、魔法陣の解析をあと一歩で終えられるというところまで来ていたことも、一つ理由に挙げられる。


「あ……」


 集中が乱れて、魔力の流れを追えなくなった。それまで解析した分は記録しているとはいえ、ここで終えるのは口惜しい。だが、アカツキの様子が気になるのも事実だ。

 アルはため息をついて床から視線を上げた。そして無言で瞬きを繰り返す。思いがけない光景がそこにあった。


「え……アカツキさん、いつの間に人の姿を取り戻したんですか?」

『おお? なんだ、成長したな』

「いや、ブラン、これは成長って言わないと思う」


 クッキー屑で口元を汚したブランが間の抜けた感想を零すので、アルは思わず笑ってしまった。小動物の姿から人間の姿に変わったのを見て、成長と表現するのは不正確だが面白い。


「ふふふ~ん、俺にダンジョンコアがあれば百万力! どうやったか知りたいですか? 知りたいですよね?」

「それ、『はい』しか答えを認めないつもりですよね?」


 上機嫌で近づいてきたアカツキを観察しながら苦笑を漏らす。久しぶりに人間の姿に戻れたことがよほど嬉しいようだ。

 扉の修理を終えてお茶の準備をしていたニイが、不思議そうに首を傾げながら近づいてくるのを視界の端に捉えつつ、アカツキに説明を促した。


「んじゃ、ご説明しますよ~。と言っても、ことは単純なんですが。ただ、ダンジョンコア同士を接続して、この空間を俺のダンジョンと同一の空間だと認識するよう設定したのです!」

「それは……確かに単純ですが、ドラグーン大公国に置いた領域支配装置の空間とは違いがあるのですか?」


 確か領域支配装置の支配下では、アカツキは人型をとれなかったはずだ。ここの空間も支配下に置いたという意味なら同じ現象が起きそうである。

 首を傾げるアルに、アカツキが「チッチッチッ」と指を振った。無駄に偉そうで苛つかせる仕草だ。そういう態度はブランの専売特許だと思っていた。ブランの方がアカツキにムッとした様子で、ゲシゲシと脚を蹴りつけている。


「ふぎゃっ、偉そうな態度とってすんませんでしたー! でも、たまには得意げにしたっていいじゃないっすかぁー……」


 すぐに泣き萎れるところは今までと変わらなかった。アルは肩をすくめてブランを抱き上げる。不満げに息を吐いていたが、これ以上アカツキに鬱憤をぶつけることはなさそうだ。


「それで、僕の質問に答えはもらえるんですか?」

「アルさん、まじドライ。ここは砂漠地帯っすか? もっと愛情降り注いでくれていいんすよ?」


 愚痴を呟くアカツキをニイがジッと見つめていた。暫く停止していたかと思うと、何を納得したのか頷き、手にしていたカップをテーブルに並べ始める。


「お話のお供に緑茶はいかがですか?」

「あざーっす!」


 アカツキが真っ先に答えた。近くにあった椅子を引きずってテーブルに着くのと同時にお茶を飲み始める。集中して作業していたからか喉が渇いていたのだろう。

 アルもそれは同じで、席について取っ手のないカップを持ち上げる。淡い緑の液体がカップの中で揺れていた。


「ハーブの香りはしない……けど、紅茶じゃないし……?」

『ふむ。香りはいいな』

「あれ、アルさんたち、緑茶は初めてっすか?」


 アカツキには馴染み深い物だったらしい。緑茶と呼ばれた飲み物は、口に含んでみればほのかな渋みと茶葉の香り、甘みが感じられた。紅茶と近いところがあり、アルの好みだ。

 ブランは渋みが気になったらしく、一度確かめた後は再び飲むことはなかった。


「お茶請けには生菓子や干菓子をご用意可能ですが、どれになさいますか?」

「おお、和菓子! 緑茶に合いますよねぇ」

『ほう、見たことがない甘味だな! どれも見た目にこだわりが感じられて素晴らしい。作った者は、自然との親和性を好んでいるようだな』


 ニイが冊子を開いて見せてくる。彩り鮮やかにお菓子の絵が描かれていた。説明文もあるようだが、アルには読めない字だ。花や鳥などを模ったお菓子もあり、見た目が美しい。


「これ! アルさん、これ美味いっすよ! 食べましょう!」

「え、これですか?」


 美しいお菓子が並ぶ中で、アカツキが示したのは地味な見た目のものだった。白い球体に所々黒い粒が埋められているように見える。

 正直、これは毒でも入っているのではと疑いたくなったが、興奮して勧めてくるアカツキにそんなことを言えるほど、アルは人の心を捨てていなかった。それに黒い色のチョコレートだって驚くほど美味なのだ。アカツキの味覚は正常なので、これも予想外に美味しい可能性は高い。


「では、僕はアカツキさんのおすすめのそちらを」

「じゃあ、俺とブランも食べるとして、塩豆大福三つですね!」

『我は全種類食うぞ!』


 ブランがアカツキの言葉に被せるように叫んだ。アルとアカツキだけでなく、ニイからも正気を問うような視線が向けられたが、ブランが前言撤回する様子はない。


 アルはニイまで同じ態度をとったことに意外さを感じて、ブランを咎める気が削がれた。本当に全て食べ尽くす様を見たらニイはどう反応するか気になる。アルに手間があるわけではないからと頷き、ニイに「それでお願いします」と頼んだ。


 一瞬止まったニイが「……かしこまりました」と返して離れていくのを目の端で追いながら、アルは笑いを嚙み殺した。もっと無機質な存在だと思っていたが、予想外な反応ばかりで面白い。


「――話の続きをどうぞ」

「はーい。……俺も詳しいことはよく分からないんすけどね? どうやら、存在価値の違いみたいっす」

「存在価値?」

「んー、相応しい言葉が見つからないんですが……。次元の違いとも言えますかね? アルさんのお家は確かに俺のダンジョンに属してますけど、存在価値が一段下? 支配してるんですから、当然ですが」

「なんとなく意味は分かります」


 アカツキのダンジョンが国だとして、領域支配装置下は飛び地の領地という感じだと思う。完全に従属する立場だ。


「それに対してここは、存在価値が同じくらい。ここの命令権も獲得したので、統一が可能だったということですね」

「つまり国と国が立場の上下なく合併された感じですか。同じ主が統治しているから、そこに問題も生じなかったと」

「その通り! さすがアルさん、呑み込みが早いっすね!」


 アカツキが満面の笑みを浮かべて指を鳴らす。それを眺めながらアルは思考に沈んだ。

 この地は神が創ったはずだ。それとアカツキのダンジョンが同じ次元に存在するというのが気になる。神の直接の創造物は何物よりも上位の存在価値があっても不思議ではないのだ。

 だが、そもそもアカツキのダンジョン自体、誰が基礎を創ったのか分からないのだ。アカツキも気づいたらそこにいただけで、ダンジョンコアの使い方を知って管理していたにすぎない。


「王は国の主だけど、貴族の領地で十全に能力を揮うことはできないでしょう? 領域支配装置下では、俺の能力は制限された状態だったんです。だけど、国同士を合併したら、もう王の天下! 俺はダンジョンを結合させて、ダンジョンマスターとして完全に能力を発揮できるようになったのです!」


 アカツキが「ハレルヤ!」と意味は分からないが喜びの伝わる叫び声を上げるので、アルは耳を塞ぎながら苦笑した。

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